第10章 落日の希求



   専用機が帝都に着陸する。
   私の前後左右は憲兵達によって取り囲まれていた。宰相が捕虜を逃がした――と、マスコミが騒ぎ立てるかと思ったが、この飛行場から宮殿までの間、そうした関係者と出くわすことも無かった。此処まで徹底しているということは、きっと私が捕虜を逃がしたという情報自体、国民には報されていないのだろう。
   帝国は情報が制限されている。おそらく世界中で一番、報道規制が厳しい国だろう。新しい法案の成立や修正事項も全て決定してから、国民に報される。詳細な経緯や経過は全く報されない。
   こうしたあまりに前時代的なやり方に、異議を唱えたことがある。国民から税金を徴収している以上、国民にも知る権利があるのではないか――と。そうしたら各省の長官達が反発した。彼等と討論した結果、情報開示請求があった場合にのみ、情報を開示するに留まることとなった。
   思い返してみれば、私はいつもどんな政策であっても満足には実現出来ていない。中途半端なままだった。帝国を変えたいと思っても変えられなかった。
『慢心するな、フェルディナント』
   常に父に言われていた言葉が思い出される。私は自分に出来ないことは無いと、心の何処かでずっと思っていたのだろう。慢心していた。
   父の言う通りだ――。


「閣下。陛下が謁見の間でお待ちですので、今から其方に向かいます」
「解った」
   宮殿の前まで辿り着いた時、コールマン少将が私にそう告げた。
   メディナの病院を経ったのは今朝のことだった。身体に負担がかかるという医師の制止を振り切っての出立だった。もう熱も下がり、具合も悪くなかった。左腕はまだ痺れるような感覚しかなかったが、痛みは無い。
   離陸から四時間――、途中少し具合を悪くしたものの、何とか帝都に辿り着くことが出来た。
   五日ぶりの帝都だった。到着して三十分ほど待たされた。コールマン少将は私の許を行ったり来たりした後、私の側に戻って来た時にそっと囁いた。
『ヴァロワ大将閣下が閣下との接見を求めていましたが、フォン・シェリング長官に阻まれ、叶いませんでした。宰相室にも立ち寄ってはならないとのことです』
   フォン・シェリング大将のやりそうなことだ――。
   ヴァロワ卿はきっと口惜しい思いをしていることだろう。だが今、ヴァロワ卿は私と会わない方が良い。ヴァロワ卿は私のために手を尽くしてくれる。そうなると、皇帝の不興を買う。

   宮殿内に入り、人通りのない通路を進む。謁見の間の前まで到着すると、前方を歩いていた憲兵達が左右に寄る。扉の前に佇んでいた衛兵が、手慣れた手つきで仰々しく扉を開く。
   部屋の一番奥、視線の一番先に、皇帝の姿があった。側には皇妃も控えている。
   それだけではなかった。両脇にはずらりと各省の長官が揃っている。フォン・シェリング大将の側にはヴァロワ卿も居た。

   皆の前で説明しろということか――。
   一歩一歩前に進む。
   皇帝は玉座から私を凝視していた。
   皇帝の前まで進み出て、その場に跪く。視線を下げ、皇帝からの言葉を待つ。

「フェルディナント」
   静まり返った部屋のなかに、力強く低い声が響き渡る。
「私はお前の才を評価して、若年ながらも宰相に任命し、またお前ならばこの国の行く末を任せられると考えて、皇太子とした。何が気に入らぬ」
「陛下には私の身に余る御高配を頂き、感謝の言葉も尽きません」
「ならば何故、勝手な行動に及んだ。気が触れたか」
「捕虜とした新トルコ共和国軍部長官を逃がしたのは、第一に私の間違いに気付いてのことです。犠牲者を増やさずに済むと人質を取って交渉に及びましたが、それは人道に反します。では何故人質を取らねばならなかったのかということについて、考えました。帝国は共和国を侵略しました。私は開戦を何としても阻止しなければなりませんでした。しかしそれを怠ったこと――これが第二の理由です」
「此度の戦争にお前が始終反対しておったことは誰もが知っておる。お前が踏み切れぬから、私が命令を下した。大命に逆らえぬのは当然のこと。何がお前を其処まで追い詰めておる」
「陛下。帝国の侵略をどの国も恐れておりました。帝国は世界第一位の大国、経済力もあれば、国際会議での発言力も強い国です。ところが近年になり、各国――特にアジア連邦や北アメリカ合衆国が、帝国の繁栄を勝る勢いをつけてきました。その国々の国力は年々、帝国に近付いています。一方、帝国では経済停滞が著しく、今後の発展に翳りが見えています。その理由は、以前にも陛下にお話しました通り、貿易における高関税や国内での自由取引を阻む旧領主層の存在にあります。そうしたことは、貿易をはじめ外交にも影響を及ぼしています。帝国によって自由貿易が阻まれている――と、各国からの批判は年々強まっていました。そんな世界状況のなかで、国際会議において禁止されている侵略を行えば、帝国への非難が一層強まりましょう」
「国際会議が強い権限を持っているのは環境に関する法令のみだ。たとえ非難が集まったとしても、国際会議が何らかの措置を取ることは無い。それは国家主権に関わることだからな。お前が案じているようなことにはならぬ。それに、お前は以前、共和国がアジア連邦や北アメリカ合衆国と結びついている可能性が高いと言っておった。もしその通りであるならば、この戦いに勝利すれば、帝国は世界に比肩無き大帝国となるということだ。私は勝利の暁には、国際会議自体を帝国の下に組み入れるつもりだ」

   一瞬、言葉が出なかった。
   私は何度もこの皇帝と話し合って来た。政治や経済、外交――国政の細部に亘ることまで討論したこともある。
   鋭い指摘をなさることもあり、私はそうした討論を楽しんでいた。討論のなかで皇帝の意をくみ取りながら、法案の作成も行った。
   決して無能な方ではなかった。国民の窮状に対しても、理解のある方だと思っていた。だから、この方の下でならば自分の考えたことを恙無く遂行出来る――そう考えていた。

   だが、違う――。
   この方の一番に考えていることは、帝国が永続することだけだ。内政や経済のことなどはその後に附属してくる事象に過ぎない。
   内政と対外関係を重視し、各国と共存していく道を求める私とは根本的に異なる。
   だから――、侵略に踏み切ることが出来たのだ。
   皇女達が居なくなったことで、帝国の地盤が揺らぐと考え、それを強めるために、国を広げようとした。帝国の強さを見せしめることで、世界第一位の帝国の名を轟かせようとした。

「……陛下。何卒、お考え直し下さい」

   私は顔を上げ、皇帝を見つめて言った。


[2010.2.19]