やがて卒業が近付き、私は外交官試験に合格し、晴れて外交官となり、ティアナは新聞社に就職した。記者になりたいと言っていた彼女も夢を叶えた。
   しかし、就職してからというもの、互いに仕事が忙しくなり、電話やメールばかりで顔を合わせることが出来なくなってしまった。ひと月に一度、一時間でも時間が取れれば良い方で、それも次第に回数が減っていった。
   寂しさを感じるというよりも、忙しくて自分のことで精一杯だった。ティアナも記者という仕事柄、決まった曜日に休暇が取れることもなく、折角デートを予定していてもキャンセルとなることも多かった。

   そうしたすれ違いの生活が、関係に破綻をもたらした。私が公使に昇格した年、私達は別れを決めた。同時期にティアナにも昇進の話が上がっていて、彼女も仕事に集中したいと言っていた。二人で話し合い、互いに仕事を選んで、別れた。
   それでも別れた時には、もの悲しさが付いてきた。ずっと一緒に過ごせなかったのだから、そうした寂しさや悲しさは無いだろうと思っていたのに、そこはかとない悲しさが暫くの間、ついてまわった。

   ティアナとは大学の頃から数えて四年間付き合ったことになる。ティアナと別れてからは、恋人を作ることもなかった。その翌年には当時の宰相が逝去して、宰相試験が実施されることが決まり、私はそれを受けて合格し、さらに仕事に没頭することになった。

   しかし時が経っても、彼女のことは忘れなかった。未練が無いといえば嘘になる。彼女のような女性とは、宰相となってからも出会えなかった。大学を卒業する時に、結婚を申し込んでおくのだった――と後悔したこともある。それだけ彼女は素敵な女性だった。



「では今後、議会の権限が大幅に拡張される可能性がある、と?」
「今は議会が、内務省の管轄下に置かれているが、いずれ議会を独立させて民意を反映させる機関としたいと考えている」
「現状は皇帝陛下、そして宰相である貴方、それから各省の長官の採決によって法案が決められているけど、それが根本的に変わるという理解で良いかしら?」
「ああ。そして、議会の様子はメディアでの中継を可能としたい。抜本的な改革を要するため、時間はかかるだろうが、暫時的に変化を取り入れたいと考えている」
「……大変なことね。でも貴方らしいわ」
   ティアナはメモを取り終えると、質問の内容を追うかのように指先でなぞり始めた。懐かしい。ティアナはいつもそうして、確認をしていた。その指が不意に止まり、彼女はくすりと笑ってから顔を上げる。
「最後の質問。結婚の予定は?」
「え?」
「え?じゃないわよ。ルディだって33歳。そろそろ本気で結婚を考える時期ではないの?国民に人気があって、おまけに美形だと噂の宰相がどんなお嫁さんを貰うか、国民は関心を寄せているのよ」
   皇族なら兎も角、私が結婚しても政務には何も関わりないだろうに――。国民の関心は面白いところに向けられるものだった。
「まだ予定は無いな。やるべきことが多くて、仕事に明け暮れる毎日だ」
「変わってないわねえ」
「……君は結婚したのだな」
   ティアナはええ、と言ってちらと薬指の指輪を見遣った。
「去年、同じメイヤー新聞社の記者とね。経済部に所属しているの。私は政治部だから、すれ違いの毎日だけどね」
「だが……、幸せそうだ」
「ルディにも素敵な相手が現れるわよ。貴方は素敵な人だもの」
   彼女が幸せになってくれれば良い――そう考えていたが、こうして話していると少し妬いてしまう。彼女の夫となった男が羨ましい。いや、結婚を申し込みもしなかった私が嫉妬出来る筈も無いが――。

「閣下、失礼致します」
   オスヴァルトが部屋に入室する。次の会議の時間が差し迫っていることを伝えに来た。
「ごめんなさい。時間を過ぎてしまったわね」
「構わないよ。私も有意義な時間を過ごせた。今日はありがとう」
   ティアナはメモを持って、立ち上がる。そして彼女は片手を差し出した。
「ルディ、頑張ってね。私も協力出来ることがあれば協力するから」
「ティアナ……」
「貴方だったらこの国が変わるような気がする」
「……ありがとう。君も仕事を頑張って」
「勿論。帝国一の女記者になってみせるわよ」
   握手を交わし合ってから、ティアナは部屋を退室する。しなやかな手の感触がまだ私の手に残っていた。

   私はいつまで未練を抱えているのだか――。
   苦笑すると、オスヴァルトはどうかなさいましたか、と問い掛けてくる。

「ああ、済まない。すぐに会議室に向かわなければな」



   結婚か――。
   今迄それほど意識していなかったが、ティアナの言っていた通り、私も33歳で、そろそろ結婚を考えなければならない年ではある。考えてみれば、ミクラス夫人がこのところ結構五月蠅く結婚を勧めるようになってきた。
   そのたびにティアナを思い出していたものだが――。
   彼女ももう結婚したのか。
   やはり何だか寂しいような――、何とも言えない気持になる。

「ティアナはもう帰ったのか?」
   会議開始時間を五分、遅れてしまった。会議といっても軍務省との会議で、ロイやヴァロワ卿との三人での会議だったから、気心が知れたものだった。
「ああ。今、取材が終わったところだ。ヴァロワ卿、遅れてしまって申し訳ありません」
「構わんよ。ハインリヒから宰相の元恋人について聞いていたところだった」
   ヴァロワ卿は微笑してそう告げる。横合いから、ロイが食事にでも誘えば良かったのに――と言った。
「嫌いになって別れた訳ではないのだし、もう一度彼女と……」
「去年結婚したそうだ」
   ロイは驚いたように眼を見開いた。驚いたのは、私の方だ。ティアナの薬指に指輪を見つけた時、どれだけ平静になろうと心掛けたか――。
「それは残念だったな、宰相。ハインリヒから聞いたところ、かなり良い仲だったらしいではないか」
「ヴァロワ卿まで……。彼女とはもう10年以上も前に終わっていますよ」
「宰相に女性の噂が無いことをずっと不思議に思っていたが、ロイから話を聞いて納得したぞ。その女性のことをまだ気に掛けていたのだろう」
「そんなことはありませんよ。さあ、会議を始めましょう」
   ヴァロワ卿は勘が良いから、これ以上此方のことを勘繰られる前に話をすり替えてしまおうと作戦を講じた。それにも気付いてか、ヴァロワ卿はそうだなと言って苦笑する。
   全て見透かされているような――。


   もう11年か――。
   ヴァロワ卿の指摘通り、別れてからもずっと気にかかっていて、私の携帯電話にはまだ彼女の番号が残っていた。未練がましい――と自分でも解っていたが、消せなかった。
   だがこの日、思い切ってその番号を消去した。
   そうすることで、ずっと細い糸のように続いていたものが断ち切れ、彼女との楽しい日々が漸く思い出になったように感じられた。

【END】


[2010.4.1]