第14章 霧中の未来



   頭が茫とする――。

「フェルディナント様!」

   視界に霧がかかっているような――。
   この声はミクラス夫人か。
   否、ミクラス夫人だけではない。フリッツやパトリックの声も微かに聞こえる。

「フェルディナント様」

   眼が霞んでよく見えない。瞬きを繰り返しても霧が晴れない。
   まるで夢のなかに居るようだ――。
   もしかして、私はまた具合が悪くなったのだろうか。少し良くなってきたと思っていたのに――。

   頭上から声が聞こえる。会話が飛び交っている。だが、単語が上手く聞き取れない。
   この声はトーレス医師の声とミクラス夫人の声だ――。
   手術という単語が聞き取れた。音が揺れて聞こえる。
   手術、入院、ハインリヒ――、この単語しか聞き取れなかった。
   私は相当、具合が悪いのだろうか。
   痛みや苦しさは無いのに――。



「ルディ」
   ロイの声が聞こえる。私の名を呼んでいる。
   重い瞼を引き上げる。ああ――、私はまた眠っていたのか。どのぐらい眠っていたのだろう。
   視界が霞む。先程もそうだったが、まだ視界が霞んでいる。
   ロイの姿がよく見えない。音も何か壁一枚を隔てているように、聞こえづらい。
「手術、頑張れよ」
   ロイは私の手を握っているようだった。ロイの手がとても暖かい。
   手術、と言っていた。先程もその単語を聞いた。
   手術――?
   もしかして、これから手術なのだろうか――?
「ロイ……」
「手術の間は待合室で待っている。元気になって戻ってくるんだぞ、ルディ」
   やはり此処は病院だ――。枕が違う。それに、明かりの位置も。
   これから手術か――。
   私の身体は移植手術に耐えられるだろうか――。


「失礼する」
   この声――。
   ロイが側から離れる。この声は――。
「良かった。間に合った」
   レオンだ――。レオンの声だ。わざわざ病院に来てくれたのか。
「ルディ、手術、頑張れよ」
「レ……オン……」
「声、出して大丈夫か?」
   微笑み返すと、レオンはロイの方を見たようだった。ロイがレオンに何かを告げる。二人の会話が聞き取れない。

   ああ、また――。
   また、瞼が重くなる。
   ルディ――と、二人の呼び掛けが微かに聞こえる。
   応じることが出来ない。
   身体が重い。瞼が持ち上がらない。


   両方の肺と心臓を摘出し、私自身の細胞から培養した肺と心臓を移植するのだとトーレス医師が言っていた。長時間に亘る手術となるとも言われていた。
   果たして私の身体は耐えられるのか――。

   否――。
   耐えなければ。
   どんなに辛くとも耐えなければ――。

   そして手術を乗り越えたら――。
   侵略戦争を起こした責任を取って、そして――。





「フェルディナント様」
   呼び掛ける声が聞こえて、重い瞼を懸命に引き上げた。この声はトーレス医師だった。
「手術は終わりましたよ」
   トーレス医師は微笑んでそう言った。
   終わった――。
   トーレス医師はこれから病室に戻る旨を告げた。ロイ達が待っているから、起きていたかったのに、眼を開けていられなかった。

   長い夢を見ていたようだった。
   そうだ――。
   幼い頃の夢を見ていた。父や母が夢の中に出て来た。
   そのなかにヴァロワ卿も居た。ヴァロワ卿と出会ったのは、外交官となってからなのに、考えてみれば不思議な夢だった。


[2010.5.2]