ジャン・ヴァロワ様の意識が戻りました――と、病院から連絡が入ったのは、会議の最中のことだった。すぐにルディや同じ会議の場に居た将官達にもそれを報せた。カサル大佐にも報せると、彼はすぐに病院に向かう旨を告げた。
   程なくして会議が終わり、俺も病院へと向かった。

   ヴァロワ卿の病室には、担当医と看護師が居た。その側にカサル大佐も立っていた。
「閣下」
   此方に、とカサル大佐が促す。医師の問い掛けに応えるヴァロワ卿の微かな声が聞こえていた。ああ、本当に意識が戻ったのだな――と、何だか胸が一杯になって来た。
「ハインリヒ……」
   ヴァロワ卿は頼りなげな視線ながらも俺の姿を見て、呼び掛けた。
   何と返事をして良いか解らなかった。言葉が詰まって、何も言えなくて――。
   良かった――。
   本当に良かった――。
「フェルディナント……は……?」
「……大丈夫です。手術を終えて退院して今は屋敷に居ます」
   そう応えると、ヴァロワ卿は笑みを浮かべた。



   ヴァロワ卿はまだあまり話の出来ない状態で、すぐに眠ってしまったが、兎も角も意識が戻ったことに、皆が一安心した。
   翌日、病院を訪れると、ヴァロワ卿はベッドに横たえたままではあったが、はっきりとした会話が出来るようになっていた。
「すみませんでした……」
「何を謝るんだ。お前は」
「ヴァロワ卿に怪我を負わせてしまったのは私のせいです。闇雲に皇帝を追ったから……」
「私が追えと言ったことだ。お前が気に病むことは何も無い。それに銃弾を避けきれなかったのは私自身のせいだ。まさかフォン・シェリング少将が撃ってくると思わなくてな」
「……三発ともフォン・シェリング大将からの銃撃だと思っていましたが……」
「いや。大腿部に受けた銃弾はフォン・シェリング少将の銃弾だ」
「そうだったのですか……。弾丸は殺傷能力の高いものだったようです。だから腹部の銃弾が肝臓にまで達したのではないかと医師が言っていました」
「こうして生きていることが奇跡のようなものだ。……ところで、フォン・シェリング大将と少将は……?」
「二人とも死亡しました。皇帝は今、国際司法局が身柄を拘束しています」
   ヴァロワ卿は僅かに表情を曇らせた。責任を感じる必要は無いことを告げようとすると、ヴァロワ卿はそれを遮るようにゆっくり首を横に振った。
「言い訳にしかならんが……、私も無我夢中だった。本当は捕らえて裁判の場に連れて行きたかったが……」
「あの状況では仕方の無いことです。強敵をヴァロワ卿一人に押しつけてしまったのですから……」
   いや、と短く呟いてから、ヴァロワ卿は話題を転じた。軍の状況を尋ねてきた。今はウールマン大将が陸軍部長官の代理を務めていることを告げると、ヴァロワ卿は安堵した表情を見せた。
「お前は帝国軍には戻らないのか?」
ヴァロワ卿は何気ない様子で俺に問う。

   皇帝を捕らえてから後、俺は連邦の軍服を脱いだ。フェイに許可を貰い、私服で軍に出入りするようになっていた。今も軍服を身につけていない。
「軍には戻りません。今はまだ連邦軍に籍がありますが、今度連邦に行ったら除隊の手続きをするつもりです。……ですがその後も、帝国軍には戻りません」
「お前ほどの人間を失うのは惜しいが……。フェルディナントも復職しないと言っていた。静かに暮らすと言っていたが、お前はどうするんだ? この状況下ではロートリンゲン家もなかなか厳しいだろう」
「旧領主層がどういう処分を受けるかもまだ解りませんが、もし合理的な解体となるならば、存続の道はあります。ルディがそのこともきちんと考えて整えていてくれたので……。私は退役後にはロートリンゲン家の整理と管理を行うつもりです」
「そうか。……それで政府はどういう風に動きそうなんだ?」
「それが今は纏まりの無い状態で……。連合国軍も議会に権限を持たせろと言っているのですが、議会が旧領主層寄りの議員ばかりなので、提出される法案が旧領主の特権を擁護するものばかりなのです。それで一進一退の状態が続いています。副宰相のオスヴァルトも困り果てていて……」
「……指導者を失ったも同然だからな」
「オスヴァルトは先日、ルディの見舞いに来て、ルディに復職を強く求めたようです。せめてこの混乱期だけでも復職してくれないか――と。アンドリオティス長官もそれを求めているようです。ルディは固辞しているのですが……」
   オスヴァルトやアンドリオティス長官だけではない。フェイもルディの復職を望んでいる。しかし、ルディの意志は固いから難しいだろう。それにルディの身体もまだ治りきった訳ではない。
「宰相の復職を求める気持も解るな。……しかしこうなると、首脳部がどれだけ宰相に頼っていたかが解るというか……。フェルディナントがアクィナス刑務所に収監されてからも、内政部は混乱状態だった。軍も大幅な人事の入替があったし、宰相室は皇帝への伝達機関に状態にまで追い込まれた。私も長官を降りて軍務局所属となったが、仕事を全て阻まれる状態だったから、勝手に一人で動いていた」
「ヴァロワ卿が回復なさったら、長官に戻っていただくことが決まっています。昨日の会議で決まったことなのですが」
「ウールマン大将が居る。出来るだけ彼に任せたい。私は侵略戦争の責任もとらなくてはならないからな」
   ヴァロワ卿はルディと同じことを言った。

   裁判については、連合国軍が準備を進めていた。そうはいっても、ルディやヴァロワ卿に罪を問うものではなく、皇帝に対してのものだった。ルディやヴァロワ卿が証人として出廷することはあっても、裁かれることは無いだろう――と、フェイも言っていた。
「ルディはどうもその件で、ヴァロワ卿と話がしたいようです。来週、検査のために病院に来ることになっているので、その時にヴァロワ卿の許を訪ねたいと言っていました」
「解った。いつでも構わないと伝えてくれ。……それからハインリヒ、頼みたいことがあるのだが、頼んでも良いか?」
「ええ。何でしょう?」
「使い走りのようなことをさせるようで申し訳無いのだが……、お前しか頼める人間が居なくてな」
「良いですよ。何でも仰って下さい」
「実は家に行って、テーブルの上にある書類の束と本を持って来てほしいんだ。ソファかテーブルにある本を何冊か」
「解りました」
   本とはヴァロワ卿らしい――。昨日意識が戻ったばかりなのに、何かしていないと落ち着かないのだろう。
   ヴァロワ卿は済まないと言いながら、ベッド脇の台の上に手を伸ばした。抽斗を開けて、鍵を取り出す。
「済まないが頼む」
「今日は面会時間がもう終わるので、明日、此方に持って来ます」
「手の空いた時で構わないぞ。カサル大佐に頼みたくとも、家の場所を知らないから頼めなかったんだ」

   翌日、ヴァロワ卿の許に書類と本を届けた。ヴァロワ卿はすぐに書類を一覧し、何ヶ所かに署名を施した。
「度々申し訳無いが、本部に行ったらこれをウールマン大将に渡してほしいんだ」
「解りました。このようなことでしたら、何でも仰って下さい」
「ありがとう。助かる。書類は持って帰ってしまっていたから、気にかかっていたんだ。これで安心した」
「後は本でも読みながら、ゆっくりお休みになって下さい」
   ヴァロワ卿は俺が持って来た本を手に取って喜んだ。ずっと忙しかったようだから、ヴァロワ卿には鋭気を養う良い時間だろう。



   仕事の合間を見つけては、ヴァロワ卿の見舞いに行った。
   回復は早かった。一週間が経つ頃には、ヴァロワ卿は車椅子を使って一人で病室を出歩いていた。
   しかし、良いことばかりでもなかった。医師にヴァロワ卿の右足について尋ねた時、予想していたよりも酷い状態であることを聞かされた。全く動かすことも出来ず、感覚も無いのだという。たとえ神経を繋げる手術を受けたとしても、僅かな感覚は戻るものの歩行も難しいかもしれないと医師は言った。
   ヴァロワ卿にもそれは説明してあるという。だが、ヴァロワ卿はそのことには何も触れなかった。


[2010.5.11]