十分ほど、夢うつつの状態にあっただろうか。
   扉が開く音が聞こえて眼を開けると、フィリーネとミリィが現れた。
「済まない、フィリーネ」
「何を言っているの。それよりも足の具合は……?」
「感覚がまったく無い。義足の不具合のようだが、一応全身を検査することになった」
   フィリーネは不安そうに私を見つめた。大丈夫だ――と頷くと、ミリィが私の手を握って、また歩けるようになるよね、と心配そうに告げる。
「ああ、勿論だ。早く治療を受けて歩けるようにする。心配をかけて済まないな、ミリィ」
   頬に触れると、本当に心配したのよ――とませた口調で言う。その様子が微笑ましくて、笑みが零れた。
   私自身、もう歩けなくなるのではないかと不安が犇めいていたが、ミリィの笑顔でそれが吹き飛んだ気がした。大丈夫だ――根拠も無いが、本当にそう思える。
「ウィリーは留守番か?」
「まだ学校が終わっていないの。書き置きを残してあるから、帰宅したら連絡が来るわ」
「そうか」
   フィリーネが何か言いかけた時、扉がノックされて、医師がやって来た。検査前に投薬すると言っていたから、そのために来たのだろう。看護師がミリィを見て、部屋の外へと促した。ミリィはフィリーネを見上げ、フィリーネはお外で待っていてね――と諭すように告げる。ミリィが看護師と共に外に出ると、フィリーネは不安げな表情で医師に尋ねた。
「治りますか……?」
   医師はその質問を予想していたように穏やかな表情で、必ず治りますよ――と応えた。
「ただ時間がかかるかもしれません」
   どのくらいか――とは、フィリーネは聞かなかった。治るという医師の言葉に安堵した表情を見せた。
   その後、薬を投与され、頭部の検査へと向かった。慣れない車椅子は視点の位置が異なり、違う感覚を生じさせる。一気に老け込んだような――そんな気分になる。

   考えてみれば――、もう60歳だ。47歳の時に義足にして、13年が経つことになる。その間、常備軍司令官として戦野を駆けたこともあった。義足の身であれだけの運動が出来たのは、奇跡かもしれない。

   頭部の検査では何の異常もなかった。やはり義足の神経回路の異常という結論が出て、明日からその検査に臨むこととなった。そのことには私自身も安堵した。健康には自信があるといっても、年齢を考えると、もしかしたら何か病に罹っており、それが義足に影響を与えているのではないかという不安も実はあった。
検査を終えて、病室に戻ってくると、ウィリーが来ていた。
「父さん……」
「大丈夫だ。そんな顔をするな」
   不安げに此方を見るウィリーにそう告げる。その傍らで心配そうに見つめるフィリーネに微笑して言った。
「義足の神経回路の異常だと判明した。明日からはどの部分の異常なのか調べるそうだ」
   ベッドに座ると、看護師が右足をベッドの上に乗せてくれる。その様子に、子供達もフィリーネも息を飲んだようだった。
「まったく……、歩けないの……?」
   ウィリーが問い掛ける。右足が義足であることは子供達も知っていたが、これまで何の異常も無く過ごしていたから、相当なショックを受けたようだった。
「右足を引き摺れば歩ける。左足は普通に動くからな。だが、義足をこれ以上、壊さないためにも動かしてはならないと医師から言われたんだ」
「痛い……?」
   今度はミリィが不安げに問い掛ける。痛みは無いよ――と笑みかけると、安堵した表情を見せる。
「暫く入院することになるが、お母さんの言うことをきちんと利くのだぞ」
   ウィリーとミリィはこくりと頷いた。子供達のことはフィリーネが居るから大丈夫だ。それほど心配していない。
   子供達と話をするうちに面会時間が終了し、フィリーネ達は帰宅の途についた。


   義足の神経回路に関する検査は、厄介な検査で、医師が予告した通り、時間がかかるようだった。義足そのものを取り外せば簡単らしいが、私のような脱着の必要の無い義足では、そう簡単にはいかない。義足そのものに傷をつけると、たとえそれを修復したとしても、長年のうちにその部分から摩耗してしまうと医師は言った。そのため、麻酔をかけて生身の部分から管を通し、義足の回路を調べなければならなかった。
   そうなると、二日目からは寝たきりの状態となり、ベッドから一人で起き上がることさえも出来なくなった。

   この日、一通りの検査を終えて、寝台に横たわったまま病室に戻った。病室が賑やかだな――と思っていると、フィリーネ達の他にハインリヒも来ていた。ロートリンゲン夫人は労いの言葉をかけたあと、フィリーネや子供達と共に病室を後にする。ハインリヒは心配そうに、驚きました――と言った。
「私自身も驚いた。突然のことだったからな」
「廊下を歩いていて急に……と聞きました。前兆はまったくなかったのですか?」
「ああ。歩いていて突然、右足が動かなくなったんだ。それからが大変だった。鉛が垂れ下がっているようでな。ザカ少将には世話になってしまった」
   ハインリヒに椅子を勧める。ハインリヒは其処に腰を下ろし、ザカ少将から聞き知ったのですよ――と言った。
「昨日、支部視察に出掛けている時に、ザカ少将から連絡が入りまして……。ヴァロワ卿の足が動かなくなって、病院に運ばれたと教えてくれたのはザカ少将だったのです」
「一昨日は一晩中、私の部屋で世話をしてくれたんだ。色々話も出来た」
「ザカ少将も興味深い話が聞けたと、嬉しそうに言っていましたよ。……ところで、一昨日からずっと感覚の無いままなのですか?」
「ああ。神経回路の一部分の不具合ならまだしも、どうも中枢部の不具合らしい。時間がかかりそうだ」
「ブラマンテ大将を代理に立てたと聞きました。突然のヴァロワ卿の休職に、人事委員会の面々が驚いていましたよ」
   昼にリューク中将がやって来て、そのことも聞いていた。重要書類を持って来てもらい、此方で決裁を行ってから、休職のための正式な書類を提出してもらった。
「検査ばかりか治療にも時間がかかると聞いている。こんな時期に長々と休暇を取るのは避けたいが……」
「これまで有給もあまり取っていなかったのでしょう? ゆっくり身体を休める良い機会ですよ」
「そう暢気にも構えてはいられない。……実は検査の結果次第では、長官を退こうと考えている」
「ヴァロワ卿……」
   ハインリヒは瞬きを忘れて私を見つめる。辞任について考え始めたのは、昨夜のことだった。
「長期に亘り、長官不在となるのは対外的にも避けたい。内政は落ち着いているとはいえ、南方地域に不穏な動きのある現状だ。二週間、こうして休むことも避けたかった」
   足が動かなくなる――そう言われると、休まざるを得なかった。子供達のことを考えると、すぐに治療を受けた方が良いと思った。
「誰でも不調の時はあります。ヴァロワ卿の休職中は、ブラマンテ大将が上手くカバーしてくれますよ」

   ハインリヒが去ってから、子供達が病室に入ってくる。ウィリーは試験で良い結果が出たと自慢げに語り、ミリィは別のクラスの友達が出来たことを嬉しそうに語る。子供達のそうした姿に癒される。私は自分自身が家庭向きではないと思っていたのに、意外にもこの環境が心地良いと感じていた。

   もし子供達が居なかったら、私は検査すら後回しで仕事にのめり込んでいただろう。だが、逆に考えると、仕事のために、任務のために、一身を捧げることはもう出来なくなっている。
   引き時なのではないか――。
   そう感じる。


[2010.12.11]
Back>>3<<Next
Galleryへ戻る