第18章 新たな日々へ



   オスヴァルトの予定を聞いてきて欲しいと言った日の翌日、ロイは昼過ぎに私に連絡を呉れた。オスヴァルトが今日の午後四時なら空いているという。その時間を確保してもらうこととなった。
   三時半を過ぎてから、車で本部へと向かう。邸の外に居るマスコミも後をつけてきていた。本部正面にもマスコミが居るだろう。今回は出来ればマスコミに騒ぎ立てられたくなかった。そのため、裏口に車を停めてもらい、其処から中に入ろうとした。

「身分証明を」
   裏口の前に居た連合国軍側の兵士が、無情にも身分証明の提示を求める。テロ対策のためなのだろうが――。
「副宰相と面会するため此方に来た。フェルディナント・ルディ・ロートリンゲンだ。副宰相に連絡をいれるか、それとも軍務省に弟が居るから、身許を照合してほしい」
   二人の衛兵達は不審な視線を此方に向けながら囁き合う。軍服から察して、アジア連邦の軍人のようだった。
「身分詐称は犯罪となる。先日も宰相の名を語り、侵入を試みた者が居た。宰相がこのような裏口から入る訳が無いだろう」
「……マスコミ各社が騒ぎ立てるから裏口に回ったのだが……」
「前に此処に来た男もそう言って、私達を騙そうとした。今ならば罪を問わないから、即刻立ち去れ」
「……宰相室に連絡をいれるか、軍務省に連絡をいれてくれ。私の身許はそれで明らかとなる」
「時間の無駄だ。ほら、さっさと帰れ」
   参った――。
   正面から入るべきだったか。折角マスコミを退けることが出来たのに、こんなところで足止めを喰らうとは――。
「……解った」
   胸元から携帯電話を取り出し、その場でオスヴァルトに連絡をいれる。ところが忙しいのか、オスヴァルトがなかなか出ない。続いてロイに連絡を取ってみた。ロイも忙しいのか、携帯に出てくれない。

   困った。
   中に入りさえすれば、私が偽者ではないと解ってもらえるのに、中に入ることが出来ない。ロイかオスヴァルトに証明してもらうのが良策だが、二人とも忙しいのだろう。宰相室の電話もずっと通話状態で繋がらない。
   仕方が無い。あと一人――、今この本部に居る筈のレオンに事の次第を伝え、証明してもらうしかない。
   携帯電話を操作して、レオンにかける。衛兵達二人は未だ諦めない私を呆れ果てた視線で見ていた。
   これでレオンが電話に出てくれなかったら、正面から入る以外に手段が無くなる。そうなるとマスコミが殺到するから、今日の予定は取り下げてもらって日時を改めるしかない。

   8回ほど呼び出し音を鳴らし、半ば諦め掛けた時、レオンが電話に出てくれた。
「ルディ。こんな時間に珍しいな」
「レオン。済まないが頼みがある。実は今、本部の裏口に来ているのだが、衛兵達に身元証明を迫られて困っている。彼等を説得してもらえないか?」
   此方に来ているのか――とレオンは驚いた様子で言ってから、すぐ此方に来ることを告げた。これで中に入れると安堵しながらも、わざわざレオンに此方に来て貰うことに申し訳なさを感じた。電話での照合は出来なかったのだろうか。

   五分ほど待つと、レオンの姿が見えた。当然のことだが、共和国軍の軍服を纏っていた。足早に歩み寄って来る。衛兵達はレオンの姿を見て、すぐさま背を正し敬礼した。
「新トルコ共和国軍部長官レオン・アンドリオティス大将だ。その方の身許は私が証明する。お通ししろ」
   このレオンの一言で、衛兵達は驚きと狼狽の視線で私を見、失礼致しました――と最敬礼した。レオンは私を見て、済まない――と言った。
「警備を強化しているんだ。特に裏口からはIDが無ければ入れない」
「私こそ呼びつけてしまって済まない。オスヴァルトと面会の約束を取り付けていたのだが、オスヴァルトもロイも電話に出られない状態のようで……」
「……副宰相と面会?」
   レオンは軽く眼を見張った。
「ああ。少し話をしようと思って此方に来た。正面はマスコミが殺到しているから、裏口から入ろうと思ったらこの通りで……」
   レオンは苦笑して、災難だったな、と告げた。歩きながら語らい、漸く建物の中へと入る。
「副宰相と話をするということは、事態が良い風に動いていると解釈して良いのかな?」
   レオンに問われて思わず答えに窮する。凝と見つめるレオンに、ありのままを伝えることにした。
「……私に出来うる限りのことは努めたいと思っている。だが、私が本当にこの国の力となれるのかどうか、今日はそれを見計らうために此方に来た」

   本部の中――旧宮殿の中は、連合国軍の将官達が行き交っていた。レオンの姿を見ると、背を正して敬礼する。レオンは彼等に敬礼を返しつつ、私を見遣って言った。
「良い返事を待っているぞ、ルディ」
   レオンと階段の前で別れ、二階へと上がっていく。二階にはスーツを纏った官吏達が行き交っていた。忙しなく行き交う様子からも、忙しさが察せられる。
「……宰相閣下……!」
   その言葉に不意に足を止めて振り返った。財務省長官ヨーゼフ・マイヤー卿だった。マイヤー卿は進歩派でよく意見を交わし合った。皇帝から死罪を言い渡された時、司法省のハイゼンベルク卿と同様に、助命嘆願をしてくれた一人だった。
「マイヤー卿。謁見の間では助命嘆願していただき、どうもありがとうございました」
「だがその代わりにアクィナス刑務所収監となられた。私は何も出来なかったのと同じです」
「あの場で死罪とならなかったから、今の私が在るのです。本当に感謝しています」
   長官、とマイヤー卿は声をかけられる。少し待ってくれ――と彼は返した。
「ところで、今日此方にいらっしゃったのは……?」
「オスヴァルトと話をしたくて参りました。忙しい中、時間を割いてもらうのも心苦しかったのですが……」
   そうでしたか――とマイヤー卿は言ってから、宰相閣下、と私を見つめて言った。
「私も色々お話したいことがある。だが何よりも、早々に此方に復帰して頂きたい。誰もがそれを望んでおります」
   それでは失礼します――とマイヤー卿は一礼して去っていく。どうやらこれから会議のようだった。


   宰相室はこの階の奥にある。皇族の居住区である場所に接していて、其方に向かって宰相室の前に立つ。
   此処に来るのも久しぶりだった。レオンを収容所から脱出させてから、一度も足を踏み入れていない。

   扉を叩くと、秘書官の声が聞こえる。ゆっくりと扉を開き、久しぶりの宰相室を見渡した。
「閣下……!」
   その場に居た秘書官達が一斉に駆け寄って来る。副宰相閣下からお話は聞いていました――と一人が言った。
「ありがとう。皆には迷惑をかけた」
「閣下こそ、大変な目に遭われたことでしょう。お身体はもう大丈夫なのですか?」
「ああ。この通り回復した」
「どうか御無理なさいませんように。あ、副宰相閣下はビザンツ王国の宰相と電話会談中です」
「忙しい時に邪魔したな」
「いいえ。いつものことですから……。どうぞ、此方におかけになってお待ち下さい」
   奥のソファへと案内される。時計の針は午後三時ちょうどを示していた。


[2010.7.15]