隣町まで車で30分を要した。ロイと他愛の無い話を交わしながらのドライブは、非常に短く感じられた。町の中心部にあたる商店街近くの駐車場に車を停め、其処からは歩いて散策する。ロイは気持良さそうに歩きながら話し始めた。
「帝都以外でこんな風にぶらつくのは久々だ」
「私もだ。ロイは休日でも出掛けないのか?」
「あまり出掛けないよ。此処に来るのもバスと地下鉄を使わないといけないし……。そうすると一時間以上かかるんだ。それに課題も多いしな」
「そうか……」
   私が考えていた以上に、ロイは忙しい日々を送っていた。それに寮の門限がかなり厳しいらしい。
「士官学校の界隈は軍人ばかりで息抜きにもならないからな。皆は出掛けているようだけど、俺は平日は殆ど寮に居るんだ。……ところであの店に入らないか?」
   昼食にしよう――そう言ってロイが案内してくれた店へと入る。休日の昼時ということもあるのだろう。一階は満席で、二階席へと通された。其処で唯一空いていたテーブルに着く。
「此処はお前の行きつけの店か?」
   ロイの慣れた様子に問い掛けると、ロイは頷いて言った。
「いつも窓際の席に座って、町を眺めてるんだ。少し先に書店があって、其処で買った本を読むこともある。学校より落ち着けるんだ」
   寮では二人部屋だと聞いている。きっとそのせいもあってロイは落ち着けないのだろう。しかも同室の学生とあまり話が合わないのだということも言っていた。
「ロイ。週末に時間が空いている時は連絡をくれ。車もあることだし、こうしてお前と会う機会が作れる」
「ルディ……。それは嬉しいけど……、でもティアナとデートがあるんじゃないか……?」
「ティアナとはほぼ毎日会っているし、毎週のように出掛けている訳ではないよ」
   では良いのか――とロイは嬉しそうに尋ね返す。頷くと、空いた時には連絡をいれるよ――と言った。

   こんなにロイが喜ぶとは思わなかった。誕生日の贈り物に車を――と聞いた時には、私にはさして必要の無いものと思われたが、こうしてみると車を貰って良かったと思えた。




「じゃあ、ルディ。気を付けて」
   夕刻になるまで、ロイと町で遊んだ。映画館に行ってみたり、町の高台に行ってみたり――。子供の頃にはこんな風にロイと同じように行動することが叶わなかったが、今は共に楽しむことが出来る。
   ロイを士官学校へと送り届けて、それから帰路に着いた。行きと同様、二時間かかって邸に到着すると、ケスラーがお帰りなさいませと車庫の前で出迎えてくれる。
「お入れしましょうか?」
   車庫入れの苦手な私を気遣ってだろう。一度だけ試してみるよ――とケスラーに告げると、ケスラーは快く頷いて車から離れた。
   自動運転からモードを切り替えて、ハンドルを握る。後進しながら、ゆっくりとハンドルを回していく。ハンドルを切りすぎて一度元に戻して前進させる。それから――。
「そのまま後進しろ。綺麗に入庫出来る筈だ」
   突然聞こえて来た父上の声に驚いて顔を前に向ける。気付かなかったが、私の前方に父上が立っていた。
   父上に言われた通り、ハンドルをそのままにして後進する。本当に、綺麗に入庫することが出来た――。
「今の感覚を覚えておくことだ」
「はい。ただいま帰りました、父上」
「車の方は問題無かったようだな」
「ええ。殆ど自動運転でしたし……」
   車に鍵を掛けて玄関へと向かう。玄関ではフリッツが待ち受けていた。
「お帰りなさいませ、フェルディナント様」
   ただいま――と応えて、母上に帰宅を告げようとリビングへと向かう。父上はフリッツに何かを頼んでいるようだった。
「ただいま、母上」
   母上はリビングで手紙に眼を通しているところだった。お帰りなさい――と母上が顔を上げて告げる。
「運転はどうだった?」
「殆ど自動運転だったから大丈夫だよ。ロイも元気だった」
「そう。ロイも喜んだでしょう?」
   頷いたその時、父上が部屋にやって来た。手には数枚の書類があった。忙しいのだろうか。ふと朝のことを思い出して、父上に尋ねてみることにした。
「……軍は今、忙しいのですか? 父上」
   何気なく問い掛けると、父上は私を見て、どうした、と問い掛けた。
「いえ、士官学校にも将官が何人も来ていたので……」
「士官学校に将官が?」
「多くは海軍部でしたが、父上も今書類を持ってらしたので、もしかして軍務省が忙しいのかと」
「いや、これは来月の総会の資料だ。軍とは関係無い。……そうか、海軍部将官が士官学校に集っていたか……」
「車を正門前に停めたら少し誤解を受けまして、ロイと共に身許照会されました」
「身許照会?」
「ええ。士官学校の事務室で大学名と学籍番号、それに名前を名乗って……」
「……他に何か言われたか?」
「免許証も確認されました」
   父上は何か考えるような表情をしたが、すぐに取り直した様子で言った。
「疚しいことなど無いのだから堂々としていれば良い」
   父上はそう言うと、資料に視線を落とす。だが、資料を読むというよりは、何か考えているように見えた。
「ルディ。ロイは貴方が車を運転してきたことを驚いていたでしょう」
   母上は手にしていた手紙を折り畳んでから、私に問い掛けた。
「羨ましがってた。車が欲しいって。でも卒業するまで運転出来ないって言ってたから……」
「ハインリヒの場合は、来年の卒業祝いだな」
   この話をロイが聞いたら喜ぶだろう。今日、車に乗りながら何度も良いなと言って、羨ましがっていたのだから。





   それからロイが士官学校を卒業するまでの間、ロイと私の時間が合う週末には、私が車で士官学校に出向き、共に外出するようになった。
   車を得たことで、一気に行動範囲が広がった。子供の頃、邸から殆ど出られなかった私にとっては、それが何とも新鮮な気分だった。
   まるで、それまで広げられなかった翼を広げられたようで――。


「フェルディナント様! 旦那様の御車にぶつけてしまいます!」
   この日も車を出して少し遠くの図書館まで行って来た。そしていつも通り、車庫に車を入れようとした。
   ケスラーが慌てて、私に停車を促した。見ると、隣に置いてある父上の車まであと1センチというところまで迫っていた。
「入れ直すから、見ていてもらえるか?」
   時にはまだ車庫入れを失敗するが――。
   もう一度ハンドルを切って、前進しようとアクセルを踏んだ時、ケスラーが酷く慌てて顔色を変えた。
「どうし……」
   茫然として一点を見つめるケスラーの視線の先を見遣ると、父上の車に私の車が掠るように接触していた。

   翼を広げるのは良いが――。

   私が父上の車を傷付けた第一号となってしまった。


【End】


[2011.6.1]
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