宰相の試験が実施されるまでの間、宮殿内は騒々しい日々が続いた。フェルディナントに対する陰口も頻繁に交わされるようになり、軍務省のなかではフェルディナントに加えて、ハインリヒや元帥に対してそうした心無い言葉を投げかける者も居た。
「何と言われようと構いませんが、私はむしろ宰相となってからの方が大変なのではないかと思うのですよ」
   試験が差し迫ったある日、ハインリヒと話す機会があった。ハインリヒはフェルディナントの身体のことを一番に心配しているようだった。その一方で――。
「どうやらハインリヒはフェルディナントが試験に合格すると思っているようだな」
ハインリヒの言葉尻からそのことが察せられた。ハインリヒは絶対とは言い切れませんが――と前置いてから言った。
「ルディが優秀なのは私も……、父も認めています。ひょっこりと試験に合格してしまいそうで……」
「確かにあれだけ有能な外交官を私も見たことが無いな。フェルディナントと仕事をしていると、いつも以上に捗る。おまけに政治面から文化面に渡ることまで博識だ。だから、宰相となったら、本当にこの国を変えてくれるかもしれないと期待もしたくなる」
「ヴァロワ卿……」
「お前も大変だろうが、私はフェルディナントの応援をする。尤も、口出しをするなと釘を刺されたが」
「それは父もルディに言っていました。今回の一件は誰も巻き込んではならない――と。ヴァロワ卿がルディを応援していることが知れたら、ヴァロワ卿に迷惑がかかりますから」
「私のことは構わん」

   宮殿ではフェルゲンハウアー内務長官が次期宰相であると、皆が話していた。フェルディナントが宰相となるかもしれない――と囁いていたのは、ごく一部の人間のみだった。その一部の人間は外務省の者達だったから、フェルディナントの能力を目の当たりにすると、やはりそれだけの才ある人間だと気付くのだろう。


   宰相の試験も、官吏の試験と変わらない。多岐に亘る事柄について筆記試験が課せられると聞いている。そして筆記試験が終わったら、次は皇帝の試問が課せられる。
   流石にこの日は私も気になって、仕事が手につかなかった。軍務局内も俄にざわめいていた。どちらかといえば彼等は、フェルディナントのその後の行動が気にかかるようだった。同じ局内に居るハインリヒは平然とした様子で仕事に取り組んでいたが、いつもより書類の処理が遅いことからも、気にかかっているのだろう。
「記述試験、僅差らしいぞ」
   夕方になって、記述試験の結果がもたらされた。軍務省もいち早くその情報を掴んだ人間が居た。
「僅差ってどちらが上だったんだ?」
「ロートリンゲン家の方が満点だと。採点官の5人ともが満点を出したらしいぞ」
「問題が簡単だったのか?」
「問題もそろそろ開示されているのではないか? 二人の答案と共に」
   各省の長官や宰相の試験の結果は公開されることが決まっていた。パソコンのモニターにそれを映し出してみたところ、難問が連なっていた。
   フェルディナントの答案に眼を通してみると、非の打ち所の無い回答が綴られてある。これでは採点官も満点を与えずにいられなかっただろう。それに対してフェルゲンハウアー内務長官の採点は少し甘いようにも見えた。
   しかしこの結果を巡って、宮殿内はさらに大騒ぎとなった。もしかしたら本当に25歳の宰相が誕生してしまうかもしれない――旧領主層達は慌てたようだった。

   翌日、皇帝の前で試問が実施された。その様子は非公開だったが、各省の長官達は試問の場に参加することが出来る。陸軍長官が部屋に戻って来たところに、お伺いに向かった軍務局長の様子が余裕を失っていたから、おそらくフェルディナントが優勢だったのだなというのは察することが出来た。
   通常なら、この日のうちにどちらが宰相となるか決定する筈だった。

   ところが、人選は紛糾した。
   各省の長官とともに、旧領主家の当主達が皇帝の許に行ったらしい。そのような事態となるということは、試験ではフェルディナントの点数が上だったのだろう。それを旧領主達が覆そうとしているに違いなかった。

   記述試験から三日が経っても、事態は収まらなかった。その間、ハインリヒともフェルディナントとも話をすることもなかった。
   それがその翌日のことだった。職務中にハインリヒが胸元の携帯電話を取り出して、部屋を退室した。ハインリヒの動向には皆が注目していたから、そうしたちょっとした動作も目立ってしまった。
   ほんの五分も席を立っていなかった。ハインリヒは部屋に戻ってくると、私の許に歩み寄ってきた。
「ヴァロワ卿。少し良いですか?」
「ああ」
「今し方、兄が宰相の指名を受けました」
   フェルディナントが宰相に指名された――。
   この国が本当に変わるかもしれない――と実感を抱いた瞬間だった。そしてその英断を行った皇帝にも驚いたが、何よりも私は安堵していた。フェルディナントの能力が正当に評価されたことに。
「そうか……。良かった。おめでとうと伝えてくれ」

   ハインリヒの表情が緩む一方で、軍務局内は騒然とした。長官級の大幅な人事が行われるのではないか――と囁き合う声も聞こえる。それまで冷ややかな眼で見ていた将官のなかには、態度を一点させて、おめでとうございます――とハインリヒに告げる者も居た。


   この日、帝国に若い宰相が誕生した。


【End】


[2011.8.11]
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