過去ありてこそ〜シモン・リューク少将所見



「リューク少将。此方の案件を兵務課に持っていってくれ」
   私の名はシモン・リューク。今年、准将から少将となり、西欧連邦軍務省陸軍部の長官室所属となった。長官を補佐するのが任務であり、時には長官の護衛も行う。といっても、長官は護衛の必要の無いほどお強い人だが。
「解りました」
   長官から書類を受け取る。長官は傍と思い出したように、机のなかから一枚の書類を出した。
「済まないが、ついでにこれを軍務局のブラマンテ大将に届けてくれ」
「解りました。お預かりします」
   陸軍長官、ジャン・ヴァロワ大将は頼むと言って、再び書類に眼を落とした。

   長官の武勇伝は軍内部でも世間でも知れ渡っている。7年前の戦争の際、各支部を無血降伏させて早期での戦争終結に尽力した。英雄と称えられることもある。それに、ヴァロワ大将という方は根が生真面目な方で、曲がったことを許さない。まだ守旧派が軍務省を掌握していた時代も、ヴァロワ大将はまったく守旧派の面々に屈しなかったと聞いたことがある。そのため、嘗ての大物、フォン・シェリング大将がヴァロワ大将を疎んでいたのだと。
   戦後にウールマン大将が長官となり、その後、ウールマン大将が退官して、ヴァロワ大将が長官に復帰した。ヴァロワ大将といえば、文武両道の誉が高く、憧れない者は居ない。筋の通っていない行いに及んだ時には厳しいが、部下を労う優しさも兼ね備えている。そのため、部下の信頼も厚かった。
   私も、長官を――ヴァロワ大将を慕う軍人の一人だった。だから、長官室所属となった時には、どれだけ嬉しかったか――。


   書類を兵務課に届け、それからブラマンテ大将の許に行く。ブラマンテ大将は不在だったため、バウアー中将に言付けを頼み、長官室に向かった。
   ちょうどその時、下のフロアで幼い子供達の声が聞こえてきた。
   子供? 何故、こんな場所で子供の声が聞こえてくるのだろうか。
   フロアを覗くと、まだあどけない小さな子供が20人程立っていた。その子供達の前に二人の先生らしき女性と、広報担当の大佐が居た。
   側を通りかかった知り合いの准将が居て、彼に何事かを尋ねると、彼は笑いながら言った。
「見学らしいですよ」
「見学? 軍内部を?」
「ええ。開かれた省内を標榜しているでしょう。だから、子供達の見学も受け入れるというのが方針のようで……。まあ、機密条項がありますから公開するのはこの二階までということですが」
「あんな小さな子供達にか? まだ幼児じゃないか」
「幼稚園の子供達らしいです。あんな小さな子供達が見学しても何も解らないと思うのですが……。まあ、公共サービスの一つですよ、閣下」
   公共サービスと割り切って良いものかどうか。小さな子供達がこんな場所を見て、楽しいと思えるのだろうか――とも思うが。
「それでは皆、ちゃんと先生に付いてきてね。離れてはいけませんよ」
   はーいと元気の良い声が聞こえてくる。
   それにしても軍も随分変わったものだ。
   子供達は先生の後を付いて一階の奥に向かって行った。



   元宮殿だったこの本庁は、今でも全ての省が一手に集められた巨大なセンターとなっている。建物は宮殿の時のままで、内部の構造も変わりない。長官室は三階の一番奥にある。先程の子供達が見学出来るのは二階までといっていた。おそらく二階でも奥にある軍務局の司令室や参謀本部には立ち入れないのだろう。
「あ、待ちなさい! こら、君!」
   不意に後ろから声が聞こえて来て振り返る。見ると、階段を小さな女の子が駆け上がっていた。先程の子供達のなかの一人だろうか。
「閣下!」
   先程の声は中佐の声で、私に気付いてそう呼んだ。少女は閣下と聞いた途端にぱっと顔を上げて立ち止まった。
「幼稚園で見学に来ている子だね? 勝手にあちらこちらに行ってはいけないと先生にも言われなかったか?」
「……ごめんなさい」
   可愛らしい女の子だった。女の子は素直に謝ったものの、次の瞬間には顔を上げて言った。
「閣下って、お父さんじゃなくても閣下なの?」
「……え?」
   意味が解らずどういうことかなと問い返すと、女の子はお父さんが閣下と呼ばれてるの――と言った。
「……お父さんは軍人なのかな?」
「うん。軍に勤めてるの。閣下って呼ばれてるの」
   こんな小さな子の親となると、まだ若いのだろう。閣下ということは将官だろうが――。
「閣下というのは、軍のなかでも偉い人に対する呼び名だよ」
「お父さん、偉い人だってお母さんが言ってたの。私、お父さんに会いに来たの」
「……閣下。将官の方々のなかに、こんな小さな御子さんをお持ちの方はいらっしゃいますか?」
   中佐が首を傾げながら尋ねる。私にも心当たりが無かった。
「……海軍部のロートリンゲン大将閣下のところは男の子だった筈だし、もっと小さかったように記憶している。それ以外は……」
「小父さんを知ってるの?」
   驚いて女の子を見返す。ロートリンゲン大将を小父さん――と呼ぶとは、ロートリンゲン大将の親戚だろうか。しかし、ロートリンゲン大将は軍内には親戚が無かった筈……。
「君の名前は?」
「ミリィ」
「ファミリーネームは言えるかな?」
「ヴァロワ。ミリィ・ヴァロワ」
「ヴァロワ……!?」
   驚いて尋ね返すと、少女はこくりと頷いて、お父さんを知ってるの?と言った。
「では……、ヴァロワ長官の娘さん……?」
「ちょうかん? ちょうかんって何? お父さん、閣下って呼ばれているの。それにずっとお仕事で帰ってきてくれないの。だから今日、お父さんに会えると思って……」
   長官は――。
   確かにここ暫く、自宅に帰っていない。忙しくて、ずっと宿舎で仮眠を取る毎日だった。
   では、本当に長官の娘なのだろうか。それにしては、随分小さな子だが――。
「お父さんの名前は解るかな?」
   問い掛けると、少女はこくりと頷いて言った。
「ジャン・ヴァロワ」
   間違いない――。
   長官の娘だ――。
   しかしこんな小さな子がいたとは知らなかった。確かに戦後になって結婚をして、長男が居ることは知っていたが、その長男ももう少し大きかった筈だ。その下にまだ娘が居たのか。
「閣下……」
「長官に連絡をいれる。中佐、君は職務に戻って良いよ」
   中佐が敬礼をして去ってから、携帯電話を取り出して、長官室の長官の机に連絡をいれる。少女は凝と私を見ていた。
「あ、長官。リューク少将です。実は今、長官の娘さんらしき女の子が側に居るのですが……」
   長官は驚いた声を出して、ミリィが?と言った。ミリィという名前も合っている。まさか本当に長官の娘だったとは。
「ええ。二階のフロアでお待ちしています」
   電話を切ると、少女は喜々としてお父さんが来るの――?と言った。
「ああ。来てくれるよ。五分と経たないうちにね」
   少女はありがとう――ときちんと礼を言った。謝るべきことは謝り、礼を述べることは礼を述べる。長官らしい教育が施されているかもしれない。


[2010.10.25]
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