大佐となってから出張が増えたせいもあって、ただでさえ少ない休日がさらに減ってしまった。週末に三日休暇があったので、それを利用して実家に帰ろうと思っていたら、仕事が入ってハノーファーから動けなくなってしまった。
   そのため、実家に帰る機会も減ってしまった。この前、帰ったのは半年前のことだ。母から何度となく連絡が入り、偶には帰ってくるように言われていたが、どうにもその時間が取れないで居た。
「ヴァロワ大佐。昇級試験の実施を本部に要請しておいた。月末に執り行うから勉強しておくように」
   そんな折、アントン中将から昇級試験を持ちかけられた。月末ということは、またこれで実家に帰れなくなってしまう――。
「解りました」
「……浮かない顔だな。その年で准将とは最短年数だぞ」
「ありがたいお話ですが、些か早いのではないかと思いまして……」
「とっとと昇級しろ。准将となったら、私の副官となってもらう。尤も、本部に空席が出るまでの期間だがな」


「え!? 月末も帰って来ないの?」
   その晩、自宅に連絡を入れ、当分帰宅出来ないことを伝えると母は明らかに落胆した様子で言った。
「……ジャン。もしかして彼女が居るの? だから帰って来ないの?」
「残念ながら違うよ。大佐となってから出張が増えて忙しいのと、それに月末に昇級試験を受けることになったんだ」
「昇級試験……? この間、大佐になったばかりじゃない」
「この間といっても去年だけど……。上官が俺に昇級を勧めてくれていて……。准将に合格したら上官の副官となるのも決まってるようなんだ」
「……意外だけど、ちゃんと軍人さんが勤まっているということかしらね。当初はどうなることかと思っていたけど……」
   アントン中将が俺の能力を買ってくれている一方で、母は俺が周囲の足を引っ張っているのではないかと常に案じていた。上手くやっているよ――と言っても心配なようで、週に一度は電話がかかってくる。
「でも休暇も無いなんてねえ……」
「仕方無いよ。また帰れそうな時に連絡するよ」
「元気な姿も見たいし……、ハノーファーまで遠いけれど、私が会いに行こうかしら」
「……え!?」
「あ、そうやって吃驚するってことはやっぱり親に隠し事があるんじゃないの?」
「そうじゃないよ。リヨンからハノーファーはかなり遠いし、何度も電車を乗り換えるから……」
「あら、大丈夫よ。それに私ならいつでも時間が取れるから。ジャンは日曜日なら時間はあるのでしょう?」
「それは……空いてるけど」
「だったら日曜日に其方に到着するように此方を発つわね」
   母はそう言って、一人で決めてしまった。
   母らしい行動だと思えばそうだが、母が来るとなると部屋を片付けなければならない。この本だらけの部屋を見たら、叱られそうだ。



   宣言通り、母は日曜日の11時に到着する便で、ハノーファーに来るとのことだった。駅は休日ということもあって、多くの人が行き交っていた。それを見遣ってから、駅前の大時計に視線を移す。
   午前10時57分になっていた。そろそろ列車が到着する頃だろう。
   暫く待っていると、さらに多くの人が駅から出て来る。時計は11時3分を指していた。この人の波の中に母が居るのだろう。視線を動かしてその姿を探した。
   居た――。
   母の方も俺を見つけたようで、手を挙げて此方に近付いて来る。俺も歩み寄ると、母は元気そうね――と俺を真っ直ぐ見て言った。
「母さんも。遠かっただろう?」
「ええ。もう少し近ければ良いのにね」
「荷物持つよ。ホテル、取っておいたから先に其方に……」
   刹那、パンッと銃声が聞こえた。振り返ると駅から悲鳴と共に人が溢れ出て来ていた。
   何か起こったのか――。
「何……? 今の音……」
   ダダダダッと連打の音まで聞こえてくる。先程の音は拳銃のようだったが、今の音は俺の聞き間違えでなければ――、ライフルだ。
   テロだ、と誰かが叫んだ。
「……母さん。この通りを超えたところにあるホテルに俺の名で予約を入れてあるから、ホテルで待っててくれ」
「ちょっとジャン。貴方はどうするの?」
「仕事になりそうだから。夜にはホテルに行くから、其処で待ってて」
「仕事って……。待ちなさい、一人では危ないでしょう!?」
「上官に連絡をいれる。それに状況を確かめないといけないから……。だから母さんはすぐにホテルに向かって。此処は危ないから……」
   母を諭してから駅の中に向かう。携帯電話を取り出して、アントン中将の許に連絡する。しかし、アントン中将からの応答が無かった。留守番電話に切り替わる。
「ジャン・ヴァロワ大佐です。今、ハノーファー駅に居ますが、何者かが駅を占拠した模様です。中の状況を確かめて、また連絡します」
   そう言い残して、通話を切る。駅では警備員らしき男達が避難を求めていた。中に入ろうとする俺を阻もうとする。
「ハノーファー支部所属、ジャン・ヴァロワ大佐だ」
   胸元から証明書を取り出して翳す。すると警備員はすぐに道を開けてくれた。
   少し走ると、構内で人が夥しい血を流して倒れている様が見て取れた。テロだと誰かが叫んだが、それらしき容貌の人間は見当たらない。用心しながら、倒れている人に近付いていく。その時、銃声が右横から聞こえた。すぐさま身体を一転させ、柱の影に隠れる。
   若い男のようだった。あの銃声は拳銃に違いない。ということは、ライフルを持った男が別に居るのだろう。一体、此処に何人が潜んでいるのか――。
   辺りを見渡すと、倒れている人が何人も居た。ぴくりとも動かない人ばかりで、もしかしたらもう死んでいるのかもしれない。
   問題は俺が丸腰だということだ。軍服を身につけていない時は、拳銃を携帯していない。
「誰か一人隠れているぞ」
   静かな構内に声が響く。南部訛りの強い言葉だった。撃ち殺せ――と別の男が言う。
   まずいな――。
   俺が此処に居ることは気付かれているのだろう。
「人質は一箇所に集めろ。抵抗する者は殺せ」
   また別の声が聞こえる。少なくとも三人は居る。そして人質も取られている。
「おい、其処に居ることは解っているんだ。十秒以内に出て来い」
   どうする――。
   此処は大人しく捕まった方が良いか。流石に丸腰では対応出来ない。それに人質に紛れていた方が状況はよく解る。
   側にあったゴミ箱の中に身分証明書を捨てる。軍人と気付かれたらすぐに撃ち殺される。それを回避するための策だった。
   手を挙げて柱の影から出る。銃口が三つ此方に向いていた。
「……抵抗するなら撃つ。ついてこい」
   言われるまま、一人の男の後をつける。目視の限り、五人の男の姿が見えた。顔を隠していないし、武器も相当なものだった。ライフルを持った男が三人も居る。
   そして奥に行くと、五十人程の人々が捕らわれていた。その中にぐいと押し入れられる。
   此処にはさらに五人の男が見張っていた。拳銃が五丁、うち二人がライフルを持っている。
「今来た男、携帯電話を出せ」
   命じられるまま、携帯電話を出す。其処に投げろ――と言われて、仕方無く床に放った。
   その瞬間、銃声と共に、携帯電話を粉砕される。
   通信手段を断ったのだろう。用意周到だが、この男達の狙いは一体何だろう――。
   側に居た女性がガタガタと震えていた。すぐに救助が来る――とそっと声をかけると、今にも泣き出しそうな顔で俺を見る。
「通信を制圧したか?」
   男の一人がやって来た時、此処に居てライフルを持っていた男が尋ねる。男は頷いて、無線機のようなものを手に取った。


[2012.5.20]