レオンはロイに劣らない運転で、時間を無駄にすることなく、様々な名所を案内してくれた。どれも帝国の文化とは異なっていて興味深く見て回った。
   この日最後の遺跡を見ていた時、レオンの携帯電話が鳴った。失礼、と言ってレオンは電話を取る。
「終わったか。……そうか、もう此方に来ているのか。それなら駐車場で待っていてくれ」
「弟御からの電話か?」
「テオで良いよ。今、此方に着いたと連絡が入ったんだ」
   レオンの弟はどんな人物か――、これまでにも何度かレオンの話のなかに登場してきた人物で、興味があった。ちょうど一通り遺跡を見終えたところだったので、早々に駐車場に戻ることにした。
   レオンの黒色の車の前に、レオンと同じぐらいの背丈の男が立っていた。レオンの弟に違いない。それによく似ている――。
「テオ」
   レオンが呼び掛けると、彼は此方を見て、背を正した。歩み寄り、敬礼する。
「テオ・アンドリオティス准将です。宰相閣下ならびに大将閣下にお会い出来、望外の喜びです」
   レオンを少し年若くした雰囲気の青年だった。敬礼を返し、自己紹介と握手を交わす。ロイも同じように挨拶を済ませる。それから四人で眺望の良いカフェに向かった。

「ではアンドリオティス准将はずっと本部に?」
「テオと呼んで下さい。去年、本部所属となったばかりです。それまで国境警備隊に居ましたので……」
   ロイの問い掛けに、アンドリオティス准将――テオはそう応えた。彼は本部転属と同時に准将へと昇格したらしい。ムラト次官の許で仕事をしていると言っていた通り、正式な次官付として任命を受けているらしい。
「兄弟揃って本部とは珍しいな」
   私がそう告げると、レオンは苦笑して言った。
「実は異例の人事だったんだ。本来ならテオが配属するのは別の部署だったのだが、其処の上官がテオを拒んでね。俺やムラト次官といつも意見を衝突させる人で……、まあ、保守派ということなのだが……。俺を嫌っているからテオのことも嫌ったようで、それで本部所属となったんだ」
「まだ……、対立は深いのか?」
「そう簡単には解消出来ないよ。根が深い問題だからな」
   どうやら共和国も傍からみると纏まって見えるが、内部には色々と問題を抱えているようだった。
   きっと何処の国もそうなのだろう。

「レオンとテオ……。面白い二人だったな」
   レオン達と一日を過ごし、アンカラ最後の夜をホテルで過ごしていたところ、ロイがグラスを傾けながら言った。
   ロイがレオンときちんと向き合って話したのは今回が初めてだったようで、それまでロイは何処かレオンに対して余所余所しかった。しかし今日一日で、ロイもレオンという人間が解り、名前を呼び合うまでになった。


   そして旅も終わり、私達は帰宅の途に着いた。ロイは翌々日からすぐに出勤したが、私は旅の疲れが出て、三日間寝込んでしまった。
   それでも――、旅行中は様々なものを見聞きした。映像や本等、眼で見るのと違い、全身で文化に触れた気分だった。その高揚感というか、今後への閃きのような感覚がまだ残っている。
   これから私が為すべきこと、それに少しでも役立てることが出来れば――。


「フェルディナント様。明日のお召し物をお持ちしました」
   部屋で明日の演説のための原稿を再読していたところへ、ミクラス夫人がやって来た。以前より少し痩せてしまったため、スーツを新調した。それを持って来てくれた。
「ありがとう」
「フェルディナント様、どうか御無理だけはなさらないで下さいね。私はそのことが心配です」
   私が復職すると言った時、ミクラス夫人は反対こそしなかったが、あまり良い顔をしなかった。私の身体を案じてのことだとは解っていた。
「半年……、長くとも一年だ。新議会を設置したら、私は宰相を退く。そうしたら、のんびりと過ごそうと思っている」
「この一年は忙しく動かれるということですね」
「宰相としての私の最後の仕事だ。勿論、体調には充分に気を付ける」
「その言葉、お忘れにならないで下さいね」
   ミクラス夫人に苦笑しながら頷く。
   あと14時間後には、全世界に向けての所信表明演説が待ち構えている。緊張していないといえば嘘になるが、緊張感よりも、何か新しいことに一歩踏み出すような――それに対する僅かな不安も混じっているような、そんな気分だった。



   四月一日、この日の朝は外が慌ただしかった。私の復職を控えて、マスコミが押し寄せていた。流石に嘗てのように徒歩で出勤することは出来ず、ケスラーに運転を頼んだ。
「気を付けろよ、ルディ。お前の命を狙っている奴等は多い」
   ロイは暫く単独行動を控えるよう告げた。合衆国と共和国で襲って来た男達は、極右であることが昨日、判明した。私を人質とし、皇帝の身柄と交換しようとしたらしい。
「解った」
「俺は午後の会議を終えたら、あとは執務室に居る。何かあれば連絡してくれ」
   宮殿に到着すると、オスヴァルトを筆頭に全員が迎えに出ていた。各省の長官に挨拶をし、今後への尽力を求めて握手を交わす。それからロイと別れ、宰相室に向かった。

「閣下。午前10時に閣下の所信表明演説があり、その後、各省長官の再任を行っていただくこととなっております」
   席に着くと、早速オスヴァルトが今日の予定を確認する。所信表明演説の原稿は何度も読み返すうちに憶えてしまった。私が各省長官の再任を行った後で、共和国との和解文書に調印する。その後、ヴァロワ卿が国際会議常備軍の司令官就任について演説を行う。
「各省長官は全員再任ということで宜しいですか?」
「ああ。今、人員を変えても混乱するだけだ」
「内務省のヴィルヘルム長官についても?」
「彼には私から話をする。議会設置について、特に尽力してもらわなければならないからな」
「解りました」
   打ち合わせを終えると、もう10時が近付いていた。所信表明演説は一階の大広間にマスコミを集めて行われる。その会場に向かっていると、廊下でヴァロワ卿と出くわした。
「今日の演説、控え室で楽しみに聞いているぞ」
「私こそ、ヴァロワ卿の演説を楽しみにしていますよ」



   午前10時になる一分前、会場に入る。カメラのフラッシュが一斉に瞬いた。演説台の前に立ち、原稿の一頁目を捲る。お時間です――と横合いから秘書官の声が聞こえた。
「帝国宰相、フェルディナント・ルディ・ロートリンゲンです。今日はマスコミ各社にお集まり頂き、感謝致します。このたび、政府要請ならびに連合国政府の要請に応じて、宰相への復職を決断し、本日をもって復職した次第です。帝国第2条第8項の皇帝権停止の際の宰相執政権を行使し、各省長官と合議の上で、戦後処理を執り行います」
   今回の原稿は、オスヴァルト以外には誰とも打ち合わせていない。そのため、各省の長官も今頃、それぞれの部屋でこの演説を見ていることだろう。
「まず、私の復職は新議会設置までの期間であることを申し添えておきます」
   会場にざわめきが走る。同時にカメラのフラッシュが瞬く。
「これまでの帝国に無い議会政治を設けるための暫定政府であり、新議会設置後は速やかに退任すること、このことをこの場をもって国民の皆様はじめ各省に宣言します」
   記者達の間から手が挙がる。秘書官が質問は後にするよう告げる。その手が全て下りたところで、次の話題に移った。
「続いて、新議会設置までの間に、旧領主家の各種の特権廃止を実現させます。旧領主家は帝国創立時から優遇されてきました。その特権が今、この帝国発展の足枷となっています。この国の新たな出発のためにも、旧領主層の特権廃止は避けられないと考えています」
   宰相閣下御自身も旧領主層ではないですか――と声が飛ぶ。静粛に、と秘書官が質問を制する。
「私も旧領主家の人間です。当家が所有していた領地は7年前に既に返還しています。また現在、旧領主家への税率優遇が認められていますが、これも全廃します」
   主立った政策について簡単に説明していく。記者達はそれを録音しながら、自らも熱心にメモを取っていた。
「では、これから暫定政府の各省長官の任命を行います。内務省長官にフランツ・ヴィルヘルム、財務省長官ヨーゼフ・マイヤー、司法省長官エルンスト・ハイゼンベルク、外務省長官ヴィンツェル・ウェーバー、軍務省陸軍部長官リーンハルト・ウールマン、同じく軍務省海軍部長官クリスト・ヘルダーリン、教育省長官アルフォンソ・ドーファン、環境省長官コンラート・ザリエル、開発省長官カール・シュミット。以上九名を再任します」
   その後、質問を受け付け、それらへの回答を済ませてから会場を後にした。すぐに連合国軍との調印式があったが、それまでの短い時間の間にも宰相室には各長官からの問い合わせの電話が鳴り続けていた。

   続く連合国軍側との調印式には、共和国軍代表としてレオン、連邦軍代表としてシヅキ長官、合衆国軍代表としてコーエン長官が出席していた。書類に署名を施し、最後に彼等と握手を交わし合う。
   レオンと握手を交わし合った時、カメラのフラッシュが一段と瞬いた。


[2010.8.9]