地下書庫に行くと、ひやりと冷気を感じた。邸内は一定の温度が保たれているとはいえ、この地下書庫は本を保存するために少し気温を下げてある。
「ルディ」
   広い書庫に並ぶ書棚の間を見遣りながら声をかけて歩く。自分の声が響き渡る。ロイ――とルディの声が返ってきた。やはり此処に居た。
「ルディ。何処に居る?」
「一番奥の棚だ」
   声と共に通路の一番奥からルディが姿を現す。どうした――と問われる。
「ミクラス夫人が探していた。少し休むように、と」
「ああ。もう少し読みたいものがあるんだ」
   ルディは本を開いたままそう言った。随分古い本のようだった。一番奥にあるということは、初代当主が集めた本だから相当古いことには違いないが。
「此処では寒いだろう。上に持っていったらどうだ」
「ああ。そうだな」
   言いながらも、ルディは字面から眼を放さない。多分、此処から動く気は無い。
「上に行こう。身体が冷える」
   ルディの開いていた本の上に掌を置いて、読むのを制す。ルディは顔を上げて、もう少しだ――と苦笑を浮かべた。
「ルディのもう少しは当てにならない。それに上でも読めるだろう」
「まだ此方の本にも眼を通したい。だから……」
「だったら俺が上に持っていく。ほら、行くぞ」
   積み上げられていた五冊の本を持って、片手でルディの手を引っ張る。随分、長い時間この地下室に居たのだろう。その手は冷え切っていた。
「身体も冷え切っているだろう。また風邪を引いたらどうするんだ」

   漸くルディを引き連れて一階に上がる。ルディは本を読み始めたら止まらない。時間が過ぎるのも解らなくなる。ヴァロワ卿もそうだが。
「フェルディナント様。この時間はお休み下さいと申し上げた筈ですが?」
   ミクラス夫人がすぐにやって来て、ルディにそう言った。今から少し休むつもりだ――とルディは苦しい言い訳をする。ミクラス夫人もルディのそうした態度には慣れきっていた。
「そうですか。でしたら、ハインリヒ様、その御本は暫くハインリヒ様がお預かり下さい。フェルディナント様がお休みになるまで」
   苦笑して解った、と応える。昼寝までせずとももう身体は大丈夫だ――とルディは不平を言った。
「いけません。折角、順調に回復なさっているのにまたお身体を壊したら、私は亡くなった旦那様や奥様に顔向けが出来ません」

   結局、ルディが折れて暫く自室で休むことになった。ミクラス夫人は心配性だ――とルディは呟きながら、服を着替えてベッドに横たわる。その時、小さなくしゃみを漏らした。
「そのくしゃみ、身体が冷えている証拠だろう。ベッドで大人しく一時間ぐらい暖まっていろ」
   流石にルディも言い返せない様子だった。渋々といった態で眼を閉じる。しかしすぐに眼を開いた。
「ロイ。このところずっと邸に居るが……」
「うん? ああ。別に本部に行く用事も無いからな」
「……お前はまだ連邦に軍籍があるのだろう」
「辞職願は提出済みなのだがな。まあ、フェイに呼ばれれば行かなくてはならないが……」
「……そうか……」
   ルディは何か言いたそうに暫く俺を見ていたが、それを止めたように口を閉ざした。

   お前は復職しないのか――と俺自身も言えなかった。公職を停止されている訳でもない俺が復職せず、それをルディに求めるのは理に合っていないようで――。
   ただ沈黙した。

   復職に関しては、いつものようにはルディに相談出来なかった。ルディ自身にも関わることであったから。
   そう解っている。
   それでも――。

「……ルディ」
   暫しの沈黙の後に呼び掛ける。ルディ――ともう一度呼び掛けようとした時、ルディが眼を閉じていることに気付いた。どうやら眠ってしまったらしい。
   ミクラス夫人が休むよう促した筈だ――。
   動けるようになったといっても、まだ身体が回復しきっていない。
   音を立てないようにルディの部屋を出て、自室へと戻った。テーブルの上にはルディが選んできた本が積み上がっていた。あとでルディの部屋に持っていこう――。

   それにしても、熱心に何を読んでいたのだろう。
   表紙を見てみると、政治や経済に関する本、思想書、と如何にもルディらしい書物ばかりだった。300年前の書籍のようだが、ルディは一体何故これらを選んだのだろう。
   一冊を開いてみると、300年前の惑星衝突後の混乱について詳細に書かれてあった。この国が帝政に至った過程、一方で生じる反乱――。

   ジュニアスクールでも士官学校でも一度は習う歴史だった。この混乱期に、人々は強い指導者を求めて君主制を支持した。だがそれには強い反発があった。連邦や合衆国のような東側諸国は当初から民主制を敷いていた。それに対して、この国の前身である新ローマ王国やブリテン王国は君主制を主張した。そしてなかでも新ローマ王国は次第に勢力を拡大していき、帝国へと変貌する。
   ルディは何故今更こんなものを――。

   別の一冊を開いてみる。今度はもっと古い惑星衝突前の書物だった。惑星衝突の影響で残存しているものが少ない貴重書籍のひとつだった。
   文字は帝国語ではなく、その当時の公用語で書かれてある。少し読みづらいが読めないこともない。字面を追っていくと、民主制について書かれてあった。ぱらりぱらりと捲っていくと、利点や欠点が詳細に書かれてある。その当時の問題点も綴られていた。
   何を探ろうとしているのか――。

   否。
   明らかなことはひとつある。ルディも悩んでいるのだろう。
   復職すべきかどうか。
   それにこの情勢を憂慮しているに違いない。

   ならば俺は――。
   俺の為すべきことは――。


[2010.7.2]