「貴方も知っているように、陛下と私の間にはなかなか子供が出来なかった。そんな時に、元帥の許に貴方が誕生したの。陛下はとても悔しがってらして……。そして翌年にはハインリヒが誕生した。旧領主家に二人も男児が誕生することは珍しいことではあったのだけど……」
   私とロイの誕生が、皇帝の対抗心に火を点けてしまったということか――。
   しかも望めば何でも手に入る皇帝が、唯一手に入れられなかったもの――。
「それから6年後、私達の間に初めて子供が出来て、陛下も私も喜んだけれど女の子で……。私達の間には女の子しか生まれなかった。その頃の宰相は陛下に側室を置くように進言したみたいだけど、陛下はそれだけは拒んだの。いつか私との間に息子が生まれるだろうからと仰ってね」
   皇妃はくすりと笑って、陛下は夫としてはとても良い人だったのよ――と言った。
「けれどそれ以後、陛下は元帥に対して常に劣等感を抱くようになったの。元帥は昇級を重ね、功績を挙げていく。そのことは陛下にとって口惜しかったのでしょうね。陛下は御自身も負けまいと政務の勉強に励んだわ。歴史に残る名君となってみせる――と。其処までは良かったのだけど、ある時、激しく意見を対立させたことがあったみたいで……」

   皇帝と父の間に何らかの確執があるのではないか――という話は、噂でも流れていた。
   ロートリンゲン家の歴代当主は長官として名を連ねている。しかし父は最後まで長官とはならなかった。決して功績が少なかった訳でもない。ロイともよくそのことを話した。
「陛下はとてもお怒りになったの。きっと元帥の方が正しいことを言ったのでしょう。それで陛下はお怒りになって、元帥に辞職を求めたの。……でも当時の軍務長官や宰相がそれを引き止めてね」
「そんなことが……あったのですか……」
「ええ。元帥が実力を有しながら長官とならなかったのはそのためよ。その後、元帥に何度か長官の話が持ち上がったそうだけど、元帥は固辞していたという話を聞いているわ。……そうして元帥と陛下は次第に距離を置くようになったの。……でもきっとその頃からでしょうね。陛下は貴方に眼をつけた」
「私に……? どういうことでしょうか?」
「ロートリンゲン家の長男が優秀だということは、有名な話だったの。グリューン高校と帝国大学を首席卒業、そして外務省に入った……と。陛下は貴方が宰相の試験を受ける前から、貴方のことを調べていたわ。……皇女の結婚相手として相応しいかどうか」
   皇女の結婚相手――?
   どういうことだ?
「陛下はエリザベートの相手に貴方を選んだの。そして元帥に縁談を持ちかけた。でも元帥はそれを断ってしまって、それで陛下はまたお怒りになって……」
「私に……エリザベート様との縁談が……?」
「きっと元帥はお話にならなかったのでしょう。貴方を見ていてすぐにそれが解ったわ。陛下が貴方を宰相に起用したのも、貴方が優秀だったからということも勿論だけれど、エリザベートとのことを諦めていなかったからでしょう。そして貴方は本当に優秀で、年々、力を伸ばして来た。……陛下はよく仰っていたわ。貴方が元帥に似てきた、と」
   陛下は貴方と元帥を重ねていたのでしょうね――と、皇妃は言った。


   皇妃の話で物事が少し見えてきた気がした。私が関わってきたのはほんの一部のことだったのだと――。
   時折、皇帝の言動が不可解に思えた。それは父との確執もあってのことだったのか――。


「フェルディナント。陛下が貴方にしたことは決して許されることではありません。貴方の言葉はあの場では一番正しいものでした。ただ陛下は娘を失い、何もかも見えなくなってしまっていた……。本来は決してあのような方ではない……。それだけは解ってあげて下さい」
「このたびのことは、陛下をお止め出来なかった私にも責任あることです」
「いいえ。陛下を止めることは誰にも出来ませんでした。貴方が責任を感じることはありません。貴方は宰相として最後まで力を尽くしてくれました」



   皇妃はその後、ハインリヒとも語り合い、ハインリヒは逃亡中の時のことを語ったようだった。
   翌日、皇妃を連れて墓参した。皇妃は皇女マリの墓に花を手向け、何も力になれなくてごめんなさい――と泣きながら詫びた。
   その姿が見るに忍びなくて、そっとその場から離れようとした時、足下がふらついた。
「ルディ」
   すぐにロイが支えてくれた。皇妃に気付かれないようにそっと木陰に行く。ロイは心配そうに大丈夫か――と囁いた。
「ああ。済まない」
「まだ回復していない身体には、この日程はきつかったんだ。後は俺に任せて、屋敷に戻ったら部屋で寝ていろ」
「だがこれから皇妃がレオン達と会談を行う。同席を約束しているから……」
「俺からアンドリオティス長官に話をしておく。明日は裁判だというのに、休まないと倒れるぞ、ルディ」
   顔色が蒼い――と、ロイは言った。きっと疲れが出たのだろう。裁判に万全の状態で臨むには、これからの予定はロイに頼むしかなさそうだった。
「では……、済まないが頼む」
   ロイは快く頷いてくれる。
   屋敷に戻ってから、すぐベッドに横になった。少し休んで会談の途中にでも顔を出そう――と考えていたのに、横になったらもう起き上がれなくなった。
   折角、此処暫く体調が良かったのに、また体調を崩してしまった。それもよりによって一番大切な時に――。



「フェルディナント様。お加減は如何ですか?」
   ミクラス夫人の声で眼が覚めた。何時かと思ったらもう朝になっていて、どうやら私は十時間以上、眠っていたようだった。
「大丈夫だ。すぐに着替えて下に行く」
「ですがまだお顔の色が優れないようです。今日の出廷は取り止めた方が……」
「そういう訳にもいかないよ、ミクラス夫人。10時間以上も眠ったから大丈夫だ」
   ミクラス夫人は尚も心配そうな顔をする。大丈夫だ――ともう一度言ってから、ベッドから降りた。
   途端に視界がさあっと黒い幕に覆われて、ベッドに座り込む。
「フェルディナント様! どうか今日はお休み下さい。きっと無理がたたってしまったのです」
「今日だけは休めない。明日、ゆっくり休むことにするから……」
「ハインリヒ様にお話してきます。このままベッドにいらして下さいね」
   ミクラス夫人はそう言って部屋を出て行く。
   今日だけは――。
   今日はこれまでの責任を取る日だ。だから――。

   ゆっくりと立ち上がる。しかし足が強張っているようで、上手く歩けない。つい昨日までは楽に歩いていたのに――。
   壁や机に伝わりながら進む。部屋の片隅にかけてあるスーツを取りにいく。たったそれだけのことに息が切れた。
「ルディ」
   寝間着から着替えようとしたところ、ロイがミクラス夫人と共にやって来る。大丈夫だ――と告げると、ロイは休んでいろ、と強く言った。
「フェイに言って裁判の日を改めてもらう」
「ロイ。出廷させてくれ。これぐらいなら大丈夫だ」
「莫迦を言うな! 折角此処まで回復したのに、また振り出しに戻るだろうが!」
「あまり動かないようにする。移動も車椅子を使う。今日、欠席をしたら私は責任を逃れていることになる。だから行かせてくれ」
   ロイは少し考えていたが、最後には渋々ながらも解ったと了承してくれた。


[2010.6.10]