二週間の休みを設けたのは、久々にレオンやフェイ次官と会う約束をしていたからだった。
   世界的にも有名な合衆国のメディアからの要請で、週末にレオンと対談を行うことになっている。レオンは首相との会談や国防協定の会議で十日間、この国に滞在することになっているが、その滞在中に少し時間が取れないかと、合衆国メディアがレオンに話を持ち込んできたらしい。
   フェイ次官は別件でこの国に来ることになっている。そこで、ロイやヴァロワ卿も交えて五人で食事をする約束をしていた。

   レオンは今日、この国にやって来る。国際会議常備軍総司令官も務めるレオンは今も忙しく、この三年間、会っていない。
「お帰りなさいませ、フェルディナント様」
   邸の門を潜ると、フリッツが出迎えてくれる。三年前に宰相を退職して、山奥に一軒家を建ててから、邸にはひと月に一度戻る程度だった。ロイが時々、私の許まで来ることはあったが、ロイも忙しいようで、今月に入ってからはまだ顔を合わせていない。
「此方は何も変わりないか?」
「ええ。ハインリヒ様もお変わりないですよ」
   時計の針は午後六時を指していた。もうすぐロイは帰宅するだろう。
   ロイは昨年から参謀本部参謀本部長に任命されている。本人は軍務局から離れたくなかったようで、参謀本部に異動したせいで仕事が増えた――とよく言っていた。

   リビングルームで寛ぎながらロイの帰宅を待ったが、それほど待たされなかった。ロイは軍服姿のままリビングルームにやって来て、来たか、と言った。
「お帰り、ロイ」
   久々に軍服姿のロイを見たが、その胸元には勲章が増えていた。相変わらず辣腕を揮っているのだろう。
「少し痩せたか?」
「いや? 変わっていないと思うが」
「そうか? それなら良いが……。ああ、レオンに会ったぞ。今日はウールマン卿やヘルダーリン卿と会談だったようだ」
「ああ。聞いている。国防協定の件で会談をすると言っていた」
「ルディも此方に来ているから邸に誘ったのだが、首相との会食があるらしくてな。ぎっしり予定が詰まっていて、週末まで時間が取れないそうだ」
「レオンの立場なら仕方が無い」
   ロイは頷きながら、何気なく足を組む。その仕草に思わず眼を留めた。
   膝の上で手を組むその様は父に驚くほどよく似ていて――。
「どうかしたか?」
   私の視線に気付いて、ロイが問い掛ける。いや、と応えると、気になるぞ、とロイは返してくる。
「父上に似てきたと思ってな。その座り方を見ていると余計に」
   ロイはぱっと手を組むのを止めて、真面目な顔で言った。
「フリッツやパトリックが最近、よくそう言うんだ。……この間はヴァロワ卿まで言い出して……」
「ではやはり似てきたということだ。貫禄がついてきたのではないか?」
   そんなことはないさ――とロイは笑う。
「俺のことよりも、ルディは少し老成化しているぞ。このままでは仙人になってしまうのではないか?」
   アジア連邦の伝説上の存在を持ち出して、ロイはそんなことを言った。確かに仙人のように山奥には住んでいるが。
「安穏とした良い暮らしだ。空気も良い」
「満足しているのなら良いが。……物足りなさを感じていないのか?」
「まったく」
「第一線を行っていたルディがいきなり隠遁生活だったからな。一年ぐらいで飽きて此方に戻ってくると思っていたのだが……」
   邸を出る時、いつでも戻って来いとロイは言っていた。車が無ければ不便な場所で、人も少ないところだが――。
   私はあの場所が気に入っていた。
「静かな場所も良いものだ。庭に出ると、鳥の囀りも聞こえて来る」
「……俺としては邸に戻ってきてほしいが」
「お前は単に家の仕事を私に任せたいだけだろう」
「……参謀本部は結構忙しくてな。それに国際常備軍の方もあって、邸を留守にすることも多いんだ」
   時折、ロイから出資先企業のパーティに代理出席してくれないかと頼まれることがある。そんな時には快く引き受けていたが、どうやらロイの様子から察しても相当忙しいらしい。
「忙しい時には連絡をくれれば出来る限り手伝うが……」
「頼みたい……。ヘルダーリン卿に閑職に回してくれと頼んでいるところなんだ。だがヘルダーリン卿もヘルダーリン卿で、長官になれと……」
「成程。その様子だとヴァロワ卿も忙しいのだろうな」
「ウールマン卿が頻りに要請しているようだからな」
「長官就任をか?」
「ああ。ウールマン卿が早期退職したいらしく、後任を探しているんだ。そうなると、ヴァロワ卿しかいないだろう? ヴァロワ卿は固辞しているが、いずれ……という気もする。陸軍部は全体でヴァロワ卿を強く推しているからな」
「そうだな……。しかし、ヴァロワ卿を説得するのはなかなか骨が折れるだろうな」
「ああ。ウールマン卿ときたら、俺にも説得を頼んでくるんだ」
   ウールマン卿とヴァロワ卿の顔が浮かぶ。二人とも頑固だから、己の意志を曲げないだろう。
「そうだ。今日、レオンから聞いたのだが、テオが少将に昇級したらしい」
「テオが少将か。レオンも喜んだだろうな」
   レオンの弟のテオが優秀だということは、宰相在職中にヴァロワ卿から聞いていた。その頃はムラト次官の補佐を務めていたが、今も次官補佐なのだろうか。
「待っていてくれ。着替えてくる」
   ロイはそう言って、部屋を後にする。その途中で、ミクラス夫人と出くわしたようだった。二人の話し声が聞こえてくる。



   邸への滞在中は、出来るだけロイの仕事を手伝うことにした。書斎の机で、フリッツからの話を聞きながら、溜まっている書類を処理していく。こういう仕事は本当に久々だった。
「フェルディナント様。此方にお戻りになられませんか?」
   書類の処理を一通り終えた時、フリッツが何気なくそう言った。
「昨日、ロイにも求められたことだ。……忙しいと聞いたが、家の仕事に取り組む時間も無いのか?」
「ええ……。昨日の御帰宅は早かったのですが、日付が変わる頃に御帰宅ということもしばしばありまして……。それに此方にいらっしゃらないことも多いので、休日に纏めて処理して頂いております。そうなるとハインリヒ様がお休みする時間もなかなか……」
「そうか……。そんな状態だったとは知らなかった」
「参謀本部長と国際常備軍司令官を兼任なさっているためでしょうが……。こんな状態では御伴侶を見つけることも難しいですよ」
   成程、フリッツの心配は其処にあるのか。
「……そういえば、ロイがぼやいていたぞ。最近、フリッツも結婚結婚と五月蠅くなった、と」
「ハインリヒ様だけでは御座いません。フェルディナント様、貴方様も本気でお考え下さい。お二人とも縁談をお断りになってしまうのですから……」
   この年になると、ミクラス夫人だけでなく、家の者全員が五月蠅く結婚を勧めるようになる。何度か縁談を持ちかけられ、相手の女性と食事をしたことがあるが……。
「ロイも家のことは考えているようだ。先月だったか、私の所に来た時に後継者のことを気に掛けていた。フリッツ、お前達が気を揉むのは解るが、ロイとて考えていない訳ではない。いずれ結婚相手を連れて来るよ」
「……フェルディナント様は?」
「……いずれはな」
「そのお言葉、毎年伺っているように思いますが……」
   実のところ、去年、結婚まで行きかけた女性が居た。あることが理由で別れてしまったが――。


   フリッツの言っていた通り、ロイは帰宅の遅い日が多かった。これはロイが忙しい間は、私が此方に来た方が良いかもしれない。常備軍司令官はいずれ交替出来るだろうし、その任期が切れるまでの間は手伝った方が良いか――。
   邸に戻った四日目に、病院へと行った。月に一度の定期検診を受けなければならなかった。一通りの検査を終えたところで、トーレス医師が最近の具合を尋ねて来た。
「特に変わったことは無いが、加齢のせいか、身体が少し弱って来た気はする」
「フェルディナント様。具合が悪くなったらすぐに私をお呼びになるか、此方にいらして下さい」
「解った」
   異常は無いと言われたものの、トーレス医師は検査結果の数値を頻りに眺めていた。


[2010.8.21]