左肩に走った衝撃で、その場に膝をついた。憲兵達が慌てて近付こうとする。
「動くな……!」
   近付いて来た男の喉笛に向かって、剣先を突き立てる。
「しかしお早く手当を……!」
「構わん、動くな!命令だ!」
   憲兵達がしんと静まりかえる。背後を顧みると、レオンが立ち止まって此方を見ていた。威嚇発砲だ、早く行け、とありったけの声で私は彼に言った。

   レオンに当たらなくて良かった――。
   私はただそればかりを考えていた。

   銃弾は私の左肩を貫通したようだった。痛みよりも熱を感じる。生温かい血が身体を伝わり落ちていく。憲兵達を牽制しながら、時折、背後を見た。
   レオンの走る姿が徐々に小さくなっていく。
   完全に見えなくなってから、剣を下ろす。立ち上がろうとすると、足下がふらついてその場に崩れ落ちた。
「閣下!」
   私の身体を、大佐が支える。自力で立ち上がろうにも、身体に力が入らない。
「私を陛下の許に連れて行ってくれ……」
   大佐は驚いて私を見返した。


   出血のせいか、息が上がる。弾は心臓の位置から外れ、貫通していた。出血さえ止まれば問題無い。憲兵の一人が布を裂いて、私の肩の傷を抑え、応急処置を施してくれた。
   憲兵に支えられながら、山を下りた。足がふらついて、まともに歩くことは出来なかった。歩かなければ、とただ気力を振り絞って、右足と左足を交互に前に出した。
「本部に連絡を。閣下を保護したと」
   一時間程歩いた場所に、憲兵達は車を停めてあった。レオンと私は彼等の眼を避けるために険しい道を選んだが、山の中腹までは車が通ることの出来る道があったようだった。
   其処に停めてあった車に乗り込み、血に塗れた布を取り替えて貰っている時、大佐は本部に連絡を取った。彼は私が負傷していることを告げた。近くの病院で手当を受けてから――と彼は通話口で言っていたが、却下されたのだろう、解りました、すぐ帝都に戻りますと言って、通話を切った。
「閣下の座席を少し倒してくれ」
   私の隣で手当をしてくれていた憲兵が、大佐の命令に頷いて、ゆっくりと座席を下げる。車の窓は前方の窓以外は全てカーテンで閉じられていた。眼を閉じると、それまで痛みを感じていなかったのに、肩の傷が疼いてくる。



   この四日間、常に追われる身ではあったが、悔いの無い四日間だった。今こうして思い返してみても、何の悔いも無い。後悔どころか晴れやかな気分でさえある。不謹慎だが、この四日間はとても楽しかった。
   あんな旅をしたのは初めてで――。
   きっともう二度と経験出来ないことだろう。




「閣下、閣下!」
   遠くから誰かに呼び掛けられて、重い瞼を引き上げた。瞼だけでなく全身が重い。力が入らない。
   呼び掛けられたのは遠くからではなく、間近からだった。大佐が気遣わしげに顔を覗き込んで、水を飲むよう促した。口元に瓶か何かが押し当てられたが、口を開くのも億劫で、何も欲しくなかった。
   この身体の重だるさは、何度となく経験している。私は発熱してしまったのだろう。怪我を負ったせいもあるのかもしれない。左肩の疼くような痛みは消えていたが、左腕の感覚が殆ど無かった。
「ベック中佐。ダムラー准将に連絡を取れるか?」
「はい。それは可能ですが……」
「ダムラー准将に連絡をいれて、ヴァロワ大将閣下から指示を仰ぎたいと伝えてくれ」
「大佐。しかし宰相閣下の件はフォン・シェリング長官が直接指示すると……」
「その辺りの事情は私がどうにかする。一刻も早くヴァロワ大将閣下に連絡を取ってくれ」
   憲兵達の言葉が強弱を伴って、聞こえて来る。意識が朦朧としているのだろう。彼等の話から察するに、ヴァロワ卿が言っていた通り、指揮権は完全にフォン・シェリング大将に移っているようだった。
   熱のせいか、息苦しい――。




「閣下」
   次に眼を覚ました時には、私は車の中に居なかった。白い天井が見え、側には憲兵ではなく海軍部のコールマン少将が控えていた。具合は如何ですか、と私に問い掛けてくる。
「此処は……?」
「メディナの病院です。閣下の御容態が思わしくないと報告を受けて、ヴァロワ大将閣下が急遽此方の病院を手配しました」
「ヴァロワ卿が……」
「……本当はヴァロワ大将閣下が此方にいらっしゃる予定でしたが、陛下の許可が頂けず……。代わりに私が参りました。閣下の容態が落ち着いたら、専用機で宮殿にお連れするよう陛下から命令を受けています」
   皇帝は、ヴァロワ卿が私を逃がしてしまうのではないかと危惧したのだろう。それでヴァロワ卿に許可を出さなかった。その代わり、ヴァロワ卿は私もよく知っているコールマン少将を此方に寄越したのだろう。コールマン少将は元々、ロイの部下で、ロイと親しくしていた。
「済まない。迷惑をかけた」
「いいえ。大事に至らず幸いでした」
   扉をノックする音が聞こえて、視線を其方に遣ると白衣を纏った医師が現れた。診察が行われる間、コールマン少将は少し離れた場所で控えていた。監視するよう皇帝に命じられているのだろう。多分、この部屋の外でも厳しく監視されているに違いない。
   医師は一通りの診察を終えると、まだ長距離の移動は無理だという旨を私とコールマン少将に伝えた。もう少し回復するまで出発を控えるよう、コールマン少将に告げる。コールマン少将は解ったと応えた。
「……出来るだけ早く帝都に戻りたい」
   私がそう告げると、コールマン少将は私を見返し、医師はそのお身体では無理です、と眉を顰めて言った。
「明日、出発させてくれ。具合も大分落ち着いているから大丈夫だ」
   医師は眉根を寄せたが、明日の容態を診察してからにしましょうと、一応は私の意見を飲んでくれた。
   私は早く帝都に戻り、皇帝と話をしなくてはならなかった。最後の最後で食い止められるように――。
「ヴァロワ大将閣下に連絡をいれてきます。その間、ボレル大佐が此方に控えますので、御了承下さい」
「ああ……。ヴァロワ卿に迷惑をかけたと伝えておいてくれ」
「了解しました。閣下はもう少しお休みになっていて下さい」
   コールマン少将が部屋を出るのと同時に、憲兵達のなかで大佐と呼ばれていた男が入室する。彼は私に敬礼して、歩み寄った。
「ご挨拶が遅れましたが、小官はマリオン・ボレル大佐であります。私の部下が閣下に失礼を働きました」
「……捕虜を殺害しろと命令を下していたのはフォン・シェリング大将か」
「はっ」
「そうか……。君にも迷惑をかけた」
   早く帝都に戻らなくてはならない。フォン・シェリング大将は作戦案が決まり次第、出兵するつもりだ。何とかそれを止めなくては――。
   せめて、この国で私が出来るだけのことを――。


[2010.2.8]