それぞれの途



「御苦労様。出発前に急がせてしまって済まなかった」
   ウールマン卿の許に書類を提出に行くと、ウールマン卿は労いの言葉をかけてくれた。これから国際会議に向けて出立する旨を告げる。宜しく頼む――とウールマン卿は言ってから、傍と気付いた様子で眼を見開いた。
「……ロートリンゲン卿も、今日から復帰して、国際会議に出席するのだったな」
「ええ……」
「……今になってもまだ信じられない。まさか宰相がこんなに早く逝ってしまうとはな……」


   フェルディナントが急逝してから10日が経つ。
   共和国のアンドリオティス長官と連邦のフェイ次官、それにフェルディナントとハインリヒ、私の五人が久々に一堂に会したあの日、まさかフェルディナントが急死するとは誰も予想出来なかった。
   否――、五人のなかでその可能性を少しでも予想出来ていたのは、おそらく私一人だろう。フェルディナントの命数のことを父親である元帥から聞き知っていたから、その年齢を考えると気になってはいた。だがまさか、それがあの日となるとは思わなかった。

   フェルディナントは倒れた時、アンドリオティス長官と共に居た。アンドリオティス長官から報せを受けてハインリヒと共に病院に行き、その後、フェルディナントを連れてロートリンゲン家へと向かった。
   フェルディナントは意識が朦朧としていて、今にも事切れそうで、それをフェルディナントが必死に繋ぎ止めているような状態だった。最後には声が出なくなり、意識も途絶えた。
『ルディ! ルディ!』
   ハインリヒがいくら呼び掛けても、フェルディナントは眼を開けず、意識を失ってから二時間後に、フェルディナントは息を引き取った。
『ルディ!!』
   フェルディナントの手を握り、その身体を揺さぶるハインリヒの姿がまだ眼に焼き付いている。ルディは死なない、死ぬ筈が無い――、ハインリヒは涙を流しながら必死にフェルディナントに呼び掛けた。トーレス医師に治療を続けるよう求めながら。

   あんなに取り乱したハインリヒを見たことが無かった。ハインリヒは、眼の前にある現実を受け止められなくて足掻いていた。
『ハインリヒ』
   フェルディナントの身体を揺さぶり続ける腕を制して呼び掛けた時、ハインリヒは漸く私という存在に気付いたかのように眼を見開いた。
『確りしろ。この家の主だろう』
   おそらくは、ハインリヒは何の覚悟も出来ていない状態だったのだろう。フェルディナントの身体が弱くとも、まさか突然にこんなことになるとは考えてもいなかったのだろう。

   ミクラス夫人はフェルディナントの側で泣き崩れていた。パトリックはそんなミクラス夫人の身体を支えながら涙を流しており、フリッツは哀しみを堪えた様子で、ハインリヒを見つめていた。
『……葬儀の準備を』
   ハインリヒが短くそう告げると、フリッツは一礼して部屋を後にした。ハインリヒは息を吸い込んで涙を収め、私とアンドリオティス長官を見て頭を下げた。
『お世話をかけました……。レオン、ルディを……病院に連れていってくれてありがとう』
   懸命に涙を堪えながら、ハインリヒは言った。アンドリオティス長官は首を振り、こんなことになるとは思わなかった――と暗い声で言った。
『……ルディは皆に看取ってもらえて、きっと……嬉しかった筈だ』
   ハインリヒはフェルディナントを見遣ってぽつりと言った。

   フェルディナントの死に顔はとても穏やかだった。苦しんでいる表情でもなく、ただ眠っているだけのようで――。
   ハインリヒの言う通りだと私も思った。


   その後、アンドリオティス長官を促し、一旦、ロートリンゲン家を後にした。すぐにウールマン卿に連絡をいれ、フェルディナントが亡くなったことを伝えた。ウールマン卿も驚きを隠せない様子だった。ヘルダーリン卿にはウールマン卿から伝えてもらうことにし、それからオスヴァルトに連絡を取った。オスヴァルトは言葉を失った。誰にとってもあまりに突然の出来事で、すぐには納得が出来なかった。
   一方、アンドリオティス長官は共和国に連絡を取り、滞在を延期することを告げた。葬儀にはムラト次官も参列することとなった。アンドリオティス長官はフェイ次官にも連絡をいれ、フェイ次官は連邦から此方に舞い戻ることとなった。


   フェルディナントの葬儀は国葬として執り行われた。葬儀の後、メディアはこぞってフェルディナントの功績を称えて、あの日のフェルディナントとアンドリオティス長官の対談の様子を何度も報じた。それを見る限り、フェルディナントに変調は無かった。
   だが、あまりに突然の死に、とある週刊誌が毒殺説を提示した。あの日、共に会食した人間の誰かが毒を忍び込ませたのではないか。ずっと一緒に居たアンドリオティス長官が怪しい――と。
   しかし、先天性虚弱であるフェルディナントの体質からも、突然死は決して不自然な死ではなかった。フリッツもマスコミの前で、突然死であることを明らかにした。毒殺の疑いは全くなく、根拠の無いことだ――と。
   フェルディナントの死から十日が経った今も、フェルディナントに関連するドキュメンタリー番組が報道されている。



「ヴァロワ卿」
   十日ぶりに見るハインリヒは少し痩せたように見えた。国際会議に出立するために、机に戻り荷物を纏めていたとき、誰かが扉を叩いた。扉から現れたのはハインリヒで――。
「どうもお世話になりました」
   ハインリヒは此方に歩み寄って、丁寧にそう言った。
「いや……。もう落ち着いたか?」
「ええ。当座のところは全て……。昨日、別邸からも遺品を引き取ってきました」
「そうか……」
   別邸といえば、葬儀の際の子供達のことを思い出す。
   フェルディナントが教えていた子供達が花を手向けにきた。良い先生だったのだろう。子供達は泣きじゃくり、死を悼んでいた。
「失礼します。閣下。出立のお時間です」
   扉が叩かれて、秘書官の准将がそう告げる。立ち上がり、ハインリヒを促して、専用機が停まっている広場へと急ぐ。

   ハインリヒはいつもと変わらない様子で接していた。
   当然の筈のその対応が、あの日のハインリヒの姿を見たためか、痛々しくも見える。


[2010.10.3]
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