結局、ザカ先輩から何の音沙汰も無いまま、卒業式を迎えた。フロアの四年生も部屋に居ることは殆ど無いから、相当忙しいのだろう。卒業式の後でザカ先輩を探し、今後の連絡先を教えてもらおうと思った。
   さて、何処に居るんだろう――。
   卒業式が終了し、修了証書を手にした卒業生達のなかを探しながら歩いていた。卒業を祝い、胴上げをする学生も居た。ザカ先輩のことだ。俺と違い友人が多いから、多くの学生に囲まれている筈――。

「ジャン!」
   背後から呼び掛けられて、傍と振り返った。ザカ先輩の声だった。
「良かった。後でお前の部屋に行こうと思っていたんだ」
「俺の方こそ、先輩を探していましたよ。会いたかったのですが、ずっと不在で……」
「それは済まなかった。ずっと演習続きで参ったよ。レポートも重なるし、この一週間は殆ど寝てない。ジャンも覚悟しておけよ」
   ザカ先輩の手には勿論、修了証書が握られていた。卒業、おめでとうございます――そう告げると、ザカ先輩はありがとうと、はにかみながら応えた。
「ジャン、時間はあるか?」
「ええ、たっぷりと」
「だったら俺の部屋に来てくれ。少し話がしたい」
   快諾してザカ先輩と歩いていると、多くの学生達がザカ先輩に祝いの言葉をかけてきた。その都度、ザカ先輩はありがとうと微笑みながら応える。人当たりが良く、人望もある――この人はきっと出世するだろう。俺でさえそんな風に思う。


   ザカ先輩の部屋は、俺の部屋とは別の棟の二階にある一番奥の部屋だった。四年生となってからの部屋替えの時、一人部屋になっていたので、よく足を運んでいた。
「会えて良かった。ジャンには連絡先を教えておこうと思ったんだ」
   部屋に入るとまず、ザカ先輩は上着の中から紙片を取り出した。其処には携帯電話の番号が記載されていた。
「携帯、契約されたのですね」
「これから必要になると思ってな」
「ありがとうございます。登録しておきます」
   卒業式の最中は電源を切っておく必要があったから、今日は携帯電話を部屋に置いてきた。紙片をポケットの奥にしまいこむと、ザカ先輩は冷蔵庫からビールの缶を二つ取り出して、俺の前に出した。卒業式だけは、寮内でも酒が解禁となる。ザカ先輩はチーズやナッツを取り出すと、テーブルに置いた。
「外食よりも此方が落ち着くかと思ってな」
「そうですね。今日は何処も混み合いそうです」
   いただきます――と告げてから、缶ビールの蓋を開ける。乾杯して一口飲んでから、ザカ先輩は言った。
「配属先が決まった。俺は軍務局特務派の部隊に入ることになった」
「軍務局特務派……? すごいことではないですか。特務派にはなかなか所属出来ないと聞いていますが……」
「ああ。俺も驚いた。今日、内定書を渡されたんだが……」
   ザカ先輩は修了証書の中から封書を取り出した。それを開いて、俺に見せてくれた。
   ノーマン・ザカ、少佐として、陸軍本部軍務局特務派への配属を命じる――書面にはそう書かれてあった。
「内定書を渡される時、これは採用決定だと言われた。体技と用兵学の成績が良かったことが評価されたようだ」
「おめでとうございます。……軍本部ということは帝都に住むということですね」
「寮に入る予定だ。どちらにせよ、三ヶ月は研修期間だから、何処に行くかは解らんが……」
   研修期間は本来の配属先と異なった場所で行うこともあるらしい。特に入省当初から本部配属となった場合は、別の支部で研修を行うとのことだった。
「……ところで先輩。特務派の上官の名が……」
   辞令書の下の方に軍務局司令官という職名と名前が綴られてある。其処には――。
「ああ。特務派の上官はあのロートリンゲン大将だそうだ。軍務局司令官に加えて、特務派司令官も兼任しているらしい」
「あのロートリンゲン大将……ですか……。良い方だと良いですね」
「厳しいという噂を聞いたことがある。……多少の厳しさは覚悟しているが、意地の悪い方でなければ良いな」
   そう言って、再び缶を持ち上げる。それを口に運びかけて止め、またテーブルに置いた。
「実は卒業したことを叔父夫婦には何も伝えていないんだ。配属先も連絡するつもりはない」
   入学してから一度も連絡していないと、以前、ザカ先輩は言っていた。叔父夫婦からも連絡は無いのだという。
「構わないと思います。ザカ先輩も気にすることはありませんよ」
「本当は……、卒業したら一応は連絡を入れようと思っていたんだ。子供の頃に酷い目に合わされたとはいえ、家には置いてくれたからな。だが……、もう俺も過去のことを割り切りたいんだ」
「俺も先輩の立場なら、そうします。良い機会ではないのですか?」
   俺がそう告げると、ザカ先輩は幾分か安心したかのようだった。
   コンコンと扉が叩かれた。ザカ先輩が立ち上がり、扉へと向かう。ザカ先輩の友人かと思ったら、事務員だった。封書が届いていると言う。
   こんな話の後だったから、もしかしたら――と思った。ザカ先輩は封書を受け取って扉を閉め、此方に戻って来た。
「……ジャンのお母さんからだ」
「え?」
   母から一体何を――と考えて、傍と思い出した。少し前に母が尋ねて来た。卒業式はいつなの――と。
「カードだ……。祝いのカードが……」
   ザカ先輩は表情を緩ませて、真新しい携帯ですぐに母の許に礼の電話をいれた。卒業おめでとう――という母の声が、漏れ聞こえてきた。



   ザカ先輩――否、もうザカ少佐と呼ぶべきだろう。ザカ少佐は三ヶ月の研修の後、正式に特務派隊員となった。そして俺は、四年生となり、忙しい毎日を送ることとなった。立て続く演習、さらに演習後に提出するレポートの作成。殆ど寝る間も無く、それらに取り組むこととなった。これまでのように暢気に読書をする時間すらも削らなければならなかった。
「君も来年からは正式に軍人となるのだな」
   久々にバルトリ教官の許を訪れると、教官は借りていた本を受け取りながら苦笑混じりに言った。
「自分の希望が出せるようになったら、士官学校への異動を願い出るつもりです」
「それはどうかな。本部は君を手放さないだろう。用兵学が優秀で、おまけに語学も堪能だ。もしかしたら初めから配属先が本部かもしれんぞ」
   ザカ少佐と同じ部署で働くのも良いが、俺の第一志望はやはり士官学校だった。


[2012.1.29]