「非常に言いにくいのだが、あれやこれやとスケジュールを組んだら、予定が分単位で詰まってしまってな」
「仕方ありませんよ。では今晩中に資料に眼を通しておきます」
   ハリム少将が一枚の紙を片手にやって来る。ムラト大将に促されて、そのスケジュールを読み上げた。朝8時に議長の許に顔を出すことから始まって、夜の9時までまさしく分刻みで予定が詰め込まれていた。
「……今、大まかに頭に入れておいたが、予定が入りすぎて混乱しそうだ。明日は会議前に逐一、連絡をいれて貰えないか?ハリム少将」
「明日は長官の補佐として行動を共にさせていただきます」
   ハリム少将は、苦笑と共にそう言ってくれた。ムラト大将は頷いて、明日は頼むぞと告げてから、今日はもう帰宅して休むよう促す。しかし、ハリム少将はそれを躊躇した。上官である俺達が此処にまだ居残っているから、引け目を感じたのだろう。
「あとでハッダート大将とラフィー准将が来る。ハリム少将は明日に備えて休んでくれ。私達もこれから少し休む」
「解りました」
   ハリム少将は敬礼して部屋を去っていく。ハッダート大将が来るのですか、と問うと宿直を買って出てくれたのだとムラト大将は言った。
「エスファハーン支部は今、帝国軍の手中にある。だから、今のシャフィークにその支部長としての任務は無い。本部が少し人手不足ということもあるから、シャフィークには此方に異動を頼もうかと思っている」
「ですが、ハッダート大将は西方警備部の本部長という責務もあります。今、西方警備部を手薄にする訳には……」
「そのことなのだがな。マームーン大将に北方警備部から西方警備部に移っていただこうと考えている。北方は北アメリカ合衆国の援軍が届きやすい。だから、万が一の事態にはすぐ対応出来る。それに今回のシーラーズでの戦闘の件で、ハリール大将が難癖をつけているんだ。西方警備部は何をやっていた、とな。それを交わすためにも歴戦の将たるマームーン大将に防衛を頼んだ方が良い」
   どうやら俺の居ない間に、軍の内部が随分ごたついたようだった。こんな風に大幅な人事異動を行わなくてはならないとは。
「そうだ。もう一件、人事に関してのことだが……。バース中将とギラン中将の空席を埋めるために、少将のなかから中将を輩出しなければならない。今は彼等の副官がそれぞれの支部長代理という形を取っている。二人とも副官としての経験も長く、指揮能力もある。彼等を中将に昇級させたうえで、任務に当たらせようと思うのだが、どうだろう?」
「ええ。このような時ですから、任務に慣れている者の方が良いでしょう。ムラト大将にお任せします。……それからバース中将とギラン中将には二階級特進を」
「ああ。上級大将の称号を申請している。……バース中将もギラン中将も元帥に匹敵する職務を果たしてくれていたのだが……」
   元々、俺達を大将とするために、自ら中将の位置に留まってくれた人達だ――とムラト大将は呟いた。

   それぞれの将官級の人数は決まっている。軍において進歩派が力を伸ばして来た時、大将の空席が2席しか空いていなかった。当時の軍は殆どが保守派で占められていた。進歩派に与する者にとっては、保守派勢力を押し止めるためにも、何としてもこの2席は確保しなければならなかった。
   ムラト大将や俺は、バース中将とギラン中将といった先輩の中将達が当然、大将となるものと思っていた。ところが、彼等はまだ若かったムラト大将や俺を推薦した。その翌年にさらに一人の大将が退官した時には、ハッダート大将を推薦した。そして、現在に至る。

「落ち着いたら一緒に墓参りに行こう」
ムラト大将はそう言ってから、机の上に置いてあった書類の束から数枚を引っ張り出した。
「明日のフェイ次官との会談内容だ。大部分が作戦案になっている。一応眼を通しておいてくれ」
「解りました」
   ムラト大将から書類を受け取り、ぱらりとそれを見る。先程の話だがな――とムラト大将は言った。
「フェイ次官は何か帝国の情報を握っているのかもしれん」
   どうも彼の計画は自信に満ちすぎている、とムラト大将は指摘する。
「あと……、これも確証の無いことだが、おそらくビザンツ王国はアジア連邦と繋がっているぞ」
「ビザンツ王国は帝国と繋がっているのでは……?」
「俺もそう思っていた。だが、先日、お前が捕虜となってから一度フェイ次官と通信回線で話をした時に、少し気になることを言っていてな。フェイ次官は再戦となった時には、北方の警備を西方にまわした方が良いという提案をしていたんだ。確かに北アメリカ合衆国と手を組んでいるが、きっとそればかりではあるまい。おそらくアジア連邦はビザンツ王国を何らかの手段で抑えたのだろう。同盟国として参戦せずとも、中立国として帝国に味方しないという方針でな。先程のマームーン大将の異動の件もそうしたことを考えてのことだ」
「……そうなると、アジア連邦の狙いはやはり海ですか」
「経済的な狙いだけみれば、海上輸送の円滑化だろうな。だが、それだけとは思えん」
   ムラト大将はふと時計を見遣った。時計の針は午前二時を示していた。
「レオン。仮眠室に行って休んで来い。俺の名でベッドをひとつ取ってあるから」
「あ、いいえ。この書類に眼を通しますから、ムラト大将がお休みになってください」
「長官に明日、疲れた顔をされて会議に臨まれても、外交的に困るのでな。ほら、先輩命令だ、休んで来い」
   ムラト大将は片手をひらひらと挙げて、半ば強引に俺を追い出した。先輩命令とは。士官学校の時以来の言葉だった。この命令が発動されると、俺は逆らえなくなる。
「では……、休ませて頂きます」
   ムラト大将から専用IDカードを受け取り、礼を述べて部屋を出る。

   仮眠室はこの旧王宮の最上階にある。軍部が使用出来る部屋は中央よりの部屋で、その左隣が外交部、右隣が政務部と分けられている。専用IDカードを使って入室すると、部屋はさらに6つに仕切られていて、其処に1つずつベッドが設置されている。使用予定者は事前に申し出なければならない。一番奥のベッドに、ムラト大将の名があった。
   シャワーを浴びて書類を読み終えてから横になろうと思っていたが、此処に来たら急に疲れが押し寄せてきた。考えてみれば、今日一日色々なことがありすぎた。
   ルディは大丈夫だろうか――。
   考えまいとしても様々なことが頭に浮かんでくる。だが、疲労には勝てなかったのか、自分でも気付かないうちにぐっすりと眠ったようだった。



   眼が覚めたのは午前7時となる少し前だった。ごそりと隣のベッドで寝ていた誰かが起き出した音で、眼が覚めた。あと10分、こうして横になっていたい。だが、シャワーを浴びに行かなければならないから、そろそろ起きなければ――。
   ベッドから起き上がる。側に置いておいた上着を手に持って、仮眠室を出て同じ階の奥にあるシャワー室へと向かう。其処で暖かい湯を浴びていると、漸く眼が覚め、頭が冴えてきた。
本部に行くと、ハッダート大将とラフィー准将が居た。ムラト大将は今、シャワー室に行ったというから、俺と入れ違えになったのだろう。
「レオン。その制服で会談に臨むつもりか?」
   ハッダート大将は俺の制服をまじまじと見つめて言った。帝国の収容所に連れて行かれた際、制服を脱ぐように告げられ一度は没収されたが、その後すぐに綺麗にクリーニングされて戻って来た。しかしそれを渡される時、着用は控えるよう告げられていたので、実質的にはリヤドで身につけた昨日一日しか着てはいない。だが、険しい山を越えたためか、少々薄汚れていた。
「俺の制服と取り替えよう。折良く今日、クリーニングから戻って来たばかりだ。縫い付けてある階級章は同じだから問題無い。勲章と職名章は取り外せることだし……」
「……ではアジア連邦との会談の時だけお借りします。議長との面談ではこれで充分ですよ」
   そういう訳にはいかんだろう――そう言いながら、ハッダート大将は自分の胸元の勲章に手をかける。ちょうどその時、ハリム少将がおはようございます、と挨拶と共に入室した。
「長官、制服をお持ちしました」
   ハリム少将は手にしていた紙袋から、ビニール袋に包まれた制服を取り出した。
「気が利くな。ハリム少将」
「いいえ、私ではなくムラト次官からです。今朝、此方に来る前に長官の制服を調達してくるよう言われていましたので……」
「嫁に迎えたいぐらい気の回る方だ。ムラト大将は」
   ハッダート大将の言葉に思わず噴き出す。ありがたく制服を受け取って、執務室で着替えた。それまで着ていた制服から勲章と職名章を外して、新しい制服の同じ場所に取り付ける。それから袖を通して、机につく。
   程なくしてムラト次官が本部に戻ってくる。食事を済ませて、それから議長の許に向かった。
   議長は無事の帰還を喜びながらも、長官としての配慮が足りないのではないかと釘を刺した。議会関係者は概ねそのような苦言を漏らしていた。彼等の言う通りではあるが、今のところは右耳から左耳へと流しておくことにした。それから外交部の長官の許に行き、事の次第を語る。迷惑をかけた旨を謝罪し、その後同じように他の部署も練り歩いた。殆ど5分刻みで、動いていく。


   午後2時からは、アジア連邦のフェイ次官との会談が予定されていた。非公式の会談ということで、ホテルの一室での会談となっている。1時になって食事を手早く済ませ、1時30分にムラト大将、ハリム少将と共に車で本部を発つ。フェイ次官には俺が戻ってきたことを昨晩のうちに伝えておいた、とムラト大将は言った。
「会談は1時間取ってある。大まかな作戦案についての打ち合わせが主だから、1時間で充分だろう」
   ホテルに到着すると、支配人が出て来て会談の行われる部屋へと案内された。最上階の一室だった。部屋に到着して、椅子に腰掛け、資料にもう一度眼を通す。10分もそうしていなかった。
   2時5分前に、部屋の呼び鈴が鳴った。ハリム少将が応対に出る。二人分の足音が聞こえて来る。しかし、部屋に入ってきたのはフェイ次官一人だった。

「アンドリオティス長官。御無事で何よりです」
   フェイ次官は側に歩み寄って、俺の無事を歓迎してくれた。フェイ次官にはこれまでにも何度か会っていて、確かに権謀術数に長け侮れない人物ではあるが、俺には悪い人物にも思えなかった。まだ若く、将来有望な人物とでも言おうか――。
「アジア連邦よりの援軍、感謝します」
「もう少し早く到着していれば、と悔やんでいたところでした。エスファハーンでは長官自ら奮戦なさったと伺っております」
「おそらく帝国は近日中にも侵攻してくるでしょう。貴国の陸軍が既に防衛戦を張っているということは心強いことです」
   ムラト大将はフェイ次官に座を勧めた。作戦案について、ムラト大将が話をもちかけた時、フェイ次官はその前に、とムラト大将と俺を見遣って言った。
「本題に入る前に、是非会って頂きたい人物が居ます。そのうえで、アンドリオティス長官から帝国の状況も伺いたいのです」
   ムラト大将が顔を此方に向ける。フェイ次官に頷き返すと、フェイ次官は彼のことはまだ世間には知られていません、と前置いてから言った。
「これから紹介する人物については、我が国の軍のなかでも上層部しか知りません。どうか、そのようにご配慮を」
「解りました。ムラト次官」
   俺からムラト大将に同意を促すと、ムラト次官も同じように同意の旨を告げる。少し失礼します、と言ってフェイ次官は立ち上がり、部屋を出た。ムラト大将がそっと俺に向けて囁く。
「ワン大佐が来ているのかと思ったが、どうやら違うようだな。一体誰を……」

   二人分の足音が近付いて来て、ムラト大将は言葉を止める。フェイ次官が再び扉を開けて、部屋に入る。その後について、一人の男が入室する。
   アジア連邦の人ではないようだった。人種が違う。どちらかといえば帝国の――、西側諸国に多く居住する人種のようで――。
   ルディによく似ている――と思った。

「フェイ次官。何故、彼が……」
   ムラト大将が立ち上がる。ムラト大将の知った人物なのだろうか。
   いや、待て。ムラト大将が知っている人物で、ルディに似ているということは……。
   まさか――。
「その理由も全てこれから説明します。アンドリオティス長官、まずは紹介します。三ヶ月前に我が国に客将として招いた、ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲン大将です」
   ビザンツ王国からの足取りが行方不明だと聞いていたルディの弟が、今、俺の眼の前に立っていた。


[2010.2.15]