結局、ルディを狙った者達は自爆するか、毒を飲んで死に、誰が糸を引いていたのかを調べることは出来なかった。ルディは国民のための政治を標榜して、旧領主層の特権を廃止することに力をいれていたから、旧領主層の何者かが黒幕だろうと誰もが囁いた。
「しかし大誤算だったんだろうな」
「ロイ?」
   怪我を負った翌日はちょうど休日で、この日は部屋でゆっくりと過ごした。右腕は肩の傷が開かないように固定され不便だったが、もう痛みは無かった。
「お前に武術の心得があることを知っているのは、この邸の者ぐらいだ。それを知らない相手側としては驚いただろう」
「……そうだろうな。周りを囲まれて羽交い締めにされかけた時、それを薙ぎ払ったら、酷く意外そうな顔をしていたから……」
「まあこれに懲りて、当分お前に危害を加えることは無いと思うが……」
「私自身も気を付けるから大丈夫だ。それよりも……、お前に怪我をさせてしまって済まない」
   ルディは申し訳なさそうな顔をした。決してルディのせいではなかった。相手が起爆装置を持っていたことに気付かなかった俺に責任がある。
「私が護衛をつけていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。本当に済まない」
「あ、その護衛の件だがな、俺がお前の護衛を兼ねることになった」
「……は……?」
「何、素っ頓狂な声を出してるんだ。どうせ同じ家に住んでいるのだから、手間がかからんだろう」
「それはそうだが……。しかし護衛は佐官級と決まっているではないか」
「昨晩、長官が俺の許に連絡を寄越して来た時、ルディに護衛をつけるべきだという話になってな。俺が志願したら、長官も許可をくれた」
「それではお前の仕事に差し障りもある。それに私にはやはり護衛は不要だ」
「却って大仰なほどの護衛を置いたほうが抑止力にもなるのだぞ」
「それでも万一ということがある。……私が護衛を拒む理由はお前も知っているだろう」
   ルディが頑なに護衛を拒むのは、今に始まったことではなかった。

   ルディは一度、誘拐されたことがあった。あれは12、3歳の頃だったように記憶している。身体の調子も良く、気候も穏やかだったから、ルディは外に散歩に出た。ルディも俺もそう意識してはいないが、ロートリンゲン家というのは帝国では名家であって、資産もそれなりにあった。だから、誘拐犯に狙われやすいことは事実だった。それは幼い頃からずっと懸念されていたことで、当時はルディにも俺にも必ず護衛がついていた。ルディが誘拐された時も、いつも通り、護衛がついていた。

   ところが、犯人はルディと護衛役の男を取り囲むと瞬時に護衛を殺害して、ルディを連れ去った。ルディを襲った一団は反政府組織であって、ルディの身柄と引き替えに捕らわれた仲間の解放と逃亡資金を要求してきた。要求が要求だっただけに、事件は長期化することが予想された。犯人達は護衛を躊躇無く殺害しているうえ、自分達の敵対する旧領主層の息子であるから、ルディ自身もいつ殺されるか解らない。また、ルディは身体が弱いから事件が長期化すると衰弱死する恐れもある。
   政府内で何度も会議が開かれ、対応が協議された。犯人の要求に乗ることは出来ないという意見と、子供の命に代替できるものはないという意見が真っ向から対立し、一方で父は犯人の根城を懸命に探した。

   そして三日が過ぎ、会議は徐々に犯人の要求を飲む方向に進みつつあった頃、父は犯人の居場所を探し当て、自分の配下の精鋭部隊を長官に無断で動かし、帝都の東方にある住宅地へと向かった。其処で息を潜め、犯人達の様子を窺っていたところ、一階の小さな窓からルディが飛び出してきた。

   ルディは犯人達の監視が緩んだ隙に、窓から逃げ出したのだという。身体を縛られていたが、部屋の片隅にあったゴミ箱のなかの空き瓶を砕いてその破片で縄を切ったらしい。ルディはその時の破片で少し手を切っていたが、それ以外の怪我は無かった。捕らわれたその晩に熱を出したようだから、犯人もまさかそんな状態で逃亡するとは思わず、油断したのだろう。
   犯人の一団は父の部隊によって制圧された。長官の許可も得ず部隊を出したことに、父は長官から大目玉を食らった。

   その一件が起こった後、ルディは、護衛は要らないと父に申し出た。最初、父も母もそれに反対したが、ルディがあまりに強く申し出るものだから、ついに二つの条件付きで父がそれを認めた。一つはもう少し健康になったら自分の身を自分で守れるように護身術を身につけること、もう一つは、それまでの間は単独での外出を控えること。折角、健康になりつつあって偶に外出が出来るようになっていたのに、ルディは外出を制限されることになった。護衛を強化してもらって外に出ようと俺が提案するとルディは首を振って言った。
『僕が外に出ることで誰かが傷つくのはもう嫌だから……。強くなるまでの間は、外出を控えるよ』
   高校に進学しても、ルディは行きも帰りも車で送り迎えされていた。車の使用自体が制限されているなかでの特別扱いは、ルディから友達を奪った。それまで学校にも通ったことが無かったから友達も居ないのに、余計にそれを促すこととなった。父がルディに武術を教えるようになってから暫くして、車での送迎は止めたが、それでもルディには友達らしい友達は出来なかった。休日にも家で本を読んでいることが多かったようだから、ある時、ルディに友達を作らないのかと聞いてみるとルディは言った。
『私と関われば、身の危険を冒される事態に巻き込まれることもある。特定の友達は作らないよ』
   ルディは他人が傷つくのを極端に嫌う。自分が傷つくことには厭わないくせに、他人が傷つくとなると酷く嫌がる。
   宰相という職務はもっと冷酷なものと思うのに、辣腕と称されながらもルディは宰相らしくない宰相だった。尤もそうしたことを知っているのは、弟である俺だけだろう。
「……しかし私の仕事が長引いた時には先に帰ってくれ」
「それでは護衛の意味が無いだろう」
「待たれていると思うと落ち着かないんだ。あまりに遅い時には車を呼ぶから。それに……」
   ルディは俺の腕を見て心配そうに言った。
「無理をしてくれるな」
「お前の身辺を守るぐらいのこと、大したことでもないさ」


   結局、ルディが拒むものだから、俺が時間を見計らって共に帰ることにした。軍務省のなかには保安部もあって、今回のような事件が二度と起こらないように宰相には護衛をつけるべきだと主張してきた者も居たが、ルディはそれもあっさりと断った。その苦情が俺の許に来るものだから、俺が護衛を務めるということを公言して漸く事が収まった。
「しかし11人を相手にするなど、文官には勿体無い腕だな」
   同じ大将級のヴァロワ卿が、怪我の具合を尋ねながらそう言った。
「兄は身体が弱くて士官学校に入れなかっただけですから。10人ぐらいなら涼しい顔で投げ飛ばしますよ」
「相手側が今回で懲りてくれれば良いが……。しかし、その場で自爆するとは予想外のことだったな」
「ええ……。黒幕は余程の人物なのかもしれません。恨みだけは山ほど買ってますし」
「恨んでいるのは守旧派に決まっているから、ある程度の把握は出来るが……。現場に何ひとつ証拠を残さなかったらしいな」
「残っていたのは犯人達の死体のみです。身分証明も無ければ拳銃も手榴弾も何処でも流通しているようなものでした」
「これに懲りて諦めるか、それともさらなる手段を講じる可能性も出て来る。長官が護衛を勧めても宰相が断ったと聞いた。代わりにお前が兼任すると……」
「ええ。これからは帰宅時も一緒に帰ることにします」
「お前と宰相ならば一個小隊を連れて歩いているのと同じだろう。ならば安心だな」
「ですが、お互いの時間が合わない時は一人で帰ると言っていますから。これだけはどれだけ言っても聞かないので仕方ありません」
「確かに宰相は頑固そうだ」
   ヴァロワ卿は苦笑した。その時、彼の机の上の電話が鳴る。部下から呼び出されたようだった。
「ちょうど私も帰る方角は同じだから、お前が忙しい時は俺が代役を務めよう。いつでも協力するから言ってくれ」
   ヴァロワ卿はそう言ってから、支部に行って来ると言って本部を後にした。12歳年上のヴァロワ卿は同じ大将級で、入隊前にとある場所で出会い、それがきっかけとなって親しくなった。気さくで信頼できる相手だった。もし長期で出張に行く場合には、ヴァロワ卿に頼んでも快く引き受けてくれるだろう。


   この日、ルディの仕事は定刻に終了して、俺は会議を免れて、共に帰宅の途についた。
   ルディは確りしているようで危なっかしいところがある。強いのにそうは見えないから、隙があるように見える。穏やかで人が良さそうに見えるところもつけ込まれる原因のひとつだと思う。
   まあその反面、ルディを怒らせると怖いし、頭のなかで絶えず繰り広げられている緻密な計算には追いつけないのだが、
「どうかしたか?」
「見た目に誤魔化されると痛い目に遭う奴だなと思ってな」
「人を外見で判断する方が悪い。ところで、その腕、仕事に支障は無かったか?」
「ん?ああ、何とも無い」
   傷が開いてはいけないから右腕を使わないようにと、首から右腕を吊されていたが、煩わしくて仕事中はそれを解放していた。そのことを告げると心配するから、ルディには黙っておいた。
   暗くなりかけた道をルディと共に歩く。仲の良い兄弟だとよく言われるが、どちらかといえば、俺がルディのことを放っておけなかった。
   まるで俺の方が兄だよな―そんなことを考えながら今日もいつもと同じ道を歩いていった。


[2009.9.23]
Back>>2<<End
Galleryへ戻る