想い人



   午後二時から、記者との接見が予定されていた。新聞や雑誌のインタビューの申し入れは極力引き受けるように心掛けていた。
   帝国は政治に関する情報が制限されていて、政府側の意志が国民に示される機会が少ない。したがって、マスメディアの媒体は国民との接点を持つという意味で、重要になってくる。
「閣下。今、記者が到着したのですが、担当の記者が急遽変更になったようで……。どうしましょう?警備上の問題もありますし、今回は取材を断りましょうか?」
「いや、誰であれ構わない。その記者にはもう待って貰っているのか?」
「はい。応接室で待機しています」
「ではすぐに行こう」
   皇帝との謁見が終わり、執務室へ戻ってきたところだった。扉の側にある鏡でネクタイが曲がっていないかどうか確認し、それからすぐに応接室へと向かう。
   宰相室専用の応接室は、執務室のすぐ隣にある。オスヴァルトが扉を開ける。宰相閣下がいらっしゃいました、とオスヴァルトが告げる。それから部屋に足を踏み入れる。

   急遽担当となったという記者の姿を見て、驚いた。
   言葉を失い、我が眼を疑った。

「メイヤー新聞のティアナ・キルヒアイゼンです。担当記者が急用で来られなくなり、大変失礼致しました」
   ティアナ・キルヒアイゼン――。

   彼女のことを知らない筈がなかった。メイヤー新聞に勤めているということは、転職したのか――。
「記者の変更を受け入れますが、閣下の身の安全のため、護衛にも同席して頂くことになりますが、宜しいですか」
「いや、オスヴァルト。護衛は不要だ」
「閣下。ですが……」
「彼女は私の知人だ。まさか……、メイヤー新聞に勤めていたとは知らなかったが……」
   ティアナ・キルヒアイゼンはにっこり笑って、一昨年転職したんです――と応えた。笑うときに少し小首を傾げる。その癖は以前と変わらない――。
   髪は少し伸びただろうか。しかしそれ以外は10年前の姿と何も変わりない。


   否――。
   左手の薬指に指輪がきらりと輝いている。
   結婚指輪だ――。
   そうか、結婚したのか――。
   結婚――。


「……解りました。それでは私は失礼します」
   オスヴァルトは一礼して部屋を去っていく。未だ立ったままの彼女に座るよう促すと、彼女は微笑んで久しぶりね――と言った。
「こういう物言いはもう失礼かしら?」
「いや。以前のように気楽にしてくれ。……それにしても驚いた」
「担当記者の親族が急に亡くなってしまったの。それで私が代わりに」
「そうか……。フォス誌に居るものとばかり……」
「一昨年、メイヤー新聞の政治部から引き抜きの話があって受けたの。まさか、こんな形で貴方と再会すると思わなかったけれど」
   彼女は――、ティアナは私を見つめて笑む。懐かしかった。彼女と会うのも10年……いや、11年ぶりか。
   そうか――。別れてもうそんなに経つのか。

   不意に扉が叩かれて返事をする。誰だろうと思ったら、入室したのはロイだった。ロイはティアナを見て、私と同じように驚いた。
「久しぶりね、ロイ」
「……何故ティアナが……。もしかして、知人の記者って……」
「ああ。私も驚いたところだ」
「そうだったのか……。オスヴァルトから連絡が入って、ルディが会談の護衛を断ったと聞いたから駆けつけたが……。ティアナなら確かに護衛は要らんな」
   ロイは納得するように呟いて、ティアナを見つめた。
「何も武器は持っていないから安心して。荷物検査も受けたから。それよりも、ロイ、海軍長官となったと聞いているわ。おめでとう」
「ありがとう。ティアナは何も変わっていないな。……最後に会ったのは、もう10年以上前になるだろう?」
「そうね。仕事が忙しくてそんなに時間が経ったようにも思えなかったけど……」
   そうだな――と相槌を打ってから、ロイは此方を見遣って言った。
「ルディ、俺は部屋に戻る。二人でゆっくりしてくれ」
   ロイはきっと指輪を見ていないのだろう。返答に困り黙り込んでいるうちに、ロイは退室する。ティアナはそんなロイと私の様子を見て、楽しそうに笑った。
「相変わらず仲が良いのね」
「ロイも私も相変わらずだ」
「きっとそうだろうなと思ってたわ。ルディが宰相となった時は流石に吃驚したけどね」
   ティアナはそう言ってから、時計に視線を落とした。
「30分と決められていたわね。色々な話をしたいけれど、時間が惜しいから早速インタビューに映って良いかしら?」
   ティアナは手帳を出して、ペンを構える。ああ、と応えると彼女の質問が始まった。

   それにしても懐かしいものだった。それに意外だった。
   まさかティアナと、以前付き合っていた女性とこんな形で再会することになろうとは。



   ティアナと付き合い始めたのは、私が大学3年の時だった。同じ学部で、偶に言葉を交わすことはあったが、そう頻繁に顔を合わせることもなかった。
   それが3年となったとき、同じゼミに所属して、急速に親しくなっていった。
   ティアナは誰に対しても、分け隔ての無い女性だった。私にも自然体で接してくれた。ロイと母以外で、私をルディと呼ぶ人間はティアナだけだった。
『旧領主層でも平民でも、同じ人間であることに変わりはないじゃない。元を正せば猿よ』
   ティアナからその話を聞いたとき、私は本当に嬉しかった。
   君と付き合いたい――私がそう言ったのも、彼女が初めてだった。初めての恋人だった。ティアナは快く私と付き合ってくれた。旧領主層だということも全く関係無く、ただ一人の人間として、ティアナは私のことを見てくれた。
   毎日のように語らい、休日にはデートをした。誕生日にはプレゼントを贈った。ティアナは明朗快活な女性で、一緒に居ると楽しかった。

   漠然とではあったが、彼女と結婚したい――と私は思っていた。外交官となり、少し余裕が出て来たら、結婚を申し込もうとも考えていた。
   ティアナと付き合っていることは、ロイは知っていたし、両親にも知られていた。母には恋人が居るのかと聞かれた時にそれとなく答えておいたからだが、父には私達がちょうど街でデートしているところを見られたようだった。父上がお前達のことを知っていたぞ――とロイから聞いた時には焦ったが、父は特に何も言わなかった。興味が無かったのかもしれない。


[2010.4.1]