酷い眩暈が治まった時には、私は医務室に居た。意識を失ってはいないが、此処に来るまでの記憶が曖昧だった。ロイが私をベッドに横たわらせて、暫く休んでいろ――と言ったような気がするが――。
   瞬きを何度か繰り返すとオスヴァルトの姿が見えた。
「閣下。具合は如何ですか?」
「オスヴァルト……。何故此処に……」
「ロートリンゲン大将がヴァロワ大将の裁判で証言をするので、私が代わりに閣下のお側に。裁判は20分前に開廷しました」
   オスヴァルトは側にあったテレビ画面を指した。ヴァロワ卿が証言台の前に立っていた。
「副宰相閣下。先に診察を……」
   オスヴァルトの側に居た医師が告げる。済まない――とオスヴァルトは彼に言って、その場を離れた。医師は手を取り脈を確かめ、暫く此方で安静になさっていてください――と言った。
「解った。迷惑をかけて済まない」
「きっと御無理をなさったのでしょう。ロートリンゲン大将が怒ってらっしゃいましたよ」
   オスヴァルトが苦笑しながらそう言った。あのような場で倒れるとは私も気恥ずかしかった。

   ヴァロワ卿はシーラーズ攻略の指揮について話していた。私の時と同じように、レオンやフェイ次官が擁護する。帝国軍の人事について裁判長が尋ねた時、ロイが手を挙げた。
「元帝国海軍部軍務長官ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲン大将です。帝国軍の内情および異例の人事については私から説明致します」
   ロイが何故、こんな証言をするのか――。
   帝国軍の内情ならばウールマン卿やヘルダーリン卿でも良い筈だ。何故、ロイが――。
「ロートリンゲン大将は全てを語ると仰っていました。ロートリンゲン大将が急に解任となり行方を眩ませたことに関して、軍内部ばかりか他省でも疑問の声が上がっていましたから……」
   まさかロイは皇女マリとのことも話すつもりなのか――。
「帝国は全て皇帝の命令の下で動いていました。皇帝の命令に逆らうことは則ち死を意味しています。私は皇帝の命令に逆らい、長官を解任、国外追放の処分を受けました。そしてこのことは帝国内でも一部の人間にしか知らされていません」
   ロイの話に裁判長が問い掛けた。差し支えなければ、どのような命令に逆らったのか説明して下さい――と。
「私はマリ皇女殿下と婚約していました。それを皇帝の都合により解消され、私は皇女と共に国外逃亡を計ったのです」

   もしかしたらロイは――。
   ロイは、この話を皇帝の裁判の時に語るつもりだったのかもしれない。だが皇妃が皇帝を庇ったから、皇帝の不利になるような発言を控えたのだろう。

   皇帝が再審請求を行ったと言っていたが、この発言により、却って皇帝は再審で不利となるだろう。きっとロイはそれも見越している。
   そしてロイが帝国の内情を明かせば、戦争の指揮をせざるを得なかったヴァロワ卿を擁護することにもなる。

「……この裁判、私達には決して不利にならないように動いているのだな」
「皆、言っていました。閣下もヴァロワ大将も皇帝の権限の下にありながら、終戦に向けて尽力なさったと。閣下やヴァロワ大将が裁かれることなど無いのです。私はこのたびの公職停止も厳罰だと思っています」
「いや……。侵略を指揮したのは私だ。国際法で侵略が禁止されているのに、この判決では後々の裁判に影響を及ぼすだろう」
「閣下やヴァロワ卿が裁判を望んでいたので、やむを得ず、アンドリオティス長官達がこの場を設けたのです。後の裁判への影響を考え、閣下の反戦への態度を明確にしておく必要がありました。閣下もヴァロワ大将も国際的に表彰されても良いぐらいの働きをしている、と皆が言っていますよ」
「……国民はどう思うかな。むしろ旧体制を擁護していると、新体制に非難が寄せられるのではないか」
「その心配は無いようです。先程、報道番組を少し見ていましたが、論調はいずれも閣下を称賛するものばかりで、皇帝へのさらなる厳罰を求めています」
   ロイの話が終わると、裁判長と裁判官が語り合う。判事達がヴァロワ卿に質問する。ヴァロワ卿は丁寧に一つ一つの質問に答えていく。
   やがて、審議が終わった。
   ヴァロワ卿には、私より1ヶ月短い公職停止5ヶ月の判決が下った。



「ルディ、具合は良くなったか?」
   全ての裁判が終わり、30分が経とうとした頃に、ロイがヴァロワ卿と共にやって来た。ヴァロワ卿も大丈夫か――と問い掛ける。
「ええ。もう良くなりました」
「フェイが話をしたいと言っていたのだが、日を改めてもらった。起き上がれるようなら帰ろう」
「待ってくれ、ロイ。今からフェイ次官とレオンに面会することは出来るか?」
   ロイは眉根を顰め、再審請求するつもりか――と言った。
「ああ。あの判決に納得出来ない」
「ルディの量刑もヴァロワ卿も量刑もあれが最大限だ。皆が言っていることだが、二人に関しては裁判の必要が無いということで意見が一致していたのだからな」
   ロイは携帯電話を取り出し、番号を探る。きっとフェイ次官に面会を取り付けてくれるのだろう。そうしてロイがこの場から離れている間、ヴァロワ卿が肩を竦めながら言った。
「どうも計画に計画を重ねた裁判のようだったな」
「ええ……。私達の量刑を減じることが目的のようで……」
「私自身、禁錮刑ぐらい覚悟していたのだがな。だが……、連合国側の意図を考えると、ハインリヒの言っていたようにこれが最大限の量刑かもしれないぞ」
   そうなのかもしれない。レオンやフェイ次官はヴァロワ卿や私に復職をずっと求めている。公職停止期間を終えたら復職するように――今回の量刑はそれを示唆しているのかもしれない。
「ルディ。これからフェイ達が此方に来るそうだ」
「私の方から出向こうと思っていたが……」
「無理をせず身体を休めながら話をしたいとのことだ。アンドリオティス長官は既に此方に向かっているようで、多分もうじき……」
   その時、医務室の扉が叩かれる。オスヴァルトが応答してくれた。
「閣下。アンドリオティス長官がいらっしゃいました」
   オスヴァルトがレオンの到来を告げる。ベッドから降りようとすると、そのままで良い――とレオンが言った。
「大分、無理をしたのだろう。判事達も心配していたぞ」
「済まない。裁判官ならびに判事の方々にもご迷惑をおかけしたとお伝えしてくれ。……ところでレオン」
「再審請求したいのか?」
「ああ。あの量刑には納得出来ない。再審を請求する」
「そうだな。俺もそう考えていた」

   レオンのこの回答は私にとって拍子抜けで、思わず眼を見開いた。否、私ばかりでなくロイやヴァロワ卿も一様に驚いていた。
「レオン。ならば何故、審議の段階で異議を……」
「いや、審議の時に俺も言ったんだ。量刑が重すぎると。公職停止6ヶ月――つまり半年だろう。半年は長すぎるから、3ヶ月で良いのではないか――とな」
   量刑が重すぎる――だと?
   違う。私の考えと違う――。

「レ……」
   「これまでの経緯、そしてアクィナス刑務所での服役期間を考慮すれば、3ヶ月ぐらいが妥当だろう。ルディもそう思ったということは、やはりその線で再審を申し込んだ方が……」
「待て……! 何を言っているのだ!? お前は!?」
   声を荒げた途端、くらりと眼が回る。倒れ込みそうになる肩を支えてくれたのはレオンだった。
「まあ、この4ヶ月は静養期間だと思って、身体を治すことだ。そして停職期間が明けたら、色好い返事を待っている」
   それでは会議があるから失礼する――。
   レオンはそう言って微笑して、私の側を離れる。扉の前で誰かと言葉を交わしたようだった。

「失礼。確り話を聞いてしまいました」
   レオンが去ってから、フェイ次官が現れる。彼は苦笑をおさめながら私の前に来て、こうしてお会いするのは初めてですので――と前置いた。
「アジア連邦軍務次官フェイ・ロンと申します」
「このような姿で申し訳無い。貴殿とは一度きちんと会ってお話したかったのに、昨日も挨拶が出来ずじまいで……」
「いいえ。どうかお気になさらず。お身体が治りましたら、またそうした席を設けましょう。……私もこの後に会議があるので、すぐ失礼しますが、宰相閣下、もし再審請求を為された場合には先程アンドリオティス長官が仰っていた通りになりますので、ご再考なさってください」
   それではお大事に――と流れるように言って、フェイ次官が去っていく。此方が引き止める隙も無かった。
「一杯食わされたな」
   ヴァロワ卿が肩を竦めながら苦笑する。ヴァロワ卿を見遣ると、私達が納得するしかなさそうだ――と言った。
「あの二人はなかなか手強いぞ」




   納得は出来ないままだったが、裁判は終わり、戦争に一応の区切りがついた。皇帝の再審請求はその後、棄却された。
   何よりも驚いたのは裁判後の国民の反応だった。私達の裁判は全世界にリアルタイムで放送され、その視聴率も随分高かったらしい。マスコミはこぞって皇帝の量刑が軽すぎることを指摘し、これまでの閉鎖された政治体制を一斉に非難し始めた。これにより、国民全体が国を建て直すことに関心を寄せてくれたら良いと思っていたら――。

「私は是非、宰相にもう一度政務に復帰してもらいたいと思います。誠実で統率力もある方だ。旧領主層とはいえ、彼は国民の意を必ず反映してくれる」
   何処の誰だか名も知らない政治評論家を名乗る男性が、隣のアナウンサーに話しかける。そのアナウンサーも私も同感です――などと無責任な発言を返す。
   レオンやフェイ次官だけでなく、多くの人々が私の復職を求めてきた。復職を求める手紙や見舞いの花束まで届くようになり、廷内の電話は一時パンクしたほど、取材依頼や激励の言葉が寄せられるようになった。

「塀をよじ登ろうとした記者が居たようですよ。危ないからとパトリックが止めたようですが」
   私のベッドの側に置いた椅子に座り、林檎をむきながら、ミクラス夫人が外のことを教えてくれた。
   裁判を終えた一昨日から発熱し、今もまだ熱の下がらない状態だった。トーレス医師には疲労だと診断され、無理をしてはならないことをきつく注意された。
   ロイは今日、ヴァロワ卿の許に行っていた。ヴァロワ卿は今日が手術で、私も具合さえ良ければ立ち合う予定だった。
   立ち合うことは出来なかったが――。
   どうかこの手術によってヴァロワ卿の足が治るように――。
   時計を見、それから窓の外を見る。雲がゆっくり動いていくのが見て取れた。


[2010.6.13]