「おめでとう、ユーリ」
   運ばれてきたワインがグラスに注がれると、ウィリーはグラスを持ち上げて言った。俺の昇級と本部への異動祝いに、ウィリーが飲みに誘ってくれた。
「ありがとう。漸くローマに戻って来ることが出来たよ」
「漸くと言っても、同期のなかで一番昇級が早かっただろう。本部はお前の噂で持ちきりだったぞ」
   口に運んだ白ワインは辛口で、口の中でぱっと弾ける。美味い筈なのに、それがほろ苦くも感じられる。
「別に大したことではないよ。何かこう、決められたレールを進んでいるような気がするしな」
「軍人となると決めたのはお前だろう?」
「それはそうだけど……」
「自分の好きな道に進んで、同期では最速の昇級。上官からも期待を寄せられているのに、何の不満がある?」
   ウィリーはグラスに口をつける。ことりとグラスを置く音が聞こえた。
「不満……という訳ではないと思うけど、何をしても勝てない存在が立ちはだかっているから……」
「……お前のそれも大概、しつこいな」
   呆れたように告げるウィリーに苦笑を返す。
   それはウィリーにしか打ち明けられないことだった。ウィリーと俺は、同じ立場だから――。

「今日の挨拶回りの時も何人にも言われたよ。伯父上に似てるって。俺がどれだけ頑張っても、皆は俺のことを宰相の甥としか見ていない。俺自身への評価は存在するのかどうか……、正直なところ、疑問を感じることもある」
「今時、宰相の甥だからといって優遇されることも無いだろう。皆、単にお前と宰相の容姿が似ているから、そう言っているだけだ」
「……伯父上に負けまいと思って、何もかも頑張ってきた。その俺自身が頑張った成果すらも、宰相の甥だからという言葉で済まされてしまう」
「人の評価ばかり気に掛けても仕方無いぞ。言いたい奴等には言わせておけ」
「……評価が欲しい訳じゃないんだ。ただ、俺を俺と認めてほしいというか……。ならば伯父上を追い越そうと思ったのに、それも出来ない」
   ウィリーは黙ってまたワインを飲んだ。暫くして徐に問い掛けてきた。
「……嫌か? 宰相の甥という位置が」
「そうじゃない。伯父上のことは尊敬しているよ。でもその存在が大きすぎて……、俺自身が小さな存在に見えてしまうんだ。俺は一体何をしているのかと思う時さえある。早く大佐とならなければとつい最近まで思っていたのに、なってみたらまだ大佐だと思ってしまうし、きっと来年にならないと准将にもなれない。何か大きなことを成し遂げるには、早く大将にならなくてはいけないのに……」
   焦りばかりが募る。そして伯父の存在を強く意識してしまう。
「……莫迦だな、お前は。頭が良いのに、そういうところだけは相変わらず莫迦なままだ」
「ウィリー……」
「お前が宰相を強く意識しているのは、尊敬し、憧れているからだろう。憧れの対象と自分を比較してどうする?」
   憧れ――か。
   確かに憧れもある。だが、この胸のもやもや感は憧れというよりも――。
「ウィリー。俺は僻んでいるのかもしれない……。どう頑張っても伯父上のようにはなれないと……」
「そうならますます莫迦だぞ。……良いか、ユーリ。憧れるのは良いが、その存在にお前が飲まれてどうする? お前はお前、宰相は宰相だ。お前はお前のやり方で突き進んでいけば良い」
   ウィリーはこういう男だった。
   突き進むのを躊躇ってしまう俺の背をいつも押してくれる。悩みの渦に飲み込まれそうになる時は俺を引き揚げてくれる。
「俺のやり方か……」
「それに人員補充ということで軍務局所属となったが、参謀本部もお前を欲しがったのだぞ」
「参謀本部に行きたかったな。そうしたらウィリーと一緒に仕事が出来た」
「その機会は増えると思うぞ。特務派だろう? 軍務局特務派と参謀本部が一緒に会議をすることも多いからな」
「演習や作戦会議は一緒だと聞いたよ」
「参謀本部の会議は面白いぞ。下の者にも意見を言わせてもらえる」
   ウィリーは参謀本部の様子を教えてくれた。居心地の良い場所のようで、ウィリーはのびのびと仕事に取り組んでいる。
「どうにもならないことをうだうだ悩んでいるより、今の自分に出来るだけのことを精一杯やっておけ。……ところでミリィから聞いた話だが、家の仕事も任されてるんだって?」
「帰ってきた途端に、父上から家の仕事を憶えろって言われたんだ。明日はその関係で、創立記念パーティに行ってくる」
「それはまた忙しくなりそうだな」
   ウィリーは笑いながらグラスに残っていたワインを飲んだ。俺にとっては笑いごとで済まされなかった。折角の休日だから、ミリィを誘って何処かに行こうと思っていたのに――。
   ああ、そうだ――。
   ウィリーには先に話しておこうと思っていたことがもう一つあった。
「ウィリー」
「何だ?」
   ウェイターが空になったグラスにワインを注いでいく。琥珀色の液体が照明を受けてきらりと輝いた。
「年内にミリィと婚約しようと思ってるんだ」
   ウィリーは持ち上げたグラスを置いて、俺を見つめた。ミリィと付き合っていることはウィリーはかなり前から知っていたし、結婚の意志があることも話していたが――。
「ついに……か。複雑な気持もあるが」
「近々、小父上と小母上のところに許可を貰いに行くつもりなんだ。ウィリーには先に伝えておこうと思って……」
   ウィリーは驚いたが、祝福してくれた。お前が義弟になるのだな――と笑いながら言って、再びグラスを持ち上げて乾杯してくれた。



   そして軍務局での仕事が少し落ち着いてきた頃、ミリィと婚約した。
   ロートリンゲン家とヴァロワ家が結びつくのか――と軍務省の内部では驚きの声が上がったようだった。ロートリンゲン家は何か画策しているのではないか――と影口を叩く者も居た。
   だがそんな細かなことは気にならなかった。俺が気に懸けているのはいつもただひとつのことだった。
   何かを成し遂げたい。
   父やヴァロワの小父上のように。

   そうしていつか――。
   いつか伯父を超えたいと。
   そればかりを考えている。

   いつか――。


【End】


[2011.7.30]
Back>>7<<End
Galleryへ戻る