右足の切断手術を受けたヴァロワ卿は、驚異的な回復力で周囲を驚かせた。
   先日、見舞いに行ったら、病室に居なかった。ロビーを歩いているのかと思い探したところ、階段でヴァロワ卿の姿を見つけた。手摺りに頼ることなく、一段一段を上がっていく。
   足下をふらつかせることもなく、確りとした足取りで歩いていた。その姿は怪我をする前とまったく変わりなくて――。
『これほど早く歩行出来るようになるとは思いませんでした……』
   挨拶よりも先にそう告げると、ヴァロワ卿は此方に気付いて、顔を上げた。
『面白いもので、足裏まで感覚がある。今迄の右足より動かしやすいんだ』
   階段を上りきり、私の前に立つ。退院日も決まった――とヴァロワ卿は嬉しそうに言った。
『来週の水曜日に退院する。それ以降は自分でリハビリだ。この調子ならば、走ることも難しくない』
『切断と聞いた時には驚きましたが、それ以上にヴァロワ卿の快復力に驚かされました』
『右足が動かなくなった時より、リハビリが楽だっただけだ』
   ヴァロワ卿はそうは言ったものの、相当なリハビリに励んでいることを医師から聞き知っていた。医師は歩ける状態になるまでひと月かかる――と考えていたらしい。それが今では義足と思えないほど自由に歩き回れるようになった。ヴァロワ卿は積極的にリハビリを行っていた。
   ヴァロワ卿は明確な目標を持っていた。それが支えとなったのだろう。きっとヴァロワ卿の目標も近いうちに達成出来るに違いない。
   そうして入院中に、ヴァロワ卿の公職停止期間も過ぎた。ヴァロワ卿は4月1日をもって軍務省に復職することが決定していた。


「ルディが決断してくれたことに感謝している」
   ヴァロワ卿の退院と時を同じくして、私も決断した。
   復職の意志をまずオスヴァルトに、それからレオンとフェイ次官に伝えると、皆、それを歓迎してくれた。
「もう一度この国のために力を尽くさせてもらう。……しかし、それは議会設置までの間と理解してもらいたい」
   レオンとフェイ次官はそれを了承してくれた。
   ヴァロワ卿と同じように、私の復職も4月1日ということになった。来月の10日に公職停止期間が明ける。その翌週にロイと共に旅行に行くことになっていた。暫しの息抜きでもあり、そして各国を周遊することで今後のこの国のために何か得られれば良いと考えている。



「スウェーデン王国からの船の席を確保しておいた。帝都からスウェーデン王国まではケスラーの運転で、アジア連邦到着後は俺が運転する。連邦と合衆国、共和国でのホテルも予約しておいた。一応準備は整ったと思うが、お前の方はカルテは?」
「トーレス医師に今日頼んできたから、来週の月曜に受け取りに行く」
「では問題無いな」
   忙しいだろうに、ロイは瞬く間に旅程を組んでくれた。当初はビザンツ王国からの海路を予定していたが、それでは帝都からの陸路が長いということで、スウェーデン王国から連邦行きの船に乗ることとなった。
「ありがとう。ロイ」
「大したことじゃない。予約自体はフリッツに頼んでおいたのだし、俺はケスラーに運転を頼んだだけだ」
   ロイは言いながら、グラスを持ち上げる。グラスのなかのスコッチを飲んで、満足そうに一息吐く。
「船での移動は揺れも少ないから問題無いと思うのだが、連邦から合衆国を横断して共和国までの道程が長い。その点だけが少し心配だが……」
「体調管理には気を付ける。それに合衆国もこの眼で見ておきたいからな」
「そういえば合衆国の大統領が、早速お前との会談を申し出て来たらしいな」
「ああ。4月の就任後に会談の予定が入った。4月に入ったらまずは共和国の首相、続いて連邦の首相、それから合衆国の大統領、スウェーデン王国の副宰相……。既に15件の会談の予定が組まれている」
「……まあ、予想はしていたが……」
「4月は忙しくなりそうだ」
「だが根は詰めるなよ」
   ロイに苦笑を返す。ロイは肩を竦めて笑い、またスコッチを飲んだ。




「フェルディナント様。具合が悪くなったら、すぐにお休み下さいね。それから……」
   旅行の前日、ミクラス夫人は念を押すように注意を始めた。
「無理の無い旅程だから大丈夫だ。具合が悪ければすぐに休むし、近くの病院に駆け込む」
「ミクラス夫人。俺が四六時中一緒なのだから心配は要らないだろう。何かあれば邸に連絡するから……」
   横からロイが苦笑してミクラス夫人に告げる。ロイも既に荷物を纏め、明日の出立に備えていた。
「ええ。ハインリヒ様と御一緒ですし、安心はしているのですが……。それでもやはり気になるものです」
「ならばミクラス夫人も一緒にどうだ?」
   私がそう告げると、ミクラス夫人はありがたいお話ですが、と背を正して言った。
「このお邸の管理が御座います。私は此方でお二人の旅行の安全をお祈りしております」
   旅程を組む際にもミクラス夫人を誘ったが、やはり同じことを言っていた。
   この邸のことはミクラス夫人やフリッツ、パトリックに任せておけば良い。何かが生じれば、ロイか私の許に連絡を寄越してくれる。
   この日は早めに休み、翌朝の出立に備えた。



   当日は晴天だった。私の復職についてはまだ伏せられていたから、邸の外に殺到することは無かったが、それでも数名が張り込んでいた。出来るだけ騒がれずに出立したかったから、ロイと私は裏口から徒歩で裏通りまで行き、其処でケスラーと合流した。
   車は北上を続ける。五時間程でハンブルクに到着する。ハンブルクで、ゲオルグと会うことになっていた。
   ゲオルグは私の回復を喜んでくれた。心配をかけたことと、4月から宰相に復職することを告げ、2時間ほど歓談してからハンブルクを後にした。
   ハンブルクからさらに北上するとスウェーデン王国との国境にさしかかる。パスポートを提示して国境を通過し、この日は近くの町に泊まった。思ったほど疲れは感じていなかった。翌日、再び車で北上し、国際港を目指した。

「あの船だな」
   ロイがチケットを見ながら港に停泊中の一隻の船を指し示す。大きな客船だった。
「それではフェルディナント様、ハインリヒ様。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
   荷物を下ろし乗船手続きを終えると、ケスラーは一礼して見送りの言葉をかけてくれた。
「ありがとう。気を付けて邸に戻ってくれ」
   ケスラーに礼を述べ、それからロイと船に乗り込んだ。
   本格的な旅が始まったような、そんな気分になる。


[2010.7.17]