「……ハインリヒ様。今の話は本当ですか……?」
   フリッツがルディの邸のことを尋ねに来て、黙っておくことも出来ず、ルディから聞いた話をフリッツに伝えた。
   昨晩のこと、ルディが俺の所に連絡をいれてきた。
   ユリアと別れた――そう言って。
『別れた……? どういうことだ!?』
『私は子供を為せない身体だ。子供を望むユリアのことを考えて、別れた』
   子供が出来ないと決めつけるな――と言い返すと、ルディは検査で解ったことだと返答した。

   人工授精も治療も望めない無精子症だと。
   子供が欲しいのなら、養子を迎えるしかないことを。

   咄嗟に返答出来なかった。それに、何故そんな検査を受けたのか、と俺はルディを問い詰めた。
『知らないままに結婚してしまっても騙したことにはならないだろう? ユリアとて検査を受けろと言った訳ではないのだろう!?』
『……私自身が疑問を抱いてしまった時点で騙していることになる。だから、きちんと調べたんだ。そのうえで話し合って、別れたんだ』

   ルディもユリアも苦しんでの決断だったのだろうとは思う。
   だが――、俺としてはユリアを問い詰めたくもなる。
   自分の子でなくとも良いではないか――と。ルディを愛しているのなら、養子を迎えることで満足しても構わないではないか――と。


「二人が別れたのは本当だ。……ルディが今週末、此方に戻って来て説明すると言っていたが、ルディの口から告げるのは辛いだろうから、私から話しておく。……別れた原因は子供のことだ。ユリアは子供を欲しがっていたが、ルディは子供が為せない身体だと判明した」
「……御子様を為せない……?」
「検査も受けて判明したことだから、間違いないのだろう。ルディは養子をと考えたようだが、ユリアが受け入れられなかったらしい」
「そんな……」
「色々動いてもらったのに済まない」
「いいえ……。いいえ。ですがハインリヒ様、フェルディナント様が御子様を為せない身体というのは一体どういうことですか……? 私はそのようなことを聞いたことも御座いませんが……」
「ユリアが結婚したら子供が欲しいと言っていたこともあって、ルディは検査を受けたらしい。そうしたら、無精子症だと判明したそうだ。元々身体が弱いから、ルディは気になっていたようだが……、検査まで必要無かったと思うのだがな」
「たとえ正常であっても子供の出来ない場合は多いと聞いています。昨今の少子化の原因は医師でも掴めないとか……。ユリア様もそのことは御存知でしょうに……」
   ユリアにとって、子供のことはルディ以上に大切なことだったということだろう。その気持ちが全く理解出来ない訳ではないが、ルディの身内としては、ユリアを問い詰めたくなる。
   ルディはその程度の存在だったのかと。
   否、これは難しい問題だ――。



「騒がせて済まなかった」
   週末になって、ルディは本邸に戻って来た。一見、何事も無かったかのように振る舞っている。俺からみれば、却ってその姿が痛々しかった。謝るなよ――と告げると、ルディは苦笑を浮かべ、もう割り切ったから大丈夫だ、と告げた。
「ルディがそんなに器用な人間だとは思えないが」
「大丈夫だ。仕方の無いことだから、此方も諦めがつく」
「どうかお気を落とされませんように。必ず良縁が御座いますので……」
   側に控えていたフリッツがルディを見て言う。ルディはありがとう――と苦笑して返す。
   そうした様子からは本当に吹っ切れたようにも見えるが――。
「……無理をするなよ、ルディ」
   フリッツが去ってから、ルディにそう告げる。ルディは少し笑みを浮かべて、納得していることだ――と言った。
「納得出来ないことならば、今でもって割り切れなかっただろうが、二人で決めて納得したことだ」
「そうか……」
   今は子供達への教育の方に熱をいれていることを、ルディは話してくれた。もしかしたら、そうして忙しく動くことで、ユリアのことを忘れようとしているのかもしれない。あれだけ仲が良かったのだから、割り切れたとルディは言っていても、簡単には割り切れないだろう。





「先生、この字は何て読むの?」
   子供の眼が止まったと思ったら、私を見上げて、文字を指差す。読み方を教えてやると、子供は解ったと嬉しそうに言って再び本に視線を落とす。
   そうしていると別の子がこの問題が解けないといって、計算式を私の前に出す。解き方を教え、別の問題を解かせてみる。
   解らないところが解決した時の子供の笑顔は、とても輝いて見える。
   そんな時、自分は子供が好きなのかもしれないな――と思う。
   私は自分の子を持つことは出来ないが、たとえ血を引いていない子供でも、愛おしく思えてくるだろう。
   いつかそんな日が来るだろうか――ふとそんなことを考える。
「ねえ、先生。此処は学校にはならないの?」
   私の隣で本を読んでいた子供が顔を上げて、そう尋ねて来る。どういう意味だろう――と少し考えていると、別の子供が此処は塾だよ――と言った。
「学校より此処の方が楽しいのに……」
「五人しか居ないから、学校にはならないよ」
「学校の先生怖いんだもん……。ルディ先生の方が良い」
   子供達が話を始める。成程、確かにこれは私塾であって学校とは違う。学校より此方が楽しいと言ってもらえると嬉しいが――。
「私が子供の頃は学校に行きたくて仕方無かったぞ。身体が弱くてずっと家庭教師だったから、いつも学校に憧れていた」
   ああ、そうか――。
   学校を新設することも不可能では無いか。郊外にあたる此処は学校が遠く、確か子供達も遠い学校まで通っていると聞いている。尤も学校創設となると、様々な問題が山積することにもなる。国からも許可を得なければならないし――。
「じゃあ、先生はジュニアスクール行ってないの? 高校は?」
「高校からは学校に行ったよ。それまではずっと家で勉強していた」
「ルディは本がそれはそれは大好きな子供でな。小さな頃から色々な本を読んでいたぞ」
   背後からロイの声が聞こえて振り返る。今日は平日でまだ夕方なのに――。
「ロイ。仕事は……」
「有給が溜まっていたから、午後から半休を取ったんだ。それで此方にな」
   ロイ先生、と子供達がはしゃぐ。ごく稀に、休日の時にロイが此処に来ることがあって、私と共に子供達の相手をすることもある。そのため、子供達もロイを慕っていた。

   その後、一時間程で子供達は帰っていった。ロイは走り去っていく子供達の後ろ姿を見送りながら、元気が良いなと呟いた。
「それに此処は空気が良い。マルセイユに似ているな」
   大きく伸びをして深呼吸をしてから、ロイは私を見遣る。偶には外食しないか――と誘ってきた。アジア連邦の料理店が新たに出店したのだという。快諾すると、ロイは電話を取り出して午後七時からの予約を取った。

   ロイはもしかしたら、私のことを気に掛けてこうして来てくれたのかもしれない。そんなロイの気遣いをありがたく感じながら、ふと空を見上げた。
   陽が西に傾いていて、辺りは少しずつ薄暗くなってきている。
   ユリアのことは割り切れたとはいえ、一人で過ごす時には彼女のことを思い出すこともある。特にこうして子供達と接した時には、彼女の子供が欲しいという言葉が思い出される。そういう時は、哀しみに似た気持が沸き上がってくるものだが――。
   時間と共に、それも徐々に消えてくるような、そんな気がしていた。

【End】


[2010.9.23]
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