それまでの不調が嘘のように、日増しに身体が軽くなっていく。人工呼吸器も昨日、取り外された。手術から五日――、まだ自力で起き上がることは出来ないが、着実に回復していた。
「来週、アンドリオティス長官が見舞いに来るそうだ」
「レオンが……」
「ああ。昨日連絡があったんだ。見舞いに行っても良いか、とな」
   ロイは忙しいのだろうか――。
   少し疲れているように見える。
「ロイ。きちんと休んでいるか……?」
「え……?」
「疲れているようだ。休む時はきちんと休まなくては駄目だぞ」
   私が言っても説得力の無い言葉かもしれない。ロイは休んでいるよ――と笑って返した。
「私のことなら心配は要らない。この調子なら来週に退院して屋敷に戻って良いと言われたからな」
「ああ。俺もトーレス医師からそれを聞いて安心した。だが屋敷に戻っても当分は絶対安静だぞ」
「解っている。無理はしない」
   そう返すと、ロイは頷いて時計を見た。面会終了の時間が近づいていた。
「ロイ。ヴァロワ卿は軍務省に居るのか?」
   このところ、ロイがヴァロワ卿のことを口にしない。気にかかって問いかけると、ロイはああ、と応えた。
「ヴァロワ卿も忙しくてな。……ルディのことを心配していた」
   全ての事情を知る軍務省長官となるとそれもそうか――。
   今後のことについて話したいことがあるのだが、少し時間を割いてもらえるだろうか。
「落ち着いたら少し話がしたいと伝えてくれないか?」
「ああ……。解った」
   ロイはそろそろ面会の終了時間だと告げて立ち上がる。また来る――と私を見て告げるロイに、此処に来るより休息を取るよう告げると、ルディにそんなことを言われるなんてな――と、ロイは苦笑した。



   手が動く。足も少し動かせる。
   両方ともまだ頼りない動きだが、確実に回復している。
「フェルディナント様。無闇にお身体を動かさないで下さい」
   側に居たミクラス夫人が注意する。これぐらいなら大丈夫だ――と苦笑すると、無理をすると退院が延期になってしまいますよ――と返事が来る。
「でも……、安心致しました」
「本当に心配をかけた。……まだこれからも当分は世話を頼むことになるが……」
   退院したとしてもまだ歩くことが出来ない。暫くは車椅子での生活となる。身体が弱っていた分、少し時間がかかりますよ――と、今朝往診に来たトーレス医師が言っていた。
「フェルディナント様が走り回れるようになるまで、確りとお世話させて頂きます」
   ミクラス夫人は笑いながらそう告げる。微笑を返すと、扉が叩かれて看護師が昼食を運んできた。
「早く快復するためにも、確り食事を摂って、元の体重に戻して下さいませ」
「そうだな」
   一昨日から食欲も戻って来た。この分なら、すぐに元の体重に戻るだろう。昼食を摂る私の姿を、ミクラス夫人は満足げに眺めていた。


   午後二時を過ぎた頃、扉が叩く音が聞こえてきた。きっとレオンだろう――。期待を交えて扉が開くのを待った。
「ルディ」
   レオンが入室する。その顔に笑みを浮かべていた。
「具合が良さそうだ。良かった」
「おかげさまで。レオンも元気そうだ」
   ミクラス夫人はベッドの側に置いてあった椅子を勧める。ミクラス夫人は何かあったら呼んで下さいね――と言って、部屋を出て行った。
「ロートリンゲン大将から容態は聞いていたが、こんなに元気になったとは予想していなかった」
「不思議なもので、手術をしてからはとても身体が軽い。……ところで、手術の折も来てくれてありがとう、レオン」
「あの時は容態があまり良くないと聞いていたから少し心配になって……。仕事があってルディに会ってすぐに本部に戻ったんだが……」
「嬉しかった。しかしその様子だとかなり忙しいようだな」
「ああ。事後処理があってずっと此方に居るんだ。来月の頭に共和国に戻る。あくまで予定だがな」
「ヴァロワ卿も随分忙しいようだ。時間が空いたら話をしたいとロイに伝えてもらったのに、未だ連絡も無い」
「え?……あ、ああ……」
「律儀な方だから、電話も入らないことは珍しいのだがな。ヴァロワ卿と一緒に取り組むことも多いのだろう?」
「……ああ、まあな。あと副宰相も一緒に」
「オスヴァルトか。彼には随分迷惑をかけた」
「戦後処理を滞りなく進めることが出来たのは、副宰相のおかげでもあるんだ。副宰相は君の指名だったんだってな。今は彼が代理で決裁を行っているよ」
「彼なら新しい道を模索してくれるだろう。実は明日、見舞いに来てくれることになっている」
「そうか。彼も君のことを心配していた。きっと喜ぶだろう」
   レオンは国際情勢を教えてくれた。帝国と連合国軍との終戦協定が結ばれてから後は、各国が慌ただしく動いているのだという。帝国という巨大国家が敗戦したのだから、それも当然というべきだろう。
「皇帝が逮捕され、彼の権利は全て停止されている今、この帝国の元首が不在という状況だ。このままではこの国自身が分裂の危機に晒される」
「……選挙を行う必要があるのだろうな。それを議会が提案しなければならないのだが、今の議会は長年、発言力を抑えられてきたから各省の顔色を伺って足踏みしているのだろう。それに議員といっても旧領主層に媚びて取り入ってもらった者が多い」
「……君の知恵を拝借出来ると嬉しいが」
   レオンは私を見て言った。政務に復職しろということだろう。
   だが私は――。

「私は旧領主家の人間だ。もし私が今後も政治に携わったら、旧領主が実権を掌握するという旧来の体制と何ら変わりなくなる。それはこの国にこれ以上の発展が望めなくなるということと同じだ」
「だが、ルディ、帝政に慣れてきた国民が急激な変化を受け入れられるだろうか?」
「これでも議会制に向けての素地は作ってきたつもりだ。不完全だがな」
「素地を……?」
「自由な発想が出来るように、文化だけでなく教育面へも出資してきた。勿論、皇帝を絶対君主と崇めるだけの教育団体にではなく、広い視野を持った団体にだ。それらが実を結んでか、ここ数年社会運動も増えてきた筈だ。その社会運動団体に直接出資することは出来なかったが、大会の会場を提供することは出来た。彼等が必ず動き出してくれる」
「……よくそんなことが出来たな」
「皇帝は思想までは取り締まらなかったからな。その点は皇帝を評価しているし、感謝している」
「ルディ……」
「私は国民にとって旧体制の遺物だ。復職しない方が良い」
   レオンは私を見つめ、そうかと言って、それ以上は強く要請しなかった。他愛のない話を交わした後、レオンは帰っていった。

   そういえば、レオンもあまりヴァロワ卿の話をしたがらなかった。ヴァロワ卿に何かあったのだろうか。
   まさか、あの人に限ってそんなことは――。


[2010.5.4]