「……ロートリンゲン大将。ロートリンゲン大将!」
   フェイの声に傍と我に返った。すぐにフェイの方を見ると、フェイは俺の眼を見つめる。確りしろとでも言っているようだった。フェイはフォン・シェリング大将のことを問うた。
「フリデリック・フォン・シェリング大将は、旧領主層のなかでも1、2を争うフォン・シェリング家の現当主です。彼の姉が現皇帝の弟と結婚したことから、皇帝とは縁戚関係にあります。フォン・シェリング大将は昨今の帝国内の変化を芳しく思っておらず、旧領主の権限を高め、皇室と旧領主層を頂点とする帝国の地盤を確固たるものとするよう奔走しています」
「……フォン・シェリング家と主に争っているのはロートリンゲン家という理解で宜しいか」
   フェイが鋭く問う。フェイを一度見返してから、そうです、と応えた。
「旧領主層はその経済力を背景に、それぞれ各部門への支援を行っています。たとえば産業部門――軍需品を中心に支援を行っているのはフォン・シェリング家、開発支援はハインツ家、教育・文化部門はロートリンゲン家、そしてフォン・ルクセンブルク家……。要は旧領主家が投資するということですが、その投資分を利益として取り戻せない場合も多分にあります。多額の負債を抱えて、旧領主家が潰れることもあります」
「旧領主層には特権があると聞いていますが……」
   ムラト次官が問い掛ける。ええ、と返事をしてから話を続けた。
「旧領主家には様々な特権が与えられています。しかし、建国から300年も経てば状況も変わってきます。旧領主のなかには特権を濫用して、利益を増やそうとする者も居ます。そのため、国民は旧領主家に特権を返上するよう求めてきました。そもそも、投資分を取り戻せれば、特権など必要無くなる。そして今残っている家はいずれも損をしていない家です。だから300年も続いている。ならば特権を段階的に返上するよう、ロートリンゲン家は提案してきました。それに異を唱えているのがフォン・シェリング家です」
「成程……」
   フェイは俺を見てそれ以上の言葉を収めた。アンドリオティス長官やムラト長官も気付いたのだろう。
   フォン・シェリング大将が軍の実権を握ったということは、ルディの命が危ないのだと言うことを。

「アンドリオティス長官、ムラト次官。帝国が貴国に侵攻してきたら、直ちに作戦部隊を帝国に送り込む――以前、ムラト次官に提示した作戦B案の採用を私は提案します」
   フェイは作戦案の話を持ちかける。アンドリオティス長官は少し考えるような表情を見せた。
「……作戦B案は下手をすれば世界を二分する大戦争となる。西側諸国中心に帝国に加担する国も多い。それを考慮すると……」
   ムラト次官はB案の採用を渋った。彼が危惧するのも当然だろう。帝国と共和国の対立には、国の制度上の対立も含まれている。君主制対共和制、昨今では共和制に移行する国が多くなったとはいえ、西側をはじめとする大国には、君主制を採用している国家がまだ多い。
   アンドリオティス長官はそれまで黙って聞いていたが、この時にフェイの方に向き直って発言した。
「……帝国が侵攻したら、国際会議の召集を呼び掛けます。そのなかで、これは国家制度上の対立ではないこと、我が国が帝国に奪われたシーラーズ以南地域の奪還を求めての復権運動であることを明言したうえでのことであれば、B案採用を支持しましょう」
「国際会議で反対されたらどうなさるおつもりです」
「その点は私が尽力します」
   アンドリオティス長官は力強くそう言った。何か秘策でもあるのだろうか――と思ったが、隣に座るムラト次官が、渋面でアンドリオティス長官を見遣っていた。フェイは了解しましたと快く返答した後、具体的な作戦案へと話題を転じた。

   アンドリオティス長官の話によれば、ルディとヴァロワ卿は今、窮地に立たされているということになる。ルディは解っていた筈だ。皇帝に逆らえばどういう末路が待っているかということを。
   それなのに何故、逆らった? 強固に反戦論を説いた?
   自らの望んでいた皇太子の地位に立とうとしていた矢先のことではないか。何を考えている? それともこれは何かの策なのか?



「ロートリンゲン大将。10分……いや、5分だけ時間をもらえないか」
   二時間にわたる会談が終わり、フェイが席を立とうとした時、アンドリオティス長官は俺を見て言った。ルディに関して何か話があるに違いないことはすぐに解った。フェイを見遣ると、フェイは頷く。
「隣室で待っています」
   フェイと同時に、ムラト次官も立ち上がる。二人が部屋から去ってから、アンドリオティス長官はすぐに切り出した。
「……貴方が国外追放に至った経緯については、全て宰相から話を聞いている。……移動中の四日間で、帝国の話は粗方聞いた」
「……半年程前、兄はマルセイユでレオンという名の新トルコ王国の男と会ったという話を聞いています。やはりそれは貴卿ですか」
   何故、ルディが危険を冒してまでアンドリオティス長官を逃がしたのか――。考えるうちにルディの話を思い出した。新トルコ王国が共和制へと移行することをその男から聞いていたのだと、嘗てルディは言っていた。それはこの長官ではないのか。
「その通りだ。私は宰相と……、ルディとは面識があった。お互い、エスファハーンで再会するまで知らなかったことだがな」
   やはりそうか――。
   ルディはきっと慌てたのだろう。卑怯な手段で捕虜とした人間が、見知った人間だったのだから。
「……それでもよくあの兄が逃がしたものです。自らの立場が危うくなるだろうに」
「本当にそう思っているのか?」
   アンドリオティス長官に追求されて、一瞬、言葉に詰まった。この男、解った風な口を利く。
「……兄は権力を手に入れるために奔走している。……今は皇太子という立場が眼の前にある。それをむざと手放すとは思えない。何か魂胆が……」
「では君に聞こう。ルディと共に三日間移動したと私が話した時、何故君は動揺した?」
   この男は俺に何を求めているのか――。
「……驚いただけのことです」
「ルディの身体のことを案じているから動揺したのだろう。……ルディは君のことを心配していた。心を痛めていた。君とて解っている筈だ。ルディは確かに権力を欲したのかもしれない。それでも、本当にルディが欲しているものは何か、そしてそれを阻んでいるものは何か――」
「……私にそれを言いたかったのか。貴卿は」
「収容所から抜け出してルディの車で少し走ったところで、ヴァロワ大将とも出会った。彼はルディに共和国に行き亡命するよう告げた」
   ヴァロワ卿とも会ったのか。ルディに亡命するよう告げた、だと?
「帝国も君が居た頃とは随分変わってしまった筈だ。……ルディは内部での変革は難しいといっていた。だから外部圧力によって変えてほしいと俺に願いを託した」
   アンドリオティス長官は最後に手を放してしまったことが悔やまれる、と先程フェイ達の前で言ったことをもう一度俺に言った。
「……何としてでも彼を共和国に連れて来るべきだった」
「……兄には何か策があってのことでしょう」
「皇帝に逆らったらどうなるか、君は一番良く知っている筈だ」
「それを言うなら、兄も理解している筈です。兄のことだ。自分やロートリンゲン家が潰されないよう策を弄している筈」
「ロートリンゲン家については、文化関係への投資を増額したと言っていた。それにより、ロートリンゲン家無しでは帝国の教育・文化関係が維持出来ないことになるらしい。自分自身に関してはおそらく何も考えていまい。……ただひたすら俺を逃がすことだけを考えていたようだ。自分の身を削ってな」
「何を……言いたいのです」
「……君を見ていると意地を張っているのが解って、見ていて辛い。仲の良い兄弟だったのだろう。君にも言い分はあるのだろうが……。これは俺が言うべきことでは無いが……、次にルディに会った時には許してやってほしい」
「貴卿には関係の無いことだ。それに私はもう二度とルディと顔を合わせる気は無い」
「条件つきながらB案採用を支持したのは、一刻も早く帝国に足を踏み入れるためだ。ルディの置かれている状況は、君にも想像に難くない筈。……俺が言いたいのはそれだけだ」
   失礼する、アンドリオティス長官は軽く目礼して、部屋を後にした。
   ルディの置かれている状況――、俺とて解っている。だが、未だルディを許せない俺の気持はどうすれば良い。
   あの時、ルディが皇帝を支持さえしなければ――。
   マリとの婚約を破棄してくれていれば――。


「ロイ」
   いつのまにかフェイが入室していた。お前らしくもない――と俺を見て告げる。
「怒りが収まらないだけだ」
「嘘を吐くな。宰相のことが気にかかっているのだろう」
「お前までそのようなことを言うのか」
「俺まで、ということは、やはりアンドリオティス長官ともそのことを話していたのか」
   語るに落ちるとはこういうことだろう。自分の迂闊さが腹立たしくなってくる。
「……怒りの矛先を間違っているのではないか? ロイ」
「俺と兄のことはお前にも何も言われたくない」
「……ではひとつだけ。感情に絆されると的確な判断が出来なくなる、とだけ言っておく。お前の場合、特にな」
「兄がどうなろうと構わん。自分で蒔いた種だろう」
「俺と違い、お前は育ちが良いからすぐ顔に出る。詰まらん意地を張っていると後悔するぞ。……さて、帰ろうか」
「育ちが良いか悪いかなど関係無いだろう」
   フェイは携帯電話を取り出して、これから連邦に帰る旨を伝える。

   意地を張っているだけだ――とアンドリオティス長官にも言われた。
   確かにそうかもしれない。
   意地を張って、許すことが出来ない。一連の事件を思い返せば返すほど、許すことが出来ない。許せない。
   子供じみているが、この意地を緩めることも出来ない。もう引けないところまで達している。
   俺がルディと会うことはもう無い。
   あの牢のなかで、俺は二度と会いたくないと言ったのだから――。


[2010.2.18]