「変わり無さそうだ。隠遁生活はどうだ?」
   邸に戻ってきて五日目、アランが来訪した。アランと会うのは宰相を辞めてからは初めてのことで、彼是三年以上会っていなかった。
「平穏な毎日を過ごしている。アランも元気そうだ。活躍はテレビやニュースで見ているぞ」
「……となると、ルディには色々と説教されそうだ」
   アランはそう言って苦笑する。
   アランは選挙前に、社会保障の充実という公約を発信していた。だがそれは、議会の壁に阻まれて未だに実現していなかった。そのことを気に掛けているのだろう。
「議会政治の難しさもある。公約が未だ守られていないことは、勿論、気に掛けなければならないことだろうが、落胆することでもないだろう」
「解っていたことだが、本当に難しい。ルディも宰相の頃には相当苦労したのだろうと、今になってそれが解った」
「いや、きっと議会議員の方が困難が伴う。私が復職した時は、比較的穏便に物事を進めることが出来たんだ」
「とはいえ、あの頃は内務省が相当ごたついただろう?」
「だが私一人の決断で物事を動かすことが出来た。議会にかかると時間を要するからな。……しかし本来は時間をかけて為すべきことだったとは思っているよ」
「ルディが復職しなければ、こんな早期に議会が動き出さなかったよ。まったく新議会が発足したと同時にさっさと辞職するのだからな。議員として残れば良かったのに」
「それが復職時の約束だ」
「ルディらしい」
   アランは笑いながら、珈琲を飲む。そして、子供達に勉強を教えていると言ったな――と話題を変えた。
「ああ。六人だがな」
「六人? もっと殺到するかと思ったが……」
「近くに住んでいる子供達だけなんだ。遠いところからわざわざやって来るような所でもない。それに希望者が殺到すると此方の身が持たないから、募集も行っていないんだ」
「成程。ロートリンゲン家が新たな教育事業を始めたのかと思ったが違うのか?」
「今のところその予定は無い。……が、最近になって入塾したいという子供が増えているんだ。もし今後も希望者が多いようなら、私立学校の創設を考えた方が良いのかと考えている」
   昨日も入塾依頼の連絡が入った。私自身の体力的な問題があるため、今の人数以上は担当出来ないことを理由に断ったが、今年に入ってからもう何件断っただろうか。パトリックやフリッツに学校創設についてそれとなく話してみたところ、資金的には難しいことではないと言っていた。
「羽振りが良いのはロートリンゲン家とハインツ家だけか。その他の旧領主層はなかなか家の維持が難しいようだぞ」
「フォン・ルクセンブルク家がある。フォン・シェリング家の財産を吸収したと聞いているぞ」
「しかし……、フォン・シェリング系の企業が傾いていることもあって、あまり良い噂は無い。フォン・ルクセンブルク家の息子も同様にな。内務省に勤めていた方の息子は皇帝復活を企んでいるという目下の噂だ」
「長男のフレディ・フォン・ルクセンブルクか……。血筋的には皇位継承に最も近い人物だったからな……。父親のヨーゼフ様は穏やかな方なのだが……」
「穏やかといっても、息子の暴走を止められないとしたら、情けないことだぞ」
   相変わらず、アランの言葉は手厳しい。アクィナス刑務所で、私自身も何度アランの厳しい言葉を浴びせられたことか。しかしいつも、アランの言葉は的を射ていたため、自分の浅はかな考えに気付かされてばかりだった。
「どうした?」
「……私は年を経てから多くの友人が出来たようだ」
   学校に通っていないこともあって、子供の頃には友人は居なかった。いつもロイと一緒に居るか、大人ばかりで――。
   ヴァロワ卿やレオン、そしてアランと出会えたことは、私にとって掛け替えのない財産だと思う。
「……と、そろそろ失礼する。これから税制会議があるんだ」
   アランは時計を見て立ち上がる。また激論が飛び交う――と肩を竦めて苦笑する。
「大変だろうが、頑張ってくれ」
「ああ。また寄らせてもらう。……山奥の方の家にもな」

   アランが邸を去ると、今度はフリッツが家の仕事を持ち込んで来る。最近になって企業への規制緩和が相次ぎ、出資を望む会社が多くなったということもあって、此方の仕事も増えているのだろう。
「休養としてお戻りになられたのに、これでは逆にお忙しいではないですか」
   ハーブティを持って来てくれたミクラス夫人が、フリッツに対して苦言を漏らす。フリッツは困った顔をして、助けを求めるように私を見た。
「ミクラス夫人。ロイも忙しい最中だから仕方が無い。それにのんびり過ごしているから大丈夫だ」

   それにしても、確かにこれではロイ一人の身に余る。
   子供達に勉強を教えていると言っても、子供達が学校から帰宅してからのことだから、朝の時間は空いている。週に何度かは朝、此方に来るようにした方が良さそうだ。


   そうして一日一日が過ぎ、レオンと再会する日がやって来た。


「ルディ。久しぶりだ」
   対談の行われる場所に早めに行くと、レオンは軽く手を挙げて言った。この日、レオンは午後から時間が空いているとのことで、早めに此方に来ないかと私に連絡をいれてきた。
   レオンの肌は少し陽に焼けていた。問い掛けたところ、先日、大演習があったのだという。
「常備軍の演習か?」
「ああ。陸軍は炎天下での演習でな。よりにもよって、この年の最高気温を出した日で……。ヴァロワ大将と共に天候を恨んだんだ」
   レオンは苦笑しながら、その時のことを語ってくれた。共和国での大々的な演習だったらしい。
「そういえばヴァロワ大将、二人目が出来たと言っていたな」
「私もロイからその話を聞いた。ヴァロワ卿とは半年程、会っていないんだ」
「そうだったのか。では今日はヴァロワ卿とも久々に会うのだな」
「ああ。ロイから聞いたところによると、確か年末に出産予定だとか……。今度は女の子らしいぞ」
   ヴァロワ卿は復職したその年に結婚し、翌年には男の子に恵まれた。ウィリーという名の男の子で、今年二歳になった。
   半年前に会った時、ヴァロワ卿がウィリーをロートリンゲン家に連れて来てくれたが、よく笑う可愛らしい男の子だった。


[2010.8.22]