Brother



「まだルディが帰っていない?」
   ミクラス夫人が心配そうな表情で頷く。夫人によると、ルディがこれから帰ると連絡をいれたのが1時間前のことだった。宮殿から邸まで徒歩で1時間もかからない。ゆっくり歩いても20分で帰宅できる。
「何処かで御倒れになっているのではないかと心配で……。つい先程、フリッツが探しにいったところです」
「俺も探しに行って来る。見つかったら携帯に連絡を」
   一度は脱いだ上着をもう一度羽織って、家を出る。
   ミクラス夫人はルディが倒れているのではないかと思っているが、俺としては別の心配をした。
   ルディは宰相という重要な立場にある。この国の序列でいえば、政務に関しては皇族に次ぐ力を持っている。そのような重責にあるのだから、外を出歩く時は護衛を伴わせるものだが、ルディは王宮の護衛を一切断ってしまった。邸まで15分程度だから必要無い―そう言って、今も外務省の1官吏だった頃のように単身で通う。
   出勤時は俺と共に出勤するが、帰りはそうもいかない。俺は軍務省所属ということもあり、また大将になったばかりで会議や仕事が山のようにある。軍務省には会議好きな大将が一人いて、彼のせいで会議が延長となり、夜中の11時12時の帰宅ということもしばしばだった。そのため、決まってルディの方が、帰宅が早い。

   暴徒に襲われる危険性を考えれば、護衛を伴わせなければならない。俺と一緒ならばそのような危険もないだろうが、ルディ一人では何か起こるかもしれない。宰相になった直後、身辺を案じてそう言ったら、ルディは笑って言った。
『心配せずとも自分の身ぐらい自分で護る。お前ほどではないといえ、私も父から教育を受けた身だぞ』
   当時はまだ存命中であった父親も、それぐらいでなくては駄目だとルディの言葉を後押ししたものだから、俺も何も言えなくなってしまった。確かにルディは一見すると、ひ弱そうに見えるが、腕は確かだった。もし虚弱体質でなければ、俺と同じように幼い頃から父に軍人としての英才教育を受け、俺を凌ぐ力を持っていたことだろう。あれは筋が良い―と父がルディを褒めていたことがある。
『惜しいものだ。身体さえ丈夫ならば良き軍人となれたのに』
   ルディが高校に通い始めた頃、俺の前で父はそう語った。その頃のルディは時折寝込むことはあったものの、健康になりつつあって、父から護身術の手解きを受けていた。父の教育は厳しかったが、その父を感嘆させるほどの力をルディは持っていた。
   だから心配することは無いだろうが、相手が武器を持っていたら話は異なる。ルディは丸腰で、武器を持っていない。武器の携帯が許されるのは軍人の特権であって、ルディは文官だから、如何に高官といってもそれは許されない。

「ハインリヒ様!」
   フリッツの声が聞こえて横を見ると、通りの向こう側にその姿が見えた。フリッツは此方に駆け寄って来る。
「其方には居なかったか?」
「ええ。お通いになる道を見回ってきましたが、見当たりません」
「そうか……。フリッツ、済まないがこの道の裏側を探してくれ」
「解りました」
   こうなると小道をひとつひとつ探していかなければならない。暴徒に襲われたことを仮定すれば、薄暗い誰も通らないような場所に引き込まれているだろう。

   フリッツと手分けをして探すことにした。此方は宮殿に近い小道を探し、フリッツには邸に近い裏側の道を探してもらう。
   宮殿のある大通りから一歩入り、さらに路地の裏側に入るともう其処はビルの影に隠れて闇に包まれている。人通りも少なく、またビルとビルの隙間は死角となる。いくつめかのそうした死角を見て回った時、パン、と銃声が聞こえた。
「ルディ……!?」
   嫌な予感がして、銃声の聞こえた方に進むと、ルディの姿が見えた。足を高く上げ、黒い服を纏った男の顔を蹴り上げる。其処には8人の男が倒れていた。ルディが倒したのだろう。残り3人と対峙するルディの背後から、倒れた男の一人が銃口を向けた。咄嗟に銃を構えてそれを撃ち落とす。
「……ロイ!」
「左上!」
   此方に気を取られそうになったルディに注意する。ルディは身体を捩って攻撃をかわした。三人が俺に気付き、一人が逃げ出そうとする。その男の後を追おうとすると、別の男が銃を構えて発砲してきた。それを避け、拳銃を撃ち落とす。尚も逃げようとする男の足を狙い撃つ。男は呻き声を上げて足を押さえた。その男を取り押さえている間に、ルディは残りの男を投げ飛ばし、最後の一人には顔面を強かに殴りつけた。その間に、軍本部に連絡をいれて警官と護送車を寄越すように告げた。
「帰宅が遅かった理由はこれか」
「宮殿を出て歩いていたところ、つけられていてな。拳銃を持っているようだったから、人を巻き込んではならないと思ってこの道に誘い込んだんだ」
「……おかげで探し辛かったぞ」
「済まない。連絡をいれようにも出来なかった」
   ルディは苦笑して応える。どうやら怪我も無さそうだ。
  ほっと安堵したその時、横合いからかちりと微かな音が聞こえた。
「伏せろ!」
   ルディの身を庇い、身を低くしながら跳躍する。爆風に僅かに押された。その時、肩と背に灼熱感が走った。
「自爆か……?」
   じんじんと肩と背が熱く腕に生温いものが流れ出してくるのが解った。しかし、幸いにしてルディには怪我が無かったようだった。
「……ああ……。お前もとんでもない奴等に狙われたものだ……」
   声を発すると肩と背がずきんと痛んだ。ルディに覆い被さった状態から起き上がろうにもそれが出来ない。右腕に力が入らなかった。
「ロイ?」
   ルディは隙間から起き上がり、その時、俺の負傷に気付いた。大丈夫だと告げようにも痛みが増していく。何か刺さっているような感じもした。
「そのまま俯せになっていろ。今、救急車を……」
   やがて警官達がやって来た。俺はすぐに病院に運ばれ手当を受けた。爆風でビルのガラスが四散し、その破片が刺さっていたらしい。8針縫いはしたものの、肺や心臓に達するものではなかった。


[2009.9.23]
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