少女は嬉しそうに、期待の篭もった表情で、階段の先を見つめていた。
   長官にこんな小さな子供が居るとは知らなかったが、随分可愛らしい子だった。きっと長官も目に入れても痛くないほど可愛いのだろうな――そんなことを考えていると、階段を下りてくる足音が聞こえた。
   電話をいれてから、五分と経っていなかった。


「ミリィ!」
   長官がフロアに現れると、少女はぱっと明るい顔になる。それに対して、長官は厳しい顔つきで歩み寄って来る。
「リューク少将。済まなかった」
「いいえ。ちょうど書類を提出して戻る途中に出会いまして……」
   長官は屈んで娘と視線を合わせる。何故、こんなところに居るんだ――と長官は言った。
「幼稚園の見学で此処に来たの。探せばお父さんと会えると思ったの」
「幼稚園の見学……?」
「あ、下のフロアに子供達が居ました。幼稚園の先生と広報部が引率のうえでの見学のようです」
   省内の公開か――と呟いてから、長官は再び娘の方を見、それで何故、こんなところに居る――と問い掛けた。
「お父さんに会いたくて来たの……」
「ミリィ。此処では勝手に動き回ってはいけないと、先生が言っていなかったか?」
「でも……」
「此処は関係者以外、立ち入ってはならない場所だ。お前も当然、此処に入ってはいけない」
「だって……」
   彼女の眼が潤んでいく。それでも長官は厳しい顔で言った。
「お前一人が勝手な行動をしたことで、皆に迷惑がかかる。先生方もお前のことを探しているだろう。廊下で見つかったから良いようなものの、万一、何処かの部屋に入っていたら、刑務所に連れて行かれるところだったのだぞ」
   子供だから侵入罪に問われても、厳重注意で済むだろうが、長官は厳しく叱りつけているのだろう。

   叱りつける長官の気持も解る。
   だが同時に、父親に会いたかった少女の――、ミリィの気持も解る。
   ミリィは大粒の涙をぼろぼろと流し始めた。
「帰ってきて……、くれないんだもん……」
   嗚咽を漏らしながら、ミリィは反論した。
「ミリィ、良い子にしてるのに……っ、ずっと、帰ってきてくれないんだもん……!」
「……仕事が忙しくて、暫く帰れないと連絡をいれただろう」
「いっつもいっつも仕事だもん! だから……、ミリィ、会いたくて……っ。此処に見学に来たら、会えると思って……っ」


   それは、長官にとっては胸に痛い言葉だったのだろう。
   悪気があって、立ち入り禁止区域を歩いていた訳ではない。ただ、父親である長官に会いたい一心で歩き回っていた。
   長官もそのことは解っているようで、厳しい表情を少し和らげた。

「……解った。今週末には仕事を切り上げて帰る」
「本当……に……?」
   涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、ミリィは長官を見つめた。長官はああ、と応えながら頷いた。涙を拭ってやりながら、抱き上げる。
「だから、お前はまず皆の許に戻りなさい」
   ミリィはこくりと頷いた。小さな手で涙を拭きながら。
「リューク少将、世話をかけてしまって済まなかった。私はこの子を下に送り届けてから部屋に戻るから、先に戻っていてくれ」
「はっ」
   敬礼して後ろ姿を見送る。ミリィは長官を確りと抱き締めていた。きっと離れないようにとの思いからだろう。
   そのミリィと眼が合う。微笑みかけると、ミリィは小さな手を少しだけ振った。その可愛らしい仕草に、此方も手を振り返す。



   長官は仕事に対して絶対に手を抜かない方だから、納得のいかない案件があると徹底的に調べ上げる。そうしたうえで決裁を行うから、決裁に時間のかかることもある。また、仕事を他人に任せて、自分一人だけのうのうとしているような方でもない。
   休暇が潰れてしまうのには、そうしたことも原因だろう。そんな丁寧な長官の許には様々な案件が寄せられる。外務省長官ともよく語り合っている。様々な経験と知識が豊富だから、誰からも信頼を寄せられる。

   だが――。
   やはり週に一度はお休みしていただかなくてはな――。
   そんなことを考えながら、私は長官室に戻っていった。

【End】


[2010.10.26]
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