トーレス医師は言った。
最悪の事態を覚悟するようにと。
彼からこれまでにも何度、その言葉を聞いただろうか。4年前にルディが宮殿で倒れた時も、そしてアクィナス刑務所から出て来た時も。
いつもルディはそれを乗り越えてきた。
だから大丈夫だ――。
頭のなかで、何度それを繰り返しただろう。大丈夫、大丈夫だ――そう思うのに、言いようの無い不安が胸に広がっている。
今回は奇跡が起きないような、そんな気がして――。
ルディを邸に連れ帰る途中、ルディの眼が虚ろになっていった。手を握り、ルディと何度も呼び掛けた。意識を失うことは無くとも、ルディは応対の出来ない状態に陥っていた。
何故、急にこんなことになったのか――。
トーレス医師はルディの身体が限界に達したことを告げたが、俺には訳が解らなかった。朝も昼も、先程まで何とも無かったではないか。疲れている素振りも無かったではないか――。
ヴァロワ卿やレオンは気遣って、邸まで同行してくれた。今もルディの側で励まし続けてくれている。
ルディは――。
意識を失うかのように、眼の焦点が合わなくなることが多くなった。トーレス医師がその都度、呼び掛けて意識を引き戻す。ミクラス夫人やフリッツ、それにパトリックも、皆がルディの周りに居た。
茫と一点を見つめ、暫くすると周囲に気付くかのように眼を動かす。トーレス医師は何度も診察を行った。だが、ルディの容態は一向に良くならなかった。
「ルディ」
意識を失いかけたルディを、此方に引き戻すように呼び掛ける。手を強く握り締める。
「ロイ……」
ルディは俺を見つめ、名を呼んだ。
そして、一人一人の顔を確かめるように名を呼んで、凝と見つめる。
突然死の兆候だとはいえ、今回は発見が早かった筈だ。レオンが側に居たから、すぐ病院に連れて行ってくれた。
だから――。
じきに回復する筈だ。
今は苦しくても、数日後には必ず――。
「……子供達……、後のことを……」
ルディは俺を見つめ、そんなことを言い始めた。
後のこと?
何故、そんなことを言う……?
「お前のそんな姿を見たら、子供達が心配する。……去年、体調を崩した折も、子供達が心配して此処まで見舞いに来ただろう?」
「頼む……。ロイ……」
ルディは力無い笑みを浮かべる。
「フェルディナント様、何を弱気になってらっしゃるのです……!? フェルディナント様を慕ってらっしゃる生徒さん達ではないですか! フェルディナント様が最後まで面倒を見て差し上げなくてどうするのです!?」
笑みを浮かべたまま、ルディはまた茫と一点を見つめる。フェルディナント様、フェルディナント様――と、ミクラス夫人が声を上げる。
ルディの眼が一度閉じ、暫くして開いた。
ルディは――。
必死に今という時間を生きているかのように、見えた。
「済まない……」
小さな声で謝る。
それは何に対して謝っているのか。
死を思わせるような発言をしたことに対して?
――それとも、先に逝くことに対して……?
「レオン……」
ルディはレオンに呼び掛ける。顔を近付けたレオンに、今日はありがとう、とルディは言った。
「引き止めて……、済まなかった……」
「いや。もう少しルディの具合が良くなるまで居るよ」
ルディは一度眼を閉じ、また開いた。
相当、辛いのか――。
トーレス医師がルディに声をかける。息苦しさが無いかどうか尋ねる。ルディは少し、と応えた。
「ヴァロワ……卿……」
茫と空を見つめていたルディの眼が、僅かに彷徨う。何だ、とヴァロワ卿が応えた。
「今日は……、ありがとうございました……」
「礼を言うのは私の方だ。久々に揃って顔を合わせて、楽しかったよ」
「……ヴァロワ、卿……。お願いが……」
「どうした……?」
「ロイ……を……、頼……」
眼を白黒させ、言葉を止めたルディにヴァロワ卿が必死に呼び掛けた。トーレス医師が薬を投与する。
十分程して、漸くルディは眼を開いた。
大丈夫か――とヴァロワ卿が問い掛ける。
ルディの口が開いた。
だが、声は無かった。