クリスマスを10日後に控えたこの日、レオンとフェイ次官が屋敷を訪れることになっていた。二人が来る前にヴァロワ卿がやって来た。
   ヴァロワ卿は退院したその日に、利き手である右手を骨折した。足を引きずることに加えて、右手を固定されている姿は、何とも痛々しかった。
「ヴァロワ卿、やはり右手が完治するまで此方に滞在なさっては如何です?」
   見かねて告げると、ヴァロワ卿は苦笑して、大丈夫だ――と応えた。ミクラス夫人が大丈夫ではありませんよ――と言い返す。
「右手も使えないうえに足も不自由では、お一人暮らしは御不便でしょう。ヴァロワ様、一室を用意しますから今日から此方にお泊まり下さい」
「いや、右手が使えなくとも左手が使えるし、この足にも慣れなくてはいけない。気持だけはありがたく受け取るよ」
「ですが、それではお食事の支度も……」
「ミクラス夫人。ヴァロワ卿には今、素敵な女性が側に居るんだ。あまり此方に誘っては折角の縁を引き裂いてしまいそうで、俺も無理強いはしなかったんだ」
「ハインリヒ、だから彼女はそういう女性ではないと……」
   ロイの言葉にヴァロワ卿は即座に言い返したが、ミクラス夫人は驚いた様子で、しかし笑みを浮かべて、宜しいことではないですか――と言った。


   ヴァロワ卿は退院した直後、自宅で犬に襲われた。襲われた――というよりは、跳びかかってきたらしいが、大型犬のダルメシアンだったようで、その際に右手首を骨折した。
   不運な――と思ったのは此処までのことで、そのことをきっかけにヴァロワ卿はある女性と知り合った。
   不思議な縁というか、その女性は、今は亡きアントン中将の姪にあたる女性だった。アントン中将といえばヴァロワ卿の元上官であり、父とも懇意だった。ヴァロワ卿も自宅の近くにアントン中将の姪が住んでいるとは知らなかったらしく、また私もその話を聞いて驚いた。彼女はすぐにヴァロワ卿を病院に連れて行き、それ以来ずっと、食事を持って来てくれるらしい。
『ヴァロワ卿に漸く春が来たという感じがするぞ、俺は』
   ロイがそう言っていた。確かに私もそう感じている。
   ヴァロワ卿からの話を聞く限り、心優しい女性のようで、またヴァロワ卿も彼女のことを気に入っているようだった。交際を申し込めば良いのに――と思うものだが……。
「どんな御方です? 興味があります」
   ミクラス夫人が身を乗り出してヴァロワ卿に問う。ヴァロワ卿は困った顔をして、そういうことでは無いんだ――と否定した。
「アントン中将の姪御殿というだけで、特にそういう仲にある訳ではないんだ」
「アントン中将閣下……と申しますと……。もしかして亡くなった旦那様とも親しくなさっていた……?」
   ミクラス夫人が此方を見て問う。頷き応えると、まあ、とミクラス夫人は眼を輝かせた。
「良縁ではないですか。きっとアントン中将閣下が巡り合わせて下さったのですよ。……アントン中将閣下の姪御さんとなると……、ヴァロワ様とも御釣り合いが取れるのでは?」
「釣り合いも何も……、彼女は今年24歳になったばかりだ」
   24歳と聞いて、流石にミクラス夫人も驚いたようだった。
   ヴァロワ卿が交際を躊躇する一番の理由が、この年齢差に違いなかった。22歳差となると親子程、年齢が離れていることになる。尤もヴァロワ卿は若く見えるから、多分、二人並ぶと少し年齢の離れた恋人同士には見えるのだろうが。
「まあ、ヴァロワ様も隅におけませんね。でもヴァロワ様、その方とは縁がおありなのだと思いますよ」
   ミクラス夫人が熱心に交際を勧める。ヴァロワ卿は困り果てていた。助け船を出そうかと思っていたその時、フリッツがレオン達の来訪を伝えた。
「解った。其方に出迎えに行く」
   ロイが立ち上がる。立ち上がろうとすると、ロイがそれを制した。
「俺が出迎えてくる。ルディとヴァロワ卿は此処に」



   程なくして、レオンとフェイ次官の声が聞こえて来た。ソファから立ち上がって出迎える。レオンもフェイ次官もヴァロワ卿の手を見て、驚いて怪我の理由を尋ねてきた。ヴァロワ卿は、転倒してしまったとだけ苦笑しながら応えた。そして五人でテーブルを囲む。私の右隣にはヴァロワ卿、私の向かい側にレオン、その隣にフェイ次官、フェイ次官の向かい側にロイが座った。
「まずはこのような場を設けてもらったことに感謝します。今日は一方的な願いを伝えるために、来訪させていただいた」
   レオンの言葉から察するに、やはり復職に関することなのだろう。予想はしていたが――。
「レオン。この場は気心の知れた面々が集っている。堅苦しいことは無しにしないか? レオンとフェイ次官の訪問からも、話は復職のことだということも解っている」
   するとレオンは苦笑して、その通りだ――と応えた。
「ルディ、ヴァロワ大将、ロートリンゲン大将、貴方がたにはすぐにでも復職願いたいところだ。……が、裁判の結果、停職期間中にある。これからの話は停職期間が明けてからのことと踏まえていただきたい」
   レオンの言葉の後、フェイ次官が携えていた鞄のなかから何かの書類を一式取り出した。
「まず、お話したいことがあるのです。この話は今朝、帝国軍にもウールマン長官とヘルダーリン長官を通してお知らせしました」
   フェイ次官が書類を一部ずつ手渡す。表紙には国際会議常備軍創設案――と書かれていた。

「国際会議常備軍……」
   その表題の通り、国際会議加盟国に常備軍を設置するということなのだろう。以前にも、国際会議で提案が出されたことがある。あの時は、帝国が猛反対して廃案となった。
   そんな常備軍が出来たら、帝国にとって驚異の存在となるから――と。ヴァロワ卿やロイが長官となる前の話で、私自身も随分、軍の上層部と揉めた。結果的には廃案を訴える彼等の意見を取り入れたことになるが――。

   確かにそうした常備軍を設置していれば、今回のような帝国の暴走を止めることが出来る。考えてみれば、今回の新トルコ共和国やアジア連邦、北アメリカ合衆国の同盟がこれに類似する訳で――。
   この案を提出したのは北アメリカ合衆国とある。北アメリカ合衆国は今回の同盟を成果として提示し、常備軍設置を求めたということだろう。
「実は少し前に北アメリカ合衆国から提案が出て、これまで合衆国や連邦と共に詳細を打ち合わせてきました」
   趣旨の書かれた一枚目から三枚目のページをざっと読み流して、次のページを捲る。初代総司令官にレオンの名があった。
   レオンなら、人望も統率力もある。総司令官に相応しい人物だと言える。さらに次のページを捲る。其処には司令官として各国の勇将の名が挙がっていた。共和国のハッダート大将にマームーン大将、連邦からはフェイ次官とワン大佐……。
   帝国からの人選としてロイとヴァロワ卿の名前が挙がっていた。

「これはどういうことだ?」
   私が二人の名前を見つけたのと同時に、ヴァロワ卿が声を挙げる。フェイ次官は貴方とロイには加わっていただきたいのです――と言った。
「フェイ、このような話は聞いていないぞ……!」
「固辞されると思い、黙っていた。ロイにもヴァロワ大将にも必ず司令官の座に着いてもらいたい」
   常備軍設置はいずれ実現するかもしれないと考えていたことだった。特にあの時、強硬に反対していたのが帝国だったのだから、設置には帝国の国力の低下している今が好機だということになる。
   だがそれにしては何故――。

「フェイ次官。ヴァロワ卿が帝国側からの司令官として名を連ねるのは納得がいく。ヴァロワ卿は戦時中も早期終戦のために尽力した方だ。帝国は敗戦国だが、ヴァロワ卿の名が挙がっているのは、ヴァロワ卿の連合国軍への尽力に敬意を表してのことなのだろう。だが、弟の……ロイの人選は説明が付かないように思える。それにロイは今は連邦軍に所属している身、それなのに此処では帝国側からの輩出となっているが……」
「流石ですね。宰相」
   フェイ次官は肩を竦めてそう言った。
「宰相の仰るとおりです。本来ならば、帝国は今回の常備軍に司令官を輩出出来ない立場です。ですが、ヴァロワ大将の英断と行動力は国際会議常備軍には不可欠なものと考え、名を挙げさせて頂きました。またロイに関しては、実は当初、連邦軍の将官として名が挙がっていたのです。当軍の海軍将官クルギ大将が是非ともロイの力を国際部隊で活かしてほしいとの推薦がありまして……」
「クルギ大将が俺を……?」


[2010.6.21]