最期の願い
宰相が、フェルディナントが、死んだ――?
手術まで保たなかったのか――。
ハインリヒの様子がいつもと違う――余裕を無くしているのも、そのためだったのか。
フェルディナント――。
手術まであと数日だった筈だ。それにフェルディナントは懸命に快復しようとしていたから、この様子なら大丈夫だと私自身も思っていた。ハインリヒは余計にそう考えていた筈だ。
フェルディナントが身体を壊したのは皇帝のせいで、ハインリヒがそれを責めたい気持も解る。だが――。
「殺しては駄目だ。皇帝に罪を認めさせなければ……、フェルディナントも浮かばれない。フェルディナントは決してそのようなことを望んでいない」
フェルディナントは絶対に望んでいない。ハインリヒに復讐を託すような人間ではない。
ハインリヒの手は震えていた。
きっと――、私が止めなくとも撃ちはしなかった。撃てなかっただろう。ハインリヒはフェルディナントがそれを望んでいないことを解っている。だから――。
「ヴァロワ大将閣下!」
カサル大佐の声が背後から聞こえて来る。トニトゥルス隊が到着した。拳銃を構えようとした大佐級の男達に動くな、とカサル大佐が告げる。
皇帝とフォン・シェリング大将が逃げ出そうとする。だが、船までまだ距離がある筈だ。必ず捕らえられる。
「待て、ハインリヒ! 慌てるな!」
制止したにも関わらず、ハインリヒは先に皇帝達を追いかけていく。今のハインリヒは冷静さを失っている。単独行動をさせては駄目だ――。
「カサル大佐! 此処に居る将官達を全員捕らえろ!」
将官達に銃口を向けて、彼等の動きを制しつつ、カサル大佐に命じる。解りました、と告げたカサル大佐が彼等に銃口を向けるのを見遣ってから、すぐにハインリヒの後を追った。銃声が聞こえて来る。
ハインリヒは倉庫の壁を楯に身を隠しながら、彼等に銃口を向ける。フォン・シェリング少将の銃口がハインリヒを捉える。
拳銃を構えて、二発放つ。
フォン・シェリング少将の肩と腕に当たった。彼は撃たれた手を庇いながら、皇帝達の後に続いて走っていく。
「ハインリヒ。皇帝を必ず生かして捕らえるんだ。良いな?」
ハインリヒは数秒、此方を見つめて、解りました、と告げた。
「私はフォン・シェリング大将を捕らえる。行くぞ!」
そういえば――。
電話口でハインリヒは何か言いかけていた。きっとフェルディナントが亡くなったことを伝えようとしたのだろう。私がきちんと聞いておけば良かった。
知っていたら――、この場に来いとは言わなかった。こんなに悲痛な面持ちで、一番憎い相手を追いかけさせるなど――。
フォン・シェリング大将は曲者だ。実際この眼で見たことは無いが、射撃の名手だと以前、ロートリンゲン元帥が言っていた。このハインリヒの状態で彼のことを任せる訳にはいかない。
フォン・シェリング大将の注意を此方に惹きつけよう。息子の少将は負傷しているから、おそらく攻撃はもう出来ない。
フォン・シェリング大将の足を狙う。しかしそれは外れ、彼の足下を掠めただけだった。フォン・シェリング大将は振り返り、応戦の体勢を取る。
よし――狙い通りだ。
ハインリヒは皇帝を追いかけていく。
フォン・シェリング大将の拳銃を弾こう――狙いを定めた瞬間、彼の手が動いてハインリヒに銃口を向けた。
「ハインリヒ!伏せろ!」
咄嗟に、駆け出した。
ハインリヒの背を押しやる。
それは一瞬のことで――。
ズン、と胸に強い衝撃を感じた。後ろに倒れ込みそうになるのを踏みとどまる。すぐさま引き金を引く。二発の弾丸は、フォン・シェリング大将の右肩と腕に当たる。
良かった――。
あのままハインリヒに当たっていたら、心臓を撃ち抜かれていた――。
「ヴァロワ卿……」
「早く追いかけろ!」
ハインリヒが此方を気遣っている間にも、皇帝は船に近付いていく。逃げられたら、今度こそ何処にいったか解らなくなる――。
「怪我を……」
「構わん、行け! 早く! この機を逃すな!」
ハインリヒを叱り飛ばすと、ハインリヒは頷いて走っていく。