Family



   リヨン――この町に足を踏み入れるのは数年ぶりのことだった。町の光景は前に来た時とあまり変わっていない。整然と立ち並ぶビル群、それでも無機質な感じを与えないのは、それぞれのビルの一階に様々な店舗が入っているからだろう。このビル群のある大通りから一歩入ると、大きな書店があって、リヨンに住んでいた頃は足繁く通ったものだった。そしてその書店のちょうど向かい側にはカフェがあって、買った本を其処で読み耽った――。
「ジャン、どう?」
   呼び掛けられ振り返ると、生成色のドレスを着たフィリーネが立っていた。ふわりと揺れるドレスは片側が短く其処からフリルが顔を出している。アシンメトリーなデザインなのだろう。フィリーネがくるりと背を向けると、背にリボンが垂れていた。
「似合ってるよ」
   フィリーネがドレスを着るのは、これで三着目だったが、今のドレスが一番似合っているように思う。フィリーネも今のドレスが気に入っているようだった。
「そのドレスに決めるか?」
   問い掛けると、フィリーネは頷く。店員に購入の旨を告げると、店員はありがとうございます――と笑みを浮かべて、本当によくお似合いですよ――と言った。


   結婚式用のドレスは、フィリーネの両親が知人に頼んで仕立てると言っていた。フィリーネが今選んでいるのは、挙式後のパーティで着るドレスだった。それにしてもドレスと言っても、色々なものがあるようで、私にはよく解らない。
   フィリーネが着替えている最中に、会計を済ませる。そうして待っていると、程なくしてフィリーネが戻って来た。店員から既に会計を済ませていることを聞いて、慌てた様子で私の許にやって来る。
「自分で買うつもりだったのに……」
「無職でこの値段はきついのではないか?」
「ちゃんと計画的に貯金していたもの。……でもありがとう」
   店員からドレスの袋を受け取って、フィリーネは嬉しそうな顔をする。
「ジャンの行きたいところは?」
「そうだな……。この裏の通りにあるカフェにでも行こうか」


   3月に入り、フィリーネとの結婚を両親に伝えるため、リヨンにやって来た。フィリーネの自宅はリヨン郊外の住宅街にあった。
   フィリーネの両親と初めて顔を合わせた時は、多分、人生で一番緊張した時間だっただろう。
   しかし、フィリーネの両親は私を見て、アントン中将夫人から話は聞いていることを告げた。どうやら、夫人が色々手を回してくれたようだった。22歳も年齢差があり、反対されることも覚悟していたが、フィリーネの両親は結婚を許してくれた。

   そしてその場で、結婚式の日取りについて話し合った。場所はリヨンの教会にしようと、予めフィリーネと共に決めていたことだった。互いにリヨン出身であり、またアントン中将夫人の住むナポリからも近いということで、そう決めた。

   4月から、私は軍に復帰する。軍務局司令官の職に戻り、国際会議常備軍司令官の任命も受けることになる。そうなると、常備軍の編成や各国との連携もあり、4月からは今迄以上に忙しくなることが見込まれていた。暫くの間、休日は殆ど無いと考えて良いだろう。そのため、些か急な話ではあったが、3月中に結婚式の段取りを決めておく必要があった。
   結婚式は6月が良いとフィリーネは言った。彼女の両親は貴方の我儘ばかりではいけません――と彼女を窘めて言った。
『閣下はお忙しい方。閣下の予定を中心に決めるべきでしょう。教会が帝都なら兎も角、リヨンなのだから』
   フィリーネの母親は立ち上がって、カレンダーを持って来る。フィリーネの父親が、復職と言っていたが――と私を見て尋ねた。
『また長官に?』
『いいえ。軍務局司令官として戻ります。同時にこのたび設けられる国際会議常備軍の司令官に任命されることが決まっているので、其方の任務も引き受けることになります』
『……フィリーネに司令官を務めるような方の妻が務まるのかどうか甚だ疑問だが……』
   フィリーネの父親はリヨンの市役所に勤めているらしい。来年退職とのことだった。
『私の方がフィリーネに愛想を尽かされてしまうかもしれません。あまりに忙しくて』
   そう返すと、隣からフィリーネがそんなことないわよ――と言った。仕事の邪魔をしてはならんぞ――とフィリーネの父親が彼女に言う。
『では却って夏の長期休暇の時に結婚式を行った方が良いのではないかね? 此方でのんびり出来るだろう』
『それが夏の休暇は常備軍の合同演習と会議で既に埋まってしまって……』
『あらあら。……だったら思い切って冬の休暇まで式を延期した方が……』
『それまでジャンと同棲して良いの?』
   フィリーネが問うと、彼女の両親は無言になった。結婚前の同棲についてあまり良い考えを持っていないとフィリーネも言っていた。
   フィリーネはこの3月末でアパートを引き払うことになっている。フィリーネとしては3月に結婚式を挙げてしまいたかったようだが、結婚式となると招待客の問題も出て来る。そんな急にはそれらの準備も出来ないから、3月の挙式は見送った。そして4月5月は私が忙しく身動きが取れない。其処で6月は――ということになった。
『……6月の挙式なら、私、4月5月は実家に居ようと思って……』
『6月ならば私も休暇を取れます。挙式の準備はこの3月に全て済ませてしまうので……』
   そういうことならば、と両親も快諾して、6月の結婚式が決まった。
   フィリーネの両親は当初、フィリーネと私が結婚前にこうして泊まりがけで出掛けることも良い顔をしなかった。多分、フィリーネは大事に育てられてきたのだろう。
   尤も私も結婚式を済ませるまでは、彼女に手を出すまいと決めているが――。



「ジャン。後であのお店に寄っても良い?」
   フィリーネが窓の外を見て言った。彼女の視線の先には洋菓子店があった。解った、と頷くと、彼女は言った。
「明日、叔母さんのところに行くでしょう? その時、お土産に持っていくの」
「アントン中将夫人への土産なら帝都で買ってあるぞ?」
「叔母さんね、あのお店のカヌレが大好物なの」
   成程――と納得すると、フィリーネは運ばれてきた紅茶を飲んだ。昨日、リヨンにやって来て、明日の朝までは彼女の実家に泊まらせてもらうことになっていた。
   明日はアントン中将夫人の家のあるナポリへと行く。アントン中将夫人の家に宿泊させてもらうことになっていて、明後日、帝都に戻ることになっていた。
「一週間後には寂しくなってしまいそう」
「……そうだな。しかし6月まで2ヶ月と少しだ」
「本当は……、帝都に居たかったな」
   ぼやくように言う彼女に苦笑する。挙式までは実家に戻るよう告げたのは、実は私の方だった。
「私がこんな仕事だから、絶えず危険が付き纏う。家にセキュリティ装置を導入するまでは実家に居てくれ」
   これまでは簡易なセキュリティしか導入していなかった。建物の中に入った侵入者を報せてくれれば、後は自分で解決出来る。だが、私は今後も留守が多くなる。そうなるとフィリーネ一人があの家に残ることになる。何かあったら警備員がすぐに駆けつけるようにしておかなければならない。
   帝都に戻ったらセキュリティ会社にも連絡を取り、装置導入を依頼しなければ――。それから結婚式に招待する面々も整理して――。

「偶には遊びに行っても良い?」
「ああ。それに連絡をくれれば迎えに行く。休日が取れたら私から連絡するよ」
「……忙しそうなんだもの。結婚しても週末にしか帰られないって言うし……」
「済まない。……あまりに忙しくて自宅に帰られないようなら、宿舎に二人で住めるよう申請するから……」
   フィリーネは頷く。その後、アントン中将夫人の大好物のカヌレを買って、フィリーネの家に戻った。


[2010.7.31]
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