大切な時間



   6月15日は私の誕生日に当たる。毎年の家族の誕生日――ユーリの5月27日、エミーリアの12月1日――は、家族全員で祝うことになっていた。
   しかし今年は、ユーリの誕生日に出張が入り込んでしまった。その埋め合わせもかねて、来週、休暇を取ることした。水族館に行ってみたいとユーリが言っていたから、郊外にリニューアルオープンした水族館に足を伸ばす予定だった。
   それが今日、国際会議からの通達があった。連絡を受けたとき、嫌な予感はしたのだが――、来週のちょうど休暇を取ろうとした日に、緊急会議が開催されることになった。

「え?出張なの?」
   エミーリアにそのことを伝えると、エミーリアは驚いた様子で尋ね返した。
「ああ。済まない。15日に緊急会議が入ってしまったから、前日からアジア連邦に行くことになった。翌週の演習も兼ねてのことだから、再来週まで帰宅出来ない」
「……ユーリが寂しがるわね。このところ貴方と会えないから、誕生日は一緒に過ごせるって楽しみにしていたのよ」
   このひと月、多忙すぎて、出勤はいつもより一時間早く、そして帰宅は日付が変わってからという毎日だった。今も午前一時を回っており、私自身もユーリと話をする間も無かった。
   少し前のユーリの誕生日も、休みを取れず、そればかりか立て続けの会議で早く帰宅することも出来なかったので、空いた時間に邸に連絡を入れ、ユーリには電話で誕生日おめでとうと伝えたのだった。次に休みが取れた時に、ユーリの誕生日を祝い直そう――そう約束していた。そして、その休暇というのがちょうど私の誕生日に当たっており、ユーリはそれを楽しみにしていたらしい。
「ユーリにも謝らねばな……」
「謝る時間も無いでしょう? 私から伝えておくわ。でも次の休暇には埋め合わせしてあげてね。……貴方のお休みを本当に楽しみにしてたから……」
「そうか……。仕事ばかりで済まないな」
「今日も貴方が帰るまで起きてるって言って、11時までは起きていたのだけど……。でもロイ。ユーリも可哀想だけど、貴方も身体は大丈夫? 先月からまったく休みが無いでしょう?」
   エミーリアは心配そうに問い掛ける。確かにここ最近は睡眠時間も少ないが――。
「大丈夫だ。私は健康だけが取り柄だからな」
「体力を過信しちゃ駄目よ。ある日突然、がたっと落ちるのだから」
「そうだな。もう若くないからな」
   笑いながら応えると、エミーリアはそうよ――と言いながら笑い返す。エミーリアとのこうした会話は疲労を吹き飛ばしてくれる。
「先に入浴を済ませて来る」
   軍服の上着をエミーリアに預け、浴室へと向かう。時刻は午前一時半となるところだった。入浴を済ませたら、一時間程書斎で家の仕事を済ませるか。確かフリッツが今週中に決裁を求めていた案件があった筈――。


「父上……」
   廊下を歩いていたところ、ユーリの声が聞こえて振り返った。眼を擦りながら、近付いて来る。
「起きていたのか、ユーリ」
   側に歩み寄ると、ユーリはトイレ、と言った。成程、トイレに行く最中に私と出くわしたのだろう。その眼は今にも閉じそうで、ユーリは何度も何度も眼を擦った。
「先にトイレに行っておいで」
   促すと、ユーリは凝と私を見つめて、両腕を上げる。抱いてくれという合図だった。去年あたりからせがまれることはなくなっていたのだが――。日頃、遊んでやることも出来ないから、少し甘えたいのだろう。
   ユーリを抱き上げて、トイレへと向かう。用を済ませるまで、扉の側で待っておくことにした。このまま一人にするのも可哀想で――。
   暫くしてトイレから出て来ると、ユーリは幾分か眼が醒めた様子で、今帰ってきたの――と尋ねて来た。
「ああ。ただいま」
「僕、待ってたんだよ。でもどうしても眠くて……」
「毎日寂しい思いをさせてごめんな。夏には休暇を取るようにするから……」
   いつもなら、眼を輝かせて喜ぶのに、この時のユーリは俯いていた。実は来週も休暇が取れなくなったのだと言わなければならないが――、この様子で告げるのは少々可哀想な気もする。
「父上のお誕生日はお休みだよね? そう約束したよね……?」
   察したのか、ユーリが縋るような眼で問い掛けてくる。やはり言わざるを得ないか。
「済まない。緊急の会議が入って、アジア連邦に行かなくてはならなくなったんだ。14日に出発して、再来週まで帰らない」
   ユーリは大きな眼で私を凝と見つめる。その眼が次第に潤んできて――。

「どうして……? 僕の誕生日も駄目で、父上の誕生日にはお休み取ってくれるって約束だったのに……」
   ぼろぼろと涙を流しながら、ユーリは責める。責められて当然だ。仕事とはいえ、もう何度も約束を破っているのだから――。
「ごめん、ユーリ。今年の夏は必ず……」
「嫌だ……っ! お休み取って来てよ……っ」
   泣きながら、ユーリは難題を出す。私にはもう謝ることしか出来なかった。抱き上げて宥めていると、エミーリアが廊下を歩いてくるのが見えた。どうしたの――と歩み寄って来る。泣いているユーリを見て、何があったのか気付いたようだった。
「ユーリ。父上を困らせては駄目よ」
「だって……っ! 約束したのに……っ!」
「父上にはお仕事があるの。ユーリも今年からジュニアスクールに通っているでしょう? ジュニアスクールは勝手にお休みすることは出来ないわよね? それと同じで、何よりも優先させることがあるの」
「でも……!」
   泣きながら言い返そうにもユーリは言葉に詰まった様子で、凝と私を見つめた。
「今、仕事が忙しい時期なんだ。夏に必ず埋め合わせをすると約束する」
   いつもなら、本当に――と繰り返し尋ねるユーリが、この時は私の眼を悲しそうにただ凝と見つめていただけだった。その様子に、流石に胸が痛んだ。


[2011.6.15]
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