帝国は市街の混乱も収束しつつある。
   一方で、内政はまだ混乱状態が続いていた。議会に権限を持たせようにも、議員達は旧領主層の息のかかった者ばかりだった。とはいえ、そうしたことを指摘する者達も居て、彼等は新たな議会の開設を求めてくる。総選挙を行うことを提示したら、それを実行するためには皇帝の許可が必要となる。皇帝が逮捕され、全権限が停止されている今、皇帝の次に権力を持つ者は宰相となる。この宰相も不在となれば、各省の長官達との合議が次の権限を持つことになるが、これがまた見事に意見が纏まらない。
『……宰相が復職なさることが、一番話が早いのですが』
   アジア連邦のフェイ次官もこのところよくぼやいている。ルディの弟のロートリンゲン大将を通じて何度となく復職を求めたようだが、ロートリンゲン大将自身も軍から身を引くことを告げているらしい。
『帝国軍に戻るということならば、私はロートリンゲン大将の除隊をいつでも受け入れます。だが彼は軍人自体を引退すると言っている。彼の能力を鑑みれば、今後の帝国にこそ必要な人物だと思うのに、それをこうもあっさりと辞めさせることは……。同じことは宰相にも言えるでしょう。……兎も角、長丁場になりますよ。アンドリオティス長官』
『そのようですな。私は一旦、帰国します。何かあればハッダート大将にお伝え下さい』

   そして――、俺は共和国へと戻ってきた。専用機を降り立つと、テオの姿が見えた。
「お疲れ様です、長官」
   出迎えた軍人達より一歩前に出て、テオは敬礼して告げた。久々に会ったせいだろうか。テオの様子が少し変わったような――、大人びたような印象を受けるのは。



「帰国期限が延期続きだな、レオン」
   本部に戻ってくると、其処はいつもと変わらない光景が広がっていた。将官達に声をかけ、ムラト大将と共に執務室に入る。ムラト次官はソファに腰を下ろすと、肩を竦めながらそう言った。
「仕方ありません。予想以上に内政が混乱していますし……」
「あまり他国の内政に干渉すべきではないと思うが……」
「その考えには同感ですが、今、帝国を見捨てる訳にはいきません。議会は未だ旧領主層に加担する者ばかり、そのうえ決定権を下せる人間が居ないとなれば、今度は内側から崩壊してしまいますよ」
「宰相はまだ復職出来そうにないのか? 何度か会っているのだろう?」
「身体上の問題もありますが、たとえ全快したとしても、宰相には復職の意志がありません」
「……お前からでも引き止められないのか」
「彼は温厚そうに見えて、結構、頑固ですからね」
   ルディははっきりと復職しないと言った。それからも何度か復職を求めてきたが、一向に良い返事を得られない。ルディが復職してくれれば、帝国も上手く纏まると思うのだが――。そしてそれは誰しもが思っていることだった。
「ヴァロワ大将は? 意識が戻ったと聞いたが、ヴァロワ大将はいつ頃、復職出来る?」
「ヴァロワ大将も退官の意志が固いと聞いています。それに彼の場合、右足が動かないとか……」
「何と言うことだ。此方が期待をかけていた人物が揃って身を引くとは……」
「帝国軍務省はまだ良いのです。ウールマン大将やヘルダーリン大将が軍内部の統制を執っていますから……。問題はその他の省で……」
「……多くの省の長官が守旧派のためか……。何とか宰相に復職してもらいたいものだ。この混乱は彼しか収められんだろう」
   ムラト大将は溜息混じりに呟いて、それから顔を上げ、俺を見る。
「それで、お前はその混乱が収まるまで帝国に留まるつもりか?」
「ムラト大将にはお手数をおかけしますが、そのつもりです。……それに、この混乱に乗じて帝国領に侵入を試みる国がありますので、その警備のためにも」
「ああ。話には聞いている。……ま、その件と別件があってお前に帰国してもらったというのもあるのだがな」
   ムラト大将はふと扉の方を見遣った。ノックが聞こえて来る。扉を開けたのはテオだった。
「ムラト次官。資料をお持ちしました」
「ありがとう。入って此方にかけてくれ」
「……え?」
   テオは驚いてムラト大将と俺を見遣った。いつも此処で俺がムラト大将と話をする時には、テオには別室で待機するよう告げている。だからムラト大将の言葉には俺自身も驚いた。
「今回の国際会議の事務担当はテオに任せようと思っている」
   ムラト大将は僅かに笑みを見せる。テオに俺の担当を任せることにも驚いたが、何よりも――。
「国際会議……? 召集があったのですか?」
「召集はまだだが、おそらく今週中に召集がかかる筈だ。北アメリカ合衆国の呼び掛けでな」
「……一体何故……」
「世界の治安維持のための緊急召集になりそうだ。それで、お前に大役が回ってきていてな」
   ムラト大将に促されて、テオは資料の一部を俺に手渡す。ざっとそれに眼を通す。国際会議の常備軍創設に関する提案書だった。創設の趣旨や目的を斜め読みして、五ページ目にはその常備軍の構成について書かれてある。初代総司令官候補者の名前を見て、言葉を失った。
「今回、共和国と連邦、それに北アメリカ合衆国を含めた三ヶ国で連合軍を結成し、帝国に圧力をかけた。この連合国軍を国際会議の常備軍としたいという提案書だ。その初代総司令官として、お前の名が挙がった」
「ですが、私にはこんな大役は果たせません」
   この国の軍部長官を務めることでも、賛否両論があった。まだ若すぎる――という理由が多かった。確かに軍人を統括するのに、俺の年齢では若すぎる。経験が無い。それを中将達が押し切ったというのに――。
   このうえ、国際会議の常備軍、初代総司令官とは、流石に引き受けられない。
「次のページの司令官候補の名前を見てみろ。最強のメンバーが連なっているぞ」
   促されてページを捲る。司令官候補者として、マームーン大将にハッダート大将、フェイ次官、ワン大佐、それにヴァロワ大将やロートリンゲン大将の名も挙がっていた。確かに錚錚たる顔ぶれだが――。
「お前を初代総司令官に推す気持は解るが……。何にしても突然の話でな。それにお前の話を聞く限りでは、ヴァロワ大将も辞退するだろう」
「右足が動かないそうですから……。難しいでしょう」
   初代総司令官にはヴァロワ大将が相応しいのではないかと思う。経験も実績も充分にある。それに今回の戦争で彼が果たした役割は、既に国際会議の関係諸国に伝えてあるから、高い評価を受けるだろう。
「北アメリカ合衆国の考えでは、各国から2、3部隊の派遣を望みたいらしい。しかし軍の主要人物ばかり引き抜かれると此方も少々痛手だ。尤もまだ具体的なことは提示されていないが」
「……この人選には相当な無理がありますよ。そもそもフェイ次官は軍人ではありませんし……。ロートリンゲン大将も退官すると聞いていますから、北アメリカ合衆国の思惑通りということには……」
「ロートリンゲン大将が退官? 何故だ?」
「今、フェイ次官が引き止めているようですが、彼も宰相と同様、身を引く意志が固いようです」
   ムラト大将は大きく溜息を吐き、帝国はどうなるんだ――と呟いた。
「宰相はじめヴァロワ卿やロートリンゲン大将の説得を継続しようと、帰国前にフェイ次官も確認し合ったところです」
「そうなると、本格的に帰国というのはまだまだ後になりそうだな。裁判までと予定していたのだが……」
「すみません。裁判もまだごたついていて……」
「皇帝が全ての罪をフォン・シェリング大将に擦りつけているのだろう? そしてシーラーズ攻略は宰相の責任だと」
「ええ……。そしてもう一点頭を悩ませていることがありまして……。そのシーラーズ攻略に関しての責任は取りたいと、宰相やヴァロワ大将が言っているのです。もし裁判で有罪となり、公職停止となったらそれこそ復職どころの話では無くなります」
「やれやれ……。一難去ってまた一難か。……ああ、話が逸れてしまったので、本題に戻すが、国際会議にはテオを連れて行け。お前の居ない間、徹底的に処理を教え込んだから、補佐は充分に務まる筈だ」
   微力を尽くさせていただきます――と、テオは応える。ムラト大将は部下の教育に厳しい。テオの様子が少し変わったと思ったのも道理だった。
「……大分絞られたな、テオ」
   そう告げると、テオは軽く肩を竦めた。怒鳴り続けて此方が声を枯らしたぐらいだ――と、ムラト大将が笑いながら告げる。
「テオには早く昇級してもらわなくては困る。将官を他所から呼び寄せるより、テオに任せた方が良いと考えたんだ。……そうだ、レオン。少し落ち着いたら今回の戦争で功績を挙げた者達の昇級も考えなければならんぞ」
「やることばかりが山積しています」
「全くだ」



   ムラト大将と打ち合わせを済ませた後、数ヶ月ぶりに実家に戻った。既に祖母は退院しており、祖父と共に実家に帰っていた。
「お帰り。レオン」
   祖母は俺の帰還を待ち受けていたかのように、玄関で出迎えてくれた。祖父はといえば、相変わらず作業場に居た。しかし手許を見ると、作業をしていた風にも見えず、おそらくは祖母と同様、俺の帰りを待っていてくれたのだろう。


[2010.5.20]