俺はどうすべきなのか――。
   帝国軍への復帰、国際会議常備軍司令官への指名――。
   フェイやアンドリオティス長官は復職を求める。ヘルダーリン卿もウールマン卿もこれまで数えきれぬほど、復職を求めてきた。
   だが、俺はルディと同じ考えを持っている。旧領主層である俺達は今後、政府の中心に居てはならない。俺達の存在が、民主化を阻んでしまうのではないか――と。

   その一方で迷いもある。
   後悔ばかりに囚われている。
   帝国に戻って来てから、後悔ばかりだ。自分自身が情けなくて――。
   俺はこの国の大事の時に何も出来なかった。そんな俺に、帝国軍から再度の要請が来ている。

   どうすれば良いのか――。
   俺は――どうしたいのだろう。
   今もまだ何も決められない自分が情けない。


   俺はこのままロートリンゲン家の管理をしながら、静かに暮らすつもりだった。
旧領主家解体はそう遠い話ではないだろう。たとえ解体となってもこのロートリンゲン家は、特権の上に成り立ってきた訳ではないから、ひとつの家として残ることは可能だった。

   ロートリンゲン家は言うならば、ひとつの大きな企業のようなものだった。貿易を中心に得た利益で文化事業を行っている。祖父の代に投資した貿易会社が帝国で一大企業となっており、その企業の配当を受け、また別に出資した会社が大きくなっていったこともあって、財源は未だ潤沢にある。
   祖父にはおそらく、そうした先見の明があったのだろう。祖父の代の出資は全てが成功している。祖父は相当な利益を得、文化事業へのさらなる出資を進め、父がそれを受け継いできた。その父が後援した美術家も近年になって高い評価を受けている。

   もし旧領主家が解体となって、土地家屋の返上を求められたとしても、ルディが言っていたように、それを買い取るだけの資金は充分にある。そしてその資金は旧領主家の特権によって得たものではないから、資金凍結ということにもならないだろう――。
   まったく祖父も父も、いつかはこうなることを予期していたのではないだろうかと思わずにいられない。
   そう考えてみると、ロートリンゲン家は俺が心配することは何も無いか――。


   復職――か。
   開け放った窓から冷たい風が入り込む。ミクラス夫人が入って来たら窓を閉めるよう促すだろうが、頭を冷やすにはこれぐらいの冷たい風が心地良かった。

   復職ということに関しては、俺一人だけの問題ではない。一番気に掛けているのはそのことだ。
   俺よりも復職すべき人間が居る。
   ルディは――。
   ルディはこの国にとって……。


   コンコンと扉を叩く音が聞こえる。
   ルディかと思ったら、フリッツだった。少々お時間を頂けますか――と問われる。
「ああ。どうぞ」
   フリッツは手に書類を持っていた。机の置いてある方へと向かおうとすると、御報告だけですので――とフリッツは言った。
「では此処で聞こう」
   ソファに腰を下ろし、向かい側に座を勧める。フリッツは失礼します――と言って、腰を下ろし、書類を見ながら話し始めた。
「児童福祉施設への献金の件、滞りなく済みました。施設の方から、感謝の手紙が届いております」
   そう言って、フリッツは封筒を差し出す。毎年、クリスマスが近くなると児童福祉施設に子供達にプレゼントを買うための献金を行っていた。その返礼が来たのだろう。
「クリスマスか……。今年は色々なことがありすぎたな」
「そうですね……。使用人達も皆、そう申しております」
「皆にも迷惑をかけてしまったからな。ルディの公職停止期間が明けたら、邸内でささやかながら内々のパーティをと考えている」
「お気遣いありがとうございます。……実は私どもの方でも、ハインリヒ様の御帰還とフェルディナント様の快気を祝う席の準備を進めていたところです。このクリスマスに」
   驚いてフリッツを見返すと、フリッツは笑みを浮かべて言った。
「勿論、フェルディナント様の公職停止期間中であることを踏まえておりますが、ハインリヒ様もお戻りになり、フェルディナント様も回復されつつある……、それを邸内でお祝いするぐらいなら構わないかと存じます」
「……ありがとう」
   その他、ロートリンゲン家に届いた手紙についての報告を受けた。何も変わりは無かった。フリッツは報告を終えると、この部屋を去っていく。
   再び窓際に移動した。空の色はどんよりと暗かった。


   こうして考えてみると、今更手立てを講じなくとも、この家のことは何も心配無い。
   俺が力を注がずとも、これまで通りの方法で生き残っていける。
   たとえ――、俺が後継者を得ずとも、せめて俺の代までは残すことが出来る。今、この家に勤める使用人達のためにも。

   だから――俺が復職しても問題は無い。だが、俺よりも復職すべきはルディだ。
   この国には今、ルディの力が必要だ。今こそルディが能力を発揮すべき時だ。フェイやアンドリオティス長官がそれを求めるのは頷ける。ルディが復職すれば内政の混乱は間違いなく収まる。
   しかしルディは復職しないという意志が俺よりも強い。おまけにルディは頑固だから、どんなに人に請われようとも、自分が納得しない限りは復職しないだろう。


   扉が叩かれる。今度は誰だろうと思ったら、ミクラス夫人だった。
「失礼します。ハインリヒ様、フェルディナント様はいらっしゃっていますか?」
「ルディ? いや、部屋に居ないのか?」
「ええ。きっと本を読んでいらっしゃるでしょうから少しお休みいただこうと、部屋に行ったのですが……。リビングルームにもお庭にもいらっしゃいませんので此方かと……」
「……下の書斎は?」
   いらっしゃらないのです――とミクラス夫人は言った。携帯電話も持ち歩いていないらしい。
「……書庫かな」
「其方も覗きましたがフェルディナント様の姿は見当たりませんでした」
   邸の一角にある書庫は広くて、おまけに地下まである。もしかしたらルディは地下書庫に居るのかもしれない。其処だったら、呼びかけても声が届かないことがある。
「地下書庫を見て来る。ルディのことだから何か調べていて、地下まで行ったのかもしれない」
「まだあまり動き回らないように申し上げましたのに……」
   困った顔をするミクラス夫人に苦笑を返す。
   きっと地下書庫だろう。何か調べているに違いない。


[2010.7.1]