「兄さん、少し良い?」
   部屋のベッドでごろりと横たわっていると、テオがやって来た。起き上がると、ベッドにテオがベッドに腰掛ける。手に持っていた缶ビールをひとつ手渡してきた。
「祖母さんの具合が良さそうで安心したよ」
「身体が動くようになってからは、祖父さんの世話があるから早く退院したいって言って聞かなかったんだ。祖父さんは世話なんぞいらんと言い返すから、病院で派手に言い合いになってさ……。容態が悪化することもなかったから、病院も早期退院を許してくれたけど、絶対に無理はさせないでくれって言われたよ」
「そうか……。済まなかったな。全てお前一人に押しつけてしまって」
「大丈夫だよ。何やかや言っても、あれ以来、祖父さんも祖母さんに気を遣ってるみたいでさ。まあ、そのせいで喧嘩が絶えないけど……」
   テオは苦笑しながら、缶ビールを開けて一口飲む。同じように蓋を開けて口に運んだ。
「喧嘩するということは元気な証拠だ」
「俺もそう思う」
   テオは笑って俺を見る。それからビールをまた飲んだ。
「……テオ。ムラト大将の許でも話したが、俺はもう少し帝国に留まる。悪いが、また家のことを頼めるか?」
「解ってる。心配しなくて良いよ。俺も出来る限り此方から通ってるし」
「済まない。此方に戻って来たら、俺が通うようにするから……」
「多分、兄さんは無理だろう」
   テオは笑いながらそう返した。
「長官という重職にあるんだ。……それに初代総司令官の話、引き受けないと駄目だろう」
「俺はそんな器じゃない。今回のことが片付いたら長官職も辞するつもりなんだ」
「その話、ムラト次官から聞いたよ。だけど、きっと人事委員会も中将達も認めない。兄さんが辞めたら、後任が居なくなるって言ってたからな」
「……あの人達は自分達が動こうとしないから……」
   ぼやくように言うと、テオは笑って、兄さんが保守派と進歩派の緩衝材になってるからだよ――と言い返した。
「ムラト次官は少し急先鋒なところがあって好みが分かれるタイプだけど、兄さんは割と年寄方に好かれるところがあるし……。それに初代総司令官の話は、兄さんが受けなければ他の国に話が回ることになる。国力を誇示するということから考えても、辞退は出来ないと思う。ムラト次官は多分、最終的には受諾しろって言うよ」
   俺も何となくそんな予感がしていた。ムラト大将はまだ悩んでいる風だが、おそらくは受諾しろと言ってくるだろう。共和国の国際的な地位を高めるためにも、と言って。そして正式にそのような話がくれば、外交部からも受諾の要請が来るかもしれない。

「しかしなあ……」
「ところで、兄さんはロートリンゲン大将とは話をすることあるの?」
「ロートリンゲン大将? ああ、帝国では毎日のように顔を合わせているが……」
   テオの口からロートリンゲン大将の名前が出て来るとは思わなかった。意外なことに、テオは関心ありげに聞いてきた。
「俺もムラト次官に同行して、その常備軍創設のための会談に参加していたんだけど、連邦のクルギ大将が頻りにロートリンゲン大将を推薦していたんだ。艦隊指揮能力と身体能力が抜群だって言ってたから、どんなに強いのかと思ってさ。後で聞いた話なんだけど、演習でクルギ大将を負かしたらしいよ」
「あのクルギ大将を……?」
   それは驚いた。フェイ次官が有能な将官だと絶賛していたから、相当な実力の持ち主だということは察していたが、連邦で艦隊指揮にかけては比べる者が居ないとされているクルギ大将に勝利するとは――。
「おまけに身体能力も抜群だって。フェイ次官の護衛にワン大佐っていう人物が居るんだけど、知ってる?」
「ああ。彼ともよく会う。それに陸戦では比肩無き人物と称されているな」
「そう。そのワン大佐と互角にやり合ったらしいよ」
   驚いてテオを見返すと、テオは頷いた。

   だが考えてみれば――。
   ルディも強い。文官なのに武術の心得がある。それも相当な実力の持ち主だった。弟が家を継ぐために軍に入ったと言っていたのだから、考えてみれば、弟のロートリンゲン大将はルディ以上の力量の持ち主なのだろう。
「どんな人物なのかなと興味を持ってさ」
「……軍人としての彼についてはあまり良く知らないが、一人の人間として見るなら……、俺はお前に似ていると思ったぞ」
「俺に?」
「……弟気質とでも言うのかな。無茶をしそうなタイプだ」
「……同じ弟の立場としてはけなされているように聞こえるけど……」
   テオの返答に笑って返す。実際、ロートリンゲン大将と話をしている時は、ついテオと話しているような気分になってしまう。
「だが良い男だ。はっきり発言してくれるし、裏表が無い」
   それに、彼と話していると、ルディの弟だと傍と気付かされることがある。一歳差のせいか、ルディとは言動が良く似ていた。
「へえ……。俺も会ってみたいな」
「会えるさ。もう少し宰相の具合が良くなったら、この国に遊びに来たいと言っていたから、その時に」
「え……!? 宰相が来るの?」
「非公式でな。私的な旅行だ。祖母さんの調子が良ければ、家にも招きたいが……。まあもう少し先のことだがな」
「……帝国の宰相がこの家にって……」
「そう構えることも無い。ルディは温厚な人間だし、人を見下すような人間でもない。話をしてみたら気さくで、お前も見方が変わるぞ」
   テオは考え込むように俯いて、それから言った。
「だってムラト次官と対等に張り合えるんだろう……? それは相当な……」
「意見ははっきり言うさ。だがそれも、人の話を聞いた後でのことだから……。普段は本当に温厚で話しやすい男だ」
「宰相はまだ具合が悪いのか?」
「もう少し時間がかかりそうだ。車椅子で動けるようにはなったんだが……」
「そんなに悪かったのか……!?」
「……刑務所では殆ど飲まず食わずの状態だったらしい。酷く痩せていてな。そのせいもあって身体を弱らせてしまって……。このことは口外しないでほしいんだが、宰相は虚弱体質なんだ」
   テオはさらに驚いた様子で俺を見返した。
「心臓と肺の移植手術を受けて、漸く少しずつ回復しつつあるといったところなんだ。だからまだ全快には時間がかかる」
「そう……だったのか……。宰相が虚弱体質なんて……、思わなかった……」
「俺と初めてマルセイユで会った時も、療養中だったらしい。……そんな身体で、俺を逃がしてくれたんだ」
   テオは暫く黙り込んだが、その後、だったら――と笑みを浮かべて言った。
「歓迎しないとね。祖母さんもきっと張り切って歓迎してくれると思うよ」
   ところでもう一本飲まないかと尋ねるテオに、頷き返し、俺が立ち上がる。
   空き缶を引き取って、キッチンまでビールを取りに行く。祖父母の部屋は既に明かりが消えていた。
   非日常から日常に漸く戻って来たような――、そんな気がした。


[2010.5.22]