「……っ」
右胸が熱い――。
だが、まだだ――。
まだ、倒れる訳にはいかない――。
「フォン・シェリング大将、降参して下さい」
左手で拳銃を構え、右手で添える。それはフォン・シェリング大将も同じだった。利き腕を負傷し、彼は左手で銃口を此方に向けていた。
「ヴァロワ大将、お前はいつも私の邪魔をする。ロートリンゲン家を後ろ盾にな」
「私は二人の意志に迎合出来たから、共に行動してきただけのことです。フェルディナントもハインリヒも、貴方のように他人の犠牲の上に自分の利益を追求する人間ではない」
「一見すれば、宰相の理が正しいように見えよう。だが、この国の体制を変えれば、この大国は維持出来なくなる。大国であるからこそ、強い指導者たる皇帝とそれを支える旧領主家が必要なのだ。民主制などという脆弱な制度では、この国は平穏を保つことは出来ない」
「今の体制であっても、大国であるが故の弊害が既に出ていたことを、宰相は何度も指摘してきた筈だ。帝都が豊かに見えるのは都市部のみ――。辺境部では幾度となく反乱が起きている。その反乱を収束させるために、フォン・シェリング大将、貴方も出動したことがある筈だ」
「だからこそより強固な帝政が必要だと私は陛下に進言してきた。……どうやらお前とはまったく考え方が異なるようだ」
これ以上話しても益は無いなと言いながら、フォン・シェリング大将が引き金に力を込める。きっと撃ってくる。この角度では拳銃を撃ち落とすことは難しい。
それにこの銃もあと三発しか残っていない。
撃つしかないか――。
刹那、パンと音が聞こえた。足が大地に吸い寄せられるような――。
撃たれた――。横から?
フォン・シェリング少将が拳銃を構えていた。すぐさま此方も撃ち返す。左肩を撃つつもりが、足がふらついて手許が狂い、彼の頭を撃ち抜いた。
正面に向き直り、フォン・シェリング大将に銃口を向け直した途端、ズンと身体に衝撃が走る。
腹を、撃たれた。
「……く……っ!」
何とか踏みとどまり、引き金を引く。フォン・シェリング大将の左肩を撃ち抜く。尚も彼は発砲してきた。その一発を紙一重で避ける。
身体が大地に沈み込むように、力が失せていく――。
駄目だ――。身体が言うことを利かない。
この銃もあと一発――。フォン・シェリング大将はこの場で必ず捕らえなければ――。
引き金を引く。
最後の一発はフォン・シェリング大将の左胸に――心臓に命中した。フォン・シェリング大将はぎりと此方を一度睨み付け、その場に倒れた。
終わった――。
身体が鉛のように重い。息苦しい。右胸の傷は肺を貫通しているのだろう。
腹部は――、おそらく内臓をやられている。太股も動脈に当たったようで、血が凄まじい勢いで噴き出してくる。
参ったな――。
膝がかくんと力を失う。ヴァロワ大将閣下、とトニトゥルス隊の隊員が駆け寄って来る。
「……ロートリンゲン大将の許に。皇帝の……確保を……」
三人の内、一人の隊員が此方に近寄ってきたが、首を振ってハインリヒの許に行くように促した。
血が大地に溜まっていく。血の海とはよく表現したものだ。まさしくこれは血の海だ。止血しようにも、身体が動かない。
この怪我ではおそらく駄目だな。眼も霞んできた。
まだ読みかけの本があって、戦争が終わったら退役して、暢気に暮らす予定だったが――。
予定が狂ってしまったな――。
それでも自分の役目は果たせたか……。
大地に吸い込まれるように、身体が倒れていった。俯せに倒れたようで、地面が間近に見える。其処にも血の海が迫ってくる。
息が詰まる。喉にこみ上げてきた生温かいものが呼吸を阻む。それを吐き出そうとすると、激痛が右胸に走った。
「閣下!」
この声はカサル大佐か――。
身体がゆっくりと動かされる。カサル大佐が心配げに顔を覗き込む。
「すぐに手当をします。どうか凝となさっていて下さい」
カサル大佐は救急車を、と誰かに言った。ヴァロワ卿、とハインリヒの声が聞こえる。
怪我は――。
怪我は無かったのか。
問い掛けようにも声が出ない。喋らないで下さい――とハインリヒが言った。
きっと怪我は無かったのだろう。
良かった――。
フェルディナントには大事な時に何もしてやれなかったから、せめてハインリヒだけは守ってやりたかった。
ハインリヒは懸命に傷を抑えてくれた。泣き出しそうな顔をして――。
優秀で判断力もあるというのに、根っからの弟気質で、少し危ういところがあって。
だが、擦れたところのない、一途な性格で――。
まるで弟のようだった。
「ハインリ……ヒ……」
良かった。声が出た――。
やっとの思いで発声出来たものの、止めどなく血がこみ上げてくる。堰ききったように溢れ出してくる。
「喋っては駄目だ! 血が……!」
黙って凝としていても、この怪我ではもう駄目だ。眼も霞んでよく見えないのだから――。
不思議なもので、私は自分のことよりも、ハインリヒのことが気にかかって仕方無い。フェルディナントを失い、悲しみと共にハインリヒが担うものがあまりに大きいのではないか――と。
「ヴァロワ卿、すぐに救急車が来るから……! もうすぐ……!」
ハインリヒの手が私の手を握り締めた。暖かい手だった。
出来ることなら、もう少し側に居てやりたかった……。
否――。
大丈夫だ……。ハインリヒは、きっと――。
「……頑張れ……よ……」
きっと、やり遂げる。
フェルディナントの遺志を引き継いでくれる――。
きっと……――。