「その頃ならちょうど良い。俺も一度共和国に戻る時期だ」
   3月中旬に共和国に行く予定だとレオンに話したら、レオンはそう言った。年末に一度共和国に戻って、その次に戻るのが3月中旬のことらしい。
   今日はレオンが邸に来ていた。休日ということで、私の具合を尋ねながら、此方に足を運んだようだった。連合国の臨時作戦本部はまだ相当、忙しいらしい。
「そろそろ撤退の時期を見計りたいところだと、フェイ次官とも話をしているが……」
   ちらと私を見遣る。苦笑を返すと、レオンは咳払いをひとつして、私を見た。
「復職してくれないか? ルディ」
   黙っていると、レオンはこの国のためだ、と念を押すように言った。
「君の弟も復職してくれた。この国のために力を尽くすと言ってな。あとは君とヴァロワ卿なのだが……」
「解っているんだ、レオン」
「ルディ……?」
「私が復職することでこの国が得る利益と不利益……。このところ毎日それを考えている。今の私には、私が復職することでこの国が将来的に不利益を蒙るように思えてならない」
「何故、そうだと?」
「いつも言っているように私は旧領主家の人間だ。そして、皇帝に仕えた一番近しい人間でもある。それでは頭のすり替えだけで、この国は全く変化していないことになるではないか」
「皇帝の価値観とルディの価値観は明らかに違う。もし皇帝が君の話に耳を傾けていたら、一番平和的な方法でこの国を民主化出来ただろう。君自身、それを望んでいた筈だ。自分の血統を永続させようとする皇帝とまるで違う」
「皇帝と私と目指すところは違っていたとはいえ、国民にとっては同じことだ」
「国民はお前の復職を望んでいる。いつだったかのニュースでアンケート調査が出ていたが、ルディの復職を望む声が7割を超えていた。見なかったか?」
見ていない。そのようなニュースがあったことも知らなかった。
「ルディの公職停止期間が明けるのが3月10日、俺は君が4月から宰相として復帰してくれることを祈っている」
   一時間程語り合ってから、レオンは帰っていった。




   一日一日が淡々と過ぎていく。
   ロイは毎日、軍務省へ行っている。何やかやと忙しいようで、帰宅は遅い。
軍内部にはまだフォン・シェリング大将こそが正義だと仰ぐ一派が居て、現上層部を陥れようと考えているようだった。狙われているのはヴァロワ卿だ――と昨日、ロイが言っていた。
『ヴァロワ卿が入院していた頃も、医師に扮してヴァロワ卿の命を奪おうとした者が居たんだ。第七病院には警備を徹底していたにも関わらず、外部者が侵入出来た。ヴァロワ卿の自宅に侵入するのは容易いだろう』
   そのため、ロイはヴァロワ卿に内緒でトニトゥルス隊のカサル大佐以下数名を護衛に付かせているらしい。それもヴァロワ卿が入院している時からずっと、カサル大佐はその任務に当たっているようだった。フェイ次官と相談してのことだったと言う。
『此方に身を置いてくれるのが一番良いのだが……』
『私から誘い出そうか?』
『無理だと思う。一人でのんびり過ごしたいのがヴァロワ卿の本意だから……』

   そんな話を交わしていた矢先、ヴァロワ卿の自宅に暴徒が入り込んだ。カサル大佐がすぐロイに連絡を入れ、応戦してくれたおかげで、暴徒達は全員捕縛することが出来た。そのうえ彼等から首謀者を聞き出すことが出来た。
   首謀者はフォン・シェリング大将に近しい中将だった。だがおそらく、彼一人ではないだろう。ヴァロワ卿の命を狙う者はまだ居る。
   ヴァロワ卿はアントン中将の姪であるフィリーネ・ルブランと共に、一日だけロートリンゲン家に身を置いた。その時のヴァロワ卿の様子は何か吹っ切れたような顔をしていて、すぐに察することが出来た。
   ヴァロワ卿はきっと復職の意志を固めたのだ――と。
   そして思った通り、ヴァロワ卿は復職することを決めていた。


   私だけが、未だ何も決められないままだった。
   否――、一度は復職すまいと決めていたのに、揺れている。

   いや――。
   解っている。決めかねているだけで、復職しないと断言出来ないことは解っていることだ。
   この国のこの事態をどうすべきかは、具体的にどのような策を講じれば良いのかということさえも解っている。
   同時に、何も進展しない現状を歯痒くも感じている。



   この日も、ロイが帰宅したのは午後11時を過ぎてからだった。
「お帰り、ロイ」
   今日はリビングルームでロイの帰宅を待っていた。ロイから政府の様子を聞きたかった。
「まだ起きていたのか?」
「身体のことは心配無い。お前こそ連日、御苦労様」
「まったく省のなかでも軍務省は比較的纏まっているとはいえ、為すべきことが多い。来週、西部に視察に行くことになった」
「そうか……。攻め入るには今が好機だからな……」
   ロイは上着を脱いで、私の向かい側に腰を下ろした。程なくしてミクラス夫人がハーブティを持って来てくれる。お早くお休み下さいね――と私とロイに言ってから、部屋を去る。ロイはハーブティを一口飲んでから言った。
「国内の諸事を処理しつつ、早々に常備軍の人員も決めなくてはならない。特務隊から数名引き抜こうとは考えているが、現状の部隊を乱さないようにと考えると人選が難しいんだ」
「そうだな……。他省はどうだ?」
「内務省が一番紛糾しているようだ。二進も三進もいかない状態らしい。財務省はこのままだと財政破綻すると言って宰相室に駆け込んできたと、オスヴァルトが言っていた。……そのオスヴァルトから聞いた話で、まだ公表されていないが、フォン・シェリング家から援助を受けていた銀行がふたつ経営破綻間際らしい」
   銀行が経営破綻したとなれば、市場も荒れる。何とか再建してほしいものだが――。
「国からの支援は?」
「今のところ、考えられないそうだ。財務長官のマイヤー卿が無理だと言っているらしい」
旧領主家がひとつ失われたことで、これだけ事態が切迫するということだろう。      旧領主家を解体するまでの素地がこの国にはまだ出来上がっていない。
   抜本的に制度を入れ替えなければならないのに――。
「……ロイ。オスヴァルトとはよく会うのか?」
「うん? ああ。常備軍の話で外務省のウェーバー長官と共にな。どうかしたか?」
「オスヴァルトに私が話をしたいと言っていたと伝えてくれ。いつでも構わないから少し時間を取って貰えないか、と。オスヴァルトの予定に合わせ、私が本部に出向くから……」
   ロイは驚いて私を見つめた。復職するのか――とすぐに問う。
「オスヴァルトから話を聞いてからだ。私が復職することで本当に解決出来る問題ならば……」
「解った。伝えておく」
   ロイは笑みを浮かべて頷いた。


[2010.7.14]