オスヴァルトがやって来たのは、それから十分経ってからのことだった。
「閣下! お待たせして申し訳ありません……!」
「いや。私こそ、忙しい時に済まない」
「閣下とお話したいと思っていたところです。体調も良好だと大将閣下より窺っていましたが、随分お元気になられた御様子に安堵致しました」
「心配をかけた。最近は少しずつ外出をして、身体をならしている。……今日はオスヴァルトから色々話を聞きたくて時間を割いてもらった」
   オスヴァルトは笑みを浮かべて頷いた。
「国政の内情を差し障りの無い程度で教えてくれないか?」
   オスヴァルトは驚くこともなく、解りました、と応えた。一度中座して、書類を数十枚携えてくる。
「閣下が収監されてから、副宰相としての私の権限も大分制限されました。陛下の一存で全てが決められてしまうようになり、私はその事務処理のみを担当していました。終戦後は連合国側との協議で万事進めてきましたが、私は決定権を持ちません。この国の根幹を変えるには、どうしても閣下の復帰が必要となります」
「連邦のフェイ次官からも説得されたことだ。……それで外政状況と財政状況は?」
「一言で申し上げるとどちらも芳しくありません。南部リビアとアルジェリアが領域南部の奪還を目指して北上するとの布告を発してきて、外務省と軍務省が対応に追われています。また、これはアジア連邦や北アメリカ合衆国も言っていることですが、貿易関税の引き下げを提示しています。この件については次の国際会議でも議題に上るかと……」
「関税引き下げは行わざるを得ないだろうな……。旧領主家の関税特権を全廃させる方向に持っていき、関税率を一律にすれば不満も消える」
「その旧領主家ですが、議会の議員達が旧領主家の代弁者となっているので、此方で提示した案がなかなか通らないのです……」
「そうだったな。議会のうち何人かは旧領主家とは関係のない者達ではあるが、少数派だ。必死に事態を好転させようと尽力している彼等に申し訳無いが……、一旦解散する必要があるのだろうな」
「ですが閣下、議会の解散権は内務省長官のヴィルヘルム長官にありますので、これも実現出来ない状態です」
「ヴィルヘルム卿は守旧派だからな。旧領主家……、なかでもフォン・シェリング家との縁が深い方だ。旧領主家の特権を守ろうとするだろう」
「連合国側もヴィルヘルム長官に手を焼いているようです。一度はヴィルヘルム長官排除の方向に進みましたが、旧領主家の当主が大反発して、連合国側の意見を退けたのです。これ以上の内政干渉は耐えられない――と言って」

   成程――。
   レオンやフェイ次官が苦慮する訳だ。旧領主家が内務省側についているのだろう。
「閣下……。どうか、此方に御復帰下さい。ロートリンゲン大将も御復帰なさり、ヴァロワ大将も御復帰が決まったと聞いております。閣下、この国はこのままだと内側から崩壊してしまいます」
「……現状での憲法改正は出来ないのか? 暫定法でも良い。各省の合議で決定権を得ることは不可能か?」
「皇帝ならびに宰相不在の今は無理です。マイヤー長官をはじめ、合議での決定権に賛同いただいたのですが、やはり此処でもヴィルヘルム長官が反発して……。それに一度は選挙を行う予定だったのですが、それもヴィルヘルム長官と守旧派達が強く反発し、頓挫しました」
「……ヴィルヘルム卿の狙いは見えるか? ……いや、それは愚問か」

   今になって気付いた――。
   ヴィルヘルム卿はフォン・ルクセンブルク家に皇統を移すことを考えているのだろう。だからヴィルヘルム卿には守旧派がついているに違いない。
   内務省にはフレディ・フォン・ルクセンブルクが居る。皇帝の弟、ヨーゼフ・フォン・ルクセンブルクの長男である彼は、系統としては次期皇帝に相応しい。しかもその母親はフォン・シェリング家の――、フォン・シェリング大将の姉にあたる人物だった。フォン・シェリング家が事実上消失したとはいえ、フォン・ルクセンブルク家に吸収してもらうという手段もある。
「フレディ・フォン・ルクセンブルクの皇帝即位。これが目的でしょう。考えるだけで身の毛もよだちます」
   以前、オスヴァルトはフレディ・フォン・ルクセンブルクのことを酷評していた。父親の名を借りて、やりたい放題なのだと。
「……宮殿は何も変わらないな」
「閣下……」
「新しい議会の発足、それによって決められた首相――その体制による国家作りが理想的だと思うが、皇帝を退けても内部はなかなか変わらない」
   やはり私が宰相に復帰しても同じことだろう。一人の力では何も変えられない――。

「閣下。ですが、選択肢が出来たのだと私は考えています」
「選択肢?」
「この国がこれからどのような途を選ぶのか……。これまで国政に関して、国民には殆ど知らされていませんでした。今は連合国軍側からもたらされる情報で、国民もメディアを通じて情報を得ることが出来ます。様々な情報を得れば、フレディ・フォン・ルクセンブルクを支持するとも思えません」
   選択肢――か。
   そう言われればその通りだと思う。これまでと変わったところもある。皇帝によって全てが握りつぶされることが無いのだから――。
   その他に財政に関わることを尋ねると、オスヴァルトは快く教えてくれた。
「ありがとう、オスヴァルト。色々と参考になった」
「御復帰なさっていただけますか……?」

   曇りが晴れたようなそんな気がした。
   私の為すべきことが見えてきた。

「まだ連合国側には伝えていないが、その方向で意志を固めるつもりだ。この混乱状態を私が復帰することで瓦解出来るのなら……」
「閣下……! その言葉をお待ちしておりました」
「だが復職するにしても、新議会発足までの間だ。私が為すべきことは旧領主家の特権停止と新議会の発足だ。だから長くとも一年しか在職しない。短い期間だが、もし復職することになったら……、また私を支えてくれるか?」
「力を尽くさせていただきます」

   気付けば二時間もオスヴァルトと話していた。忙しいなか済まなかった――と最後に告げると、嬉しい話を頂きましたから、とオスヴァルトは微笑んで言った。


   この日はそのまま帰宅した。オスヴァルトから聞いた話をもとに、旧領主家の特権廃止に向けての政策を考え、新議会発足のための法案を練っておく必要がある。それらが大体どのくらいで決められるか――。
   紙に為すべきことを羅列していく。ミクラス夫人が夕食の時間を告げに来るまでそれに没頭していた。


   大体――計算出来た。
   早ければ半年、ヴィルヘルム卿の説得に時間がかかるとしても一年あれば充分だ。新議会を設置し、首相を擁立することが出来る。
   旧領主層の特権廃止となると、反発があるだろう。それは国民の力を借りれば良い。この国は既に皇帝の権限を失っているのだから、国民投票のうえ国民の意志を反映させることが可能だ。

「裏口で足止めを喰らったんだって? ルディ」
   この日、帰宅するなり、ロイが苦笑しながらそう話しかけてきた。
「ああ。大変だった。お前に電話しても、オスヴァルトに電話しても繋がらない。それでレオンに頼んで身元証明を……」
「ああ。アンドリオティス長官から聞いた。会議中だったんだ。ルディに電話をかけようとしたら、アンドリオティス長官とばったり出会って……。事の次第を聞いたんだ」
「帰りはすんなり通してくれたのだがな。厳重な警備体制だった」
「お前の名を語って侵入しようとした者が何人か出たらしい。……ところで、オスヴァルトと話は出来たか?」
「ああ。色々な話を聞くことが出来た。……それで、ロイ」
   ロイに復職の方向で意志を固めつつある、と告げると、ロイは安堵した笑みを浮かべた。
「ルディならそう決断すると思った」
「このことはレオンやフェイ次官には私から直接伝えるから……」
   ロイは解ったといって、私の肩をぽんと叩いた。
「俺はお前の決断が間違っていないと思う」
「……ありがとう。ロイ」
   今回、決断の糸口をくれたのはロイだった。ロイが踏み出さなければ、私も復職しようとは思わなかった。
   私に為せることを成し遂げて、それから――。
   それから潔く身を退こう。
   胸の内がすっと晴れていく。


[2010.7.16]