アジア連邦を抜けて、北アメリカ合衆国に入ってから、気温が上昇した。春先にも関わらず気温は33度に達していた。移動中の車内は常時エアコンを効かせて一定の温度を保っていたが、窓からの真夏のような陽射しには適わなかったのだろう。おまけに陽が暮れると今度は温度が20度近くも低下する。
   この暑さと気温差で、ルディは体調を崩した。連邦の首都北京を発って三日目のことだった。昨日のホテル到着後にルディは体調不良を訴えたので、早めに休んだ。
   そして今朝になって、少し熱を出した。医師にカルテを渡し診察してもらったら、今日の移動は取り止めてゆっくり休むよう告げられた。
「ルディ。果物を用意してもらった。食べられるだろう?」
   白い器に盛られた果物を手に、ルディの許に行くと、ルディは眼を開けてありがとう、と言った。ベッドからゆっくりと起き上がる。幸いにして熱はあまり高くなかった。移動は明日の調子を見てからになるだろう。
「気を付けていたのだがな。足止めさせて済まない」
「充分に余裕を持った旅程だから二・三日ぐらい大丈夫だ。無理せずに休んだ方が良い。それに先刻、ニュースで言っていたのだが、こんな温度差も珍しいらしい。だから体調を崩すのも無理は無いさ」
「だが大分良くなった。明日には移動出来そうだ」
「すぐに出立してまた体調を崩すのもまずいだろう。別に急いでいる訳でもないのだから、のんびり行こう」
   ルディは苦笑して、済まない、と告げた。果物を食べ終えてから、再び横になる。
「ロイ。折角、この国に来たのだから出掛けてくると良い」
「流石に俺もこんなに暑いと出掛ける気になれない。陽が暮れたら、一時間程外を散策してくるが……」

   本当は――。
   この国でルディを一人きりにしておくことに不安を感じていた。マスコミは連邦で上手く蒔いてきたつもりだが、何か視線を感じる。合衆国側が、ルディが入国したことを知って、接近を試みているのかもしれないが、時折感じるこそこそとした影の存在はどうも不気味さを禁じ得ない。
   ルディを一人きりにしない方が良い――。
   直感的に思う。ルディの体調が良くなり次第、早々に出国したいものだが、明日、出発するとなるとまたルディが体調を崩すのではないか。あと一日、此処に滞在した方が良いのではないだろうか――。



   夕方になると、ルディはすっかり快復したようで、上着を羽織って寝室から出て来た。最上階のこの部屋からは街の様子を一望出来る。夜になるとビルが灯りを放って華やかな街を彩ることだろう。
「ミクラス夫人から連絡があったぞ。熱は下がったと言っておいたからな」
   二時間前に、ミクラス夫人から電話が入った。ルディが体調を崩したことは昨晩の連絡で伝えてあり、大分心配させてしまった。熱が下がったことを伝えると、あと一日お休みするよう伝えて下さい――とミクラス夫人は言った。
「ありがとう。快復したと私からも連絡をいれておく」
「それからルディ、明後日の早朝に出発しよう」
「だがそれでは予定が大幅に狂うだろう。明後日には共和国に入国する予定なのだから……」
「予定のことは気にしなくて良い。共和国への入国日は一日遅れるが、アンドリオティス長官やムラト次官との会食にさえ間に合えば良い。それにアンドリオティス長官も都合が悪ければ、いつでも日程を変えてくれると言っていただろう?」
「それはそうだが……」
「明日一日、ゆっくり休むことにしよう」
   ルディは納得した様子で解ったと頷いた。


   部屋に食事を運んで貰い、ルディと食事を済ませてから、部屋の外に出た。
   予想通り、身を隠すように動く男が居る。目視の限り、三人の姿が確認出来る。
   エレベーターに向かう振りをして、部屋の前を離れる。俺の後をつけてくる男が二人、もう一人は部屋の前に居るということか。エレベーターに乗り込み、全ての階のボタンを押す。
   2つ下の階で降りて、誰も後を付けてこないことを確認してから、階段へと向かう。最上階のフロアに戻ってくると、案の定、部屋の前に男達の姿があった。一人が部屋の鍵を開けようと試み、二人が辺りを窺っている。
   風貌や言葉から、帝国の人間であることは明らかだった。一体何者なのか。
「私の部屋に何か用か」
   鍵の暗証番号を解こうとしていたその時、男達に向かって言い放つと、彼等はすぐさま此方を見遣った。
「鍵の交換に参りました」
「鍵の交換? そのようなことは頼んでいないが」
   此方の質問に答えた男の背後で、一人の男が上着の内側に手を遣る。拳銃を持っているのだろう。
「このようなところで事を荒立てたくない。早々に立ち去れ」
   失礼しました――と男の一人が丁寧に頭を下げる。だがその時、拳銃を取り出した男が銃口を此方に向けた。
「手を挙げて、床に伏せろ」
   言われた通り両手を挙げる。彼等のうちの一人が用心しながら近付いて来る。伏せろ、と男は頻りに促す。その男が一メートル手前までやって来た時。

   片足を大きく旋回させる。男の顔を蹴り上げ、その手から離れた拳銃を奪い取り、二人の男に向けようとすると、一旦は怯んだ男が再び立ち上がって、襲い掛かってきた。背後から取り押さえようとするのを交わす。男は失敗したと悟るや、仲間の許に駆け寄った。三人の男達が脱兎の如く逃げていく。
「拳銃を置いて……か」
   間違いなく帝国製の拳銃だった。おまけに軍で使用されているのと同じ拳銃で――。
   二ヶ月月前にヴァロワ卿を狙った者達の一派なのだろうか。あの時は今以上に殺傷能力の高い拳銃が使われていたが――。


「ロイ。何かあったのか?」
   ルディが扉の内側から姿を現した。騒がしさが部屋のなかまで聞こえたらしい。
「まあ……。少しな」
「何があった?」
「部屋を不法侵入されかけた。ルディ、用心して部屋を変えてもらおう」
   ルディは眼を見開いて、詳細を問い掛けてくる。それよりも先にフロントに連絡をいれて、部屋を変えて貰わなくてはならない。この部屋を借りたままにして、もう一部屋借りた方が良いだろう。


   しかしそれ以降、彼等が襲撃を仕掛けてくることもなかった。ホテルを出て車を走らせながら辺りを注意深く窺ったが、誰も後を追って来ない。車を順調に走らせ、共和国領へと入る。入国審査を済ませてから、首都アンカラへと向かう。
共和国も春先にしては随分暑かった。ルディの体調を考えて、涼しい場所で何度か休息を取った。
   その都度、周囲を窺ったが、誰かが後を付けている様子も無かった。


[2010.8.2]