あれから暫く経って、ザカ少佐から連絡が来た。身元引受人を上官であるロートリンゲン大将に頼んだところ、了承してもらえたとのことだった。安堵したザカ少佐の様子に、俺自身も安堵した。ザカ少佐の過去を知っているから、他人事とは思えなかった。
『何かあれば相談するようにとロートリンゲン大将が言ってくれたんだ。……厳しい方だが、力になってくれそうだ』
   おそらく、ザカ少佐はロートリンゲン大将に好かれたのだろう。元々、人当たりも良く、優秀だったから――。
   俺としては旧領主家の人間にあまり近付きたくは無いが、ザカ少佐なら上手くやるだろう――。

   ザカ少佐の件が落ち着いて、今度は俺の方が息つく間もないほど忙しくなっていった。卒業に向けての演習が続いた。厳しい演習が全て終わる頃には、卒業試験が近付いていた。

「ジャン。卒業したら帝都に行くの?」
   卒業前の最後の休暇がやって来て実家に帰宅すると、母は待ちかねていた様子で、俺を出迎えてくれた。父が亡くなってから、近所の人達が気遣ってくれるようだが、それでもやはり寂しさがあるのだろう。
「まだ決まってないよ。陸軍か海軍かも決まっていないし……」
「あら、そういうものなの?」
「卒業式当日に配属先を通知されるんだ。それまではどうなるか解らない」
「配属先は上の人が決めるとしても、貴方はどう考えているの? 元々軍人志望ではなかったでしょう? 大学が廃止となって仕方無く士官学校に入ったのだし……」
「士官学校の教官を目指してるよ。文学か語学担当の教官を。すぐにはそうはなれないけどね」
「前もそう言っていたけれど、教官になれそうなの?」
「将官とならないと士官学校には配属されないけどね。佐官の間は大人しく上の命令に従って、将官となったら士官学校への配属願いを出すつもりなんだ」
   リヨンでの短い休暇はのんびり自宅で過ごした。友人達も遊びに来たが、その友人達も就職活動に忙しい様子だった。


   リヨンから学校に戻り、また忙しい日々が始まった。演習、講義、また演習の連続、そしてレポートや試験の数々……。それら全てを終える頃には卒業が迫っていた。
「ヴァロワ。試験はどうだった?」
   卒業試験が終了して寮の部屋に戻ろうとすると、クルマンが声をかけてきた。まあまあだ――と応えると、その様子では自信があるな――と返す。
「この試験結果が配属に関係するのかな」
「さあ……。試験結果の発表後すぐに卒業式だからな……。配属先がそれから決まるとも思えないぞ。もう決まっていて、教官達は知っているのではないか?」
「教官は口が堅くて誰も教えてくれないからな……」
   クルマンと別れて、部屋へと入る。演習を終えてすぐの試験だった。些か疲れていて、ソファに座るとそのまま、横になった。
   試験結果の発表は三日後の木曜日――。
   そして土曜日には卒業式を迎える。
   この部屋の荷物も纏めなければならない。今日はゆっくり休んで、明日と明後日とで荷物を纏めよう。卒業後は一週間の休暇があるから、その間に自宅に戻って――。
   頭が茫としてきた。このまま眠ってしまいそうだ――。





   卒業式には母もわざわざリヨンからやって来て、参加してくれた。卒業証書と共に、配属先を記した封書を渡される。式が終わるとすぐに、皆、その封書を開いた。俺もその例外ではなかった。封筒を開くと、折り畳んだ紙が一枚入っている。
   帝国軍務省の章と陸軍長官、海軍長官二人の名前が列記されているその書面には――。
   ジャン・ヴァロワ少佐に陸軍ハノーファー支部への配属を命じる、と書かれてあった。
   陸軍ハノーファー支部所属――。
   ハノーファーというと、帝国でもかなり北部にある都市だった。
「ヴァロワ! お前、どうだった!? やっぱり本部か!?」
   クルマンが俺の前に来て、問い掛ける。周囲の同級生達が一様に此方を見遣った。
「あ、いや。陸軍ハノーファー支部らしい。クルマンは?」
「俺も陸軍だ。南部のトリポリ支部……。お前が本部所属じゃないってことは、やっぱり幼年出身者が本部に行ったのかな」
   周囲の学生達もざわついていた。そのなかからは本部に配属となったという話は、何処からも聞こえて来なかった。


「ハノーファー支部……か」
   卒業式を終えたその日にリヨンへと戻り、何度も辞令書を見た。地図でハノーファーの位置も確認したが、帝都からもリヨンからも遠い。特に実家からさらに離れてしまうため、母は口にはしないが残念がっているようだった。
   将官となったら士官学校に志望を出すとしても、佐官の間は帝都かリヨンの近くでも良かったと俺自身も考えていた。だから、ハノーファーはあまりに遠い場所だった。リヨンよりも北に位置しており、冬はかなり寒い。
   とはいえ、この辞令に文句をつけることも出来ないから、来月からはハノーファーに行かなければならない。
「あ……。そうだ」
   ザカ少佐にもこのことを知らせておかなければ――。
   携帯電話を側に引き寄せて、ザカ少佐の番号を選択する。十回ほどのコール音の後、ザカ少佐の声が応えた。
「お久しぶりです。ザカ少佐」
   ザカ少佐は穏やかな声で久しぶりだと返した。
「済まない。此方から連絡をしようと思っていたのだが、忙しくて時間が作れなかった。卒業おめでとう、ジャン」
「ありがとうございます。相変わらず多忙のようですね」
「ああ。毎日が目まぐるしいよ。ところで、配属先は何処になった?」
「ハノーファー支部に配属となりました。帝都から大分離れることになりましたよ」
   ザカ少佐も驚くだろうと思った。俺自身、まさかそんな遠い所に配属となるとは思わなかったのだから。
「……本部ではなかったのか?」
「ええ。北部のハノーファー支部です。ザカ少佐の近くだと良かったのですが、遠く離れてしまいました」
「……今年、一人だけ本部に配属されると聞いていたから、てっきりジャンかと思っていた。では本部に来るのは幼年コースの大佐なのか」
「本部には一人だけだったのですか? 此方はまったく情報が無くて……」
「軍務局の総務に一人と聞いている。そうか……。ジャンではなかったのか……。私も期待していたのだが……」
   ザカ少佐も少し落胆した様子でそう言った。何故、ハノーファーなのだろうな――と呟きながら
「また連絡しますよ、ザカ少佐」
「ああ。私も出張が多いから、ハノーファーの方に行くこともあるだろう。その時は連絡をするよ」
   電話を終えてから、もう一度辞令書を見た。
   ハノーファー支部への配属命令が記されている。その支部長の名前も下に記載されていた。
   ハノーファー支部長、ヴィクトル・アントン中将。
   どんな人物だろうか――。
   そんな思いを抱きながら、一日一日が過ぎていった。当分の間は独身寮に入居することにして、ハノーファーへと移る手続きを済ませた。旅立つ間際に、母は少し寂しそうな様子で、頑張りなさいね――と見送ってくれた。そんな母に休暇には帰って来ることを約束して、リヨンを後にした。


[2012.2.10]