「ヴァロワ卿がすっかり家庭的になってしまったから、最近は誘い出すことが出来なくなってしまいました」
   二人で飲みに行くのは久々だな――と言ったヴァロワ卿に、揶揄を込めて告げると、それは済まなかったな、とヴァロワ卿は笑いながら言った。
「だが今でも、お前やフェルディナントからの誘いは断らないつもりだが?」
「では今度、ルディも含めて三人で一席設けましょう。こうして話をするのも久々ではないですか」
   ヴァロワ卿と俺の前にブランデーが置かれる。ヴァロワ卿は解ったと頷いてから言った。
「最近、本部でも滅多に顔を合わせなくなったが、お前も相当忙しいのだろう?」
「ええ。ルディが邸に居る時は、家の仕事を頼んでいる程です。参謀本部に移ってから、自分の時間を作ることも出来なくなりました」
   ヴァロワ卿はそうだろうな、と頷いてブランデーを一口飲んだ。
「参謀本部自体、忙しい部署だ。そのうえ常備軍司令官だからな。会議と演習尽くしだ。……正直に言うと、私もお前の異動には無理があると思った」
「前任のアンダース大将がお亡くなりになったことでの人事ですから、私もあまり異議を唱えることが出来なかったのです。ヘルダーリン卿は適任者が他に居ないといって、当初は私に軍務局との兼任を持ちかけてきたのですよ」
「……それは流石に無謀だな」
「ええ。何とかそれは断って、参謀本部の方を引き受けたのですが……。それでも家の仕事にまで手が回りませんよ」
   ブランデーを飲み、一つ息を吐く。ヴァロワ卿は黙ったまま頷いた。
「常備軍司令官だけでも相当な仕事量……。自軍での役職を持ったうえでの任命なので、常備軍だけという訳にもいきませんし……。人事に余裕が出来たら、閑職に回してほしいと願い出たら、長官職を提示されました」
「海軍部は将官が不足気味だと言っていたな。……陸軍部もぎりぎりのところで稼働しているが……」
「軍内部の編成を行う必要があるのかもしれませんね。ヴァロワ卿もウールマン卿から頻りに長官への復帰を求められていると聞きましたが」

   そう話を切り出すと、ヴァロワ卿は息を吐いて、苦々しげな顔になった。これはもしかしたら随分、ウールマン卿に促されているのかもしれない。
「……今のお前の話を聞いていたら、少々胸が痛んだ」
「え?」
「……アンダース大将のように突然、亡くなったら、内部が混乱するということだ」
「それと何か関係が……?」
「……まだ胸に秘めておけよ、ハインリヒ。ウールマン卿が早期退官したいという理由は……」

   ヴァロワ卿から聞いた話に、言葉が出なかった。
   ウールマン卿が病に冒されているという。それも病が大分進行していて、医師も手の尽くしようが無く、現在は痛みだけを緩和させている状態なのだと――。
「お元気に見えますが……」
「ああ。私も信じられなかった。私がその話を聞いたのは、先月のことだ。半年前から患っているらしい。治療しても病の進行を止められず……、余命宣告を受けているとのことだった」
「それで……、ウールマン卿はずっと……」
「ああ。私もそのようなこととは知らなかったから、ずっと断り続けていたんだ。が……、流石にその話を聞いた後では拒むことも出来なくてな……。返事は保留にしているが……。だが、たとえ私が長官となるとしても問題がある」

   ヴァロワ卿が抱えている問題は、俺以上に深刻な問題だった。道理でウールマン卿の話を持ち出したら、浮かない顔をしている筈だ。
「これはお前にも言えることだ。常備軍司令官の立場では、共和国のアンドリオティス長官を総司令官として仰いでいる。其処に長官の職にある者が名を連ねてみろ。アンドリオティス長官にその意図は無いにせよ、国際的には自国が共和国指揮下にあると捉え兼ねられない」
「それは……そうですが……」
「ウールマン卿とも話したことだ。もし私が長官を引き受けるのならば、常備軍司令官は他の誰かに依頼しなければならない、とな。だが当初、国際会議は私の着任でなければ司令官席をひとつ失うと言ってきた。その国際会議が私以外の人間を受け入れてもらえるかどうか……」
「レオンはこの話を知っているのですか?」
「いや。まだ外部に漏らしていない。ウールマン卿は病のことは私以外には誰にも話していないと言っていた」
「……そうでしたか……」
「……出来るだけ早急に退官して、家族と過ごす時間が欲しいと言われたら……、此方も断り切れない」
   確か、ウールマン卿には10歳ぐらいの娘が居た筈だ。余命宣告を受けた時には辛かったことだろう。そんな話を打ち明けられて、ヴァロワ卿が悩む気持もよく解る。
「……ヴァロワ卿が引き受けるのが妥当でしょう。経験年数や実績からみても、ヴァロワ卿の右に出る程の大将は居ませんから……」
   ヴァロワ卿はグラスを持ち上げて、口に付けた。ヴァロワ卿としては辞退したいところなのだろうが、事情が事情でどうしようもないのだろう。
「常備軍司令官の件は私に協力出来ることがあれば、いつでも仰って下さい。お話を聞く限りでは、誰か後任を探して、ヴァロワ卿は長官に復帰なさった方が……」

   不意に胸元で携帯電話が鳴る。失礼します、とヴァロワ卿に断ってから電話を取り出した。
   レオンからだった。どうしたのだろう。
「もしもし、レオン?」
「ロイ。すぐに第7病院に来てくれ。ルディが倒れて、今病院に居るんだ。邸の方には俺から連絡をいれる。兎に角、すぐに此方に来てくれ」
「ルディが……?」
「突然、具合が悪いと言って、それからみるみる顔色が悪くなって、病院に連れて来たんだ。意識が不明瞭なんだ。早く……」

   意識が不明瞭――?
   莫迦な。今日は体調が良かったのに――。

「ハインリヒ。どうした? フェルディナントに何かあったのか?」
   横合いからヴァロワ卿が問い掛ける。ルディが倒れたことを告げると、ヴァロワ卿はすぐに立ち上がった。



   何故、急にそんなことになったのか訳が解らなかった。ルディは何も変わりなかった。朝、顔を合わせた時も――。
「フェルディナントは体調を崩していたのか?」
「いいえ……。まったく……」
   動揺していた。倒れただけならばいつものことだと思える。
   だが、意識が不明瞭とはどういうことだ――。
   フリッツから連絡が入る。レオンからルディが倒れたとの連絡を受けたとのことだった。
「病院まで此処から20分かかる。……ああ、ヴァロワ卿と一緒だ」
   先に病院に行ってくれと告げると、フリッツは解りましたと応えて電話を切った。

   不安が過ぎる。
   このところ忘れていたのに、突然死という言葉が頭に浮かぶ。大丈夫だと自分に言い聞かせても不安が募るばかりで――。


[2010.8.27]