試験を終えたその日に、任命式と就任式という段取りとなっていた。宮殿での任命式は通例通り、謁見の間で開催された。ディールス大将から返却された長官の章を私が皇帝へと渡し、皇帝がロイへと下賜する。ロイは恭しくそれを受け取り、皇帝への忠誠を誓う。
   皇帝はそれを受け、宜しく頼むぞ――と告げる。それからこの場に集った各省長官を見渡して言った。
「試験の結果もそうだが、功績でもハインリヒが上だ。まだ年若いが、皆がハインリヒを支えるように」
   御意――と言葉が重なる。
   任命式のあとすぐに軍務省で就任式が執り行われた。私は参加しなかったが、ロイはその場で海軍の刷新を宣言したらしい。
   先の長い話になるだろうが、軍務省のことはヴァロワ卿とロイに任せておけば良い。そう考えると私も心強くなる。


   一連の式と荷物の移動を終えて、ロイと邸の門を潜ったのは午後9時のことだった。
「今日は些か疲れた。ゆっくり休みたい」
「そうだな。連日、遅くまで勉強していたのだろう?」
「柄にも無くな」
   笑いながらロイは応え、玄関の前に行く。扉が開き、邸に入ると、フリッツをはじめミクラス夫人やパトリック、使用人達が揃って出迎えに出ていた。
「お帰りなさいませ。おめでとうございます、ハインリヒ様」
   ロイは驚き眼を見開いて、その光景を見つめた。
   私が先に報せておいたことだった。フリッツが結果を先に知りたいというので、ロイの任命が決まった時に邸に連絡しておいた。
   ロートリンゲン家は本来、武門であり、代々長官を務めてきたから、このたびロイが長官となることの意義は深かった。父は長官とならなかっただけに、ロイは期待されていたのだろう。
「ありがとう。……しかし驚いた」
   ロイは私を見遣って言う。先に連絡しておいたことを告げると、ロイはまったく気付かなかったと言って肩を竦めた。
「これから忙しくなるが、宜しく頼む」
   ロイは皆にそう告げる。フリッツもミクラス夫人も一礼して、はいと応えた。



   翌日から、ロイは動き始めた。
   本部の人事を一新させるために、将官の経歴一覧表と向き合う。ロイの執務室には取りなしを頼む大将達が次から次へとやって来たらしい。それを右から左に流しながら、ロイはひと月後には人事の組み替えを断行した。
   それまで副官だった中将も解任され、支部転属が決まり、新たな副官としてヘルダーリン大将が任命された。この人事には軍務省内がざわついた。長官も副官も大将ではないか――と。

「私は良い人事だと思うぞ」
   この日、書類を提出に来たヴァロワ卿にヘルダーリン大将の指名について意見を聞いてみると、ヴァロワ卿はそう言った。
「私もロイの好きにして良いと言った手前、今更どうも言えませんが……。他省からも慣例を無視していると抗議が来ているのです」
   内務省や外務省から、軍務省海軍部の人事について苦言が呈されたのは今日のことだった。慣例を無視するのは、他省にも影響が及ぶから、私から注意してほしいと彼等は訴えた。
「むしろ業務は円滑に回っていると思うぞ。それにヘルダーリン大将のことを宰相はよく知らないだろう?」
「ええ。会ったこともありません」
「穏和な人物ではあるが、自分の筋は曲げない人物だ。ハインリヒや私は少し急進的なところがあるが、ヘルダーリン大将は急進的でも保守的でもない。中立派という意味では珍しい人材だぞ」
   彼を副官としたことで、保守派とのパイプも完全に断たれた訳ではないからな――とヴァロワ卿は評する。
「副官は大事だ。私は調和を取ろうと副官を留任させたが、衝突ばかりだ。まあ良いガス抜きと思っているが……」
   その時、オスヴァルトが財務長官の来訪を伝えた。ヴァロワ卿に少し待ってもらい、財務長官を執務室に招く。財務長官のヨーゼフ・マイヤー卿は話の解る人物だった。
「ヴァロワ卿も来ていたのか」
   彼はそう言いながら、書類を手に入室する。お久しぶりです――とヴァロワ卿が告げると、軍務省も大変だなと苦笑混じりに言った。
「だが、良い変化だと私は思う。これまでが濁りきっていたからな」
「そう言っていただけると安堵します。どうも変化の嫌いな者達が上層部に多いので」
   ヴァロワ卿が返すと、仕方が無いことだとマイヤー卿は言った。そして私に向き直る。
「海軍部の副官人事、あれは宰相が決めたことですか?」
「え? いいえ。省内の人事には一切関わっていませんよ」
「ではロートリンゲン大将が自らヘルダーリン大将を選んだのですな。彼が本部に居る時、何度か共に仕事をしたことがあるが、実に有能な人物ですよ。本部でそのまま昇進するかと思えば、突然、支部に異動となったので惜しいと思っていました」
「そうでしたか……。此方に寄せられるのは苦情ばかりだったので、心配していたところです」
「何、苦情を漏らすのは一部の人間ですよ。しかしロートリンゲン大将の眼は高い。今回の人事を見て驚きました」
   ヘルダーリン大将の起用もそうだが、ロイは参謀本部長やその他の重要ポストについても異動を行った。適材適所と言っていたがあんなに大幅な人事を行って大丈夫か――と、見守っていたところだった。
「この国は軍務省が変われば、他省も追随して変わる。私はそう思います。ヴァロワ卿やロートリンゲン大将の活躍を見守っていますよ」
   財務省は、比較的進歩的な思想を持つ者達で構成されている。これは長年にわたり、長官を務めていたラードルフ小父が、少しずつ変化させてきたことだろう。変化には焦らず、年数が必要だと私も思う。

   マイヤー卿とヴァロワ卿が去ってから、書類の整理を行った。それらを全て終えるとちょうど帰宅時間となる。今日は早めに帰宅出来そうだ――そう考えていたところ、電話が鳴った。ロイからだった。何時頃其方に向かえば良いか尋ねて来る。
「ロイ。お前も忙しいだろうから、護衛は良いぞ」
「宰相が護衛もつけず一人で帰宅する国が何処にある? それに此方の仕事も一段落ついたから大丈夫だ」
   護衛をつけたがらない私の護衛役を務めているのは、相変わらずロイだった。本来なら、ロイも護衛をつけるべき立場だろうに。
「今日はもう執務が終わった。お前の仕事が終わるまで待つぞ?」
「だったら20分だけ待ってくれ」


   ロイが指名したヘルダーリン大将と顔を合わせたのは、ロイが海軍長官になって初めての大将級会議でのことだった。その時、ヴァロワ卿やマイヤー卿が彼を高く評価していた理由が解った。ロイが彼を指名した理由も――。
   ヘルダーリン大将は会議で衝突が起きた時、妥協点を見いだそうとする。フォン・シェリング派の大将を制しつつも、ロイの意見を丸呑みすることもない。一番難しい立ち位置に居ながら、万事を巧く計らっていく。
   一方、陸軍部もウールマン大将をはじめ、ヴァロワ卿の指名した将官達が力を付け始めている。フォン・シェリング大将を筆頭とする守旧派達は、苦々しげにその光景を見、また時には審議拒否を行うこともあるが、これまでの軍務省とは随分環境が変わった。

   この国は軍務省が変われば、他省も追随して変わる――マイヤー卿がそう言っていた。
   今、この国は、国の根幹部分を守旧派が一手に担っており、閉塞感が漂っている。軍務省からの変化が他省に波及し、少しでもこの状況を脱することが出来れば――と、私は切に願う。

【End】


[2011.3.23]
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