午前3時に起きて、身支度を整えた。充分に休息を取った甲斐があって、体調は頗る良かった。レオンは軍服を纏い、剣を手に持った。一度鞘から抜いて、剣の具合を確かめるように軽く一振り二振りする。レオンの胸には大将の階級章と勲章が並んでいた。レオンが紛れもなく共和国の軍部長官であることを示すように。しかしそれは私に違和感を覚えさせた。
   不思議なことに、レオンは敵なのに、私は彼を仲間のように思っている。
「行こうか」
   ホテルを後にする。辺りは暗く、人一人居ない。そんななか、山に向かって歩き出した。
「ルディ」
   不意にレオンが止まるよう告げる。耳を澄ますと、遠くから足音が聞こえた。暗闇のなか、きらりと灯りが見える。
「憲兵が二人居る。暫く此処に身を潜めよう」
   こんな暗い闇の中でも裸眼で確認出来るのかと驚いた。レオンは相当、眼が利くようで、確かに指摘通り、足音が二人分聞こえてきた。やはり、この辺りから捜査網を張っているのだろう。
   山に入るまでに見つからなければ良いが――。
「よし。向こうに行ったようだ。行こう」
   レオンに促され、注意を払いながら先を急ぐ。それからも何度か憲兵と出くわした。その都度、身を隠しながら進み、そして何とか山に入った。
   まだ夜明け前で暗く、気を付けなければ足下が危ない。岩がごろごろと剥き出しになっていて、その隙間に木々が生えていた。雨が降っていたら、足場が悪く滑りやすくなっていたことだろう。
   レオンは持っていた剣で時折、小枝を切りながら進んでいく。


   陽が少し出て来た時、岩陰を見つけた。少し休憩を取ることにして、その岩陰に身を潜めた。静かに耳を澄ましていると、憲兵達の足音がぞろぞろと聞こえて来る。足音から察して、10人は居る。
「13人か……。逃れきれない数ではないな」
「レオン。これを」
   レオンに私が持っていた拳銃と銃弾を手渡す。レオンは私に持っているよう告げた。
「いや、私にはその剣を。……きっとレオンの方が射撃は正確だ」
   レオンは少し躊躇したものの、私と武器を交換した。安全装置を解除して、拳銃の具合を確かめる。その時、拳銃に施された刻印に気付いたようで、私を見つめて言った。
「H・R・L?これは……」
「弟の使っていた拳銃だ。弟が追放されてからは私が護身用に持っていた」
   先程、レオンは此処を通った憲兵の数を13人と見積もった。捜索の時の憲兵の編成は、25人で1団とするから、残り12人が何処かで待ち受けていることになる。そうなると、このまま二人でマスカットまで行くのは難しい。如何にレオンが勇猛果敢だとしても、25人を相手にするのは厳しいだろう。それもこんな足場の悪いなかでは分が悪い。

   私の予想通りということか――。
   せめてリヤドとマスカットの境まで案内できれば良い。其処からはレオンに一人で戻って貰い、私が憲兵達を足止めすれば良い。
「行こう」
   足音が完全に消えてから、再び山の中を進む。

   予想以上に足場が悪かった。憲兵達に見つからないように、本来の道とは違う経路を選んだせいで、幅が1メートルもない場所もあった。片側が崖となっている難所もあった。足を滑らさないように注意しながら進んでいると、どのぐらいの距離を進んだのかさえ解らなくなってくる。いつしか陽も傾きかけていた。

   それにしても、何処を通っても必ず憲兵達の足音が聞こえてくる。もしかしたら、私が予想している以上の人数が配備されているのかもしれない。
「……ルディ。此処から向こう側の崖が見えるだろう」
「ああ」
   此処から見て、少し小高い丘となっている場所がある。レオンはそれを指差して言った。
「おそらくあれを超えれば、共和国だ」
「……成程。何処からも丸見えということか」
「他の道を探した方が賢明かもしれない。俺が偵察に行ってくる」
「待て、レオン」
   此処で待つよう告げたレオンの腕を掴む。このまま進もう、と提案すると、危険すぎるとレオンは返した。
「銃撃戦を覚悟してくれ。そして、私もその境界までは同道する」
「境界まで……?」
「私はお前が無事に国境を越えるまで、彼等を食い止める」
「そのようなことをしたらルディが捕まってしまう。やはり別の道を探ろう」
「レオン。聞いてくれ」
   私はレオンの腕を強く掴んだ。足音が聞こえて来て、一旦言葉を止める。その足音が遠退いてから言った。
「私はこの国に残る。まだやり残したことがある」
「ルディ……!ヴァロワ大将も言っただろう。この国に残れば、君の命は危ない。皇帝命令に逆らったらどうなるか、君もよく解っている筈だ」
「私のことなら大丈夫だ。上手くやる」
「駄目だ。俺と共に行こう」
   レオンは私を見つめて、強い口調で言った。
   私は首を横に振った。
「レオン。私はこの国の宰相だ。宰相としての務めがある。お前にも解ってもらえる筈だ」
「ルディ……!」
「ひとつ頼みがある。この愚かな戦争を終わらせてくれ。きっとこの戦争と共に、帝国も終焉を告げる。だが、それにより、この国は新たな局面を迎えることになるだろう。私はそれで良いのだと思っている」
「それは君が成し遂げなければならないことの筈だ。そのためにも、君が共和国に渡り、帝国の現状を国際機関に訴えて……」
「レオンに願いを託したい。私はこの国で少しでも皇帝を抑える。……出来るだけ、再戦を避けられるように。だがそれが不可能であった時には、共和国に望みを託したい。アジア連邦、北アメリカ合衆国と共にならば、それが成し遂げられる筈だ。国際会議に訴えて、帝国の暴走を止めてほしい」
「ルディ……」
「頼んだぞ。……そして平穏な日々が戻ったら、また会おう」
   それでもレオンは納得していない表情で私を見つめていた。

   私は此処に来る前から、帝国に、宮殿に戻ることを決めていた。ヴァロワ卿が亡命を促したが、自分の役目から逃げてはならないと思っていた。
   此処まで何とかレオンを連れてくることが出来た。
   後少し――、あの小高い丘まで行けば――。


   木陰から出て、崖道を進む。暫く歩いたところで、居たぞ、と背後から声が聞こえて来た。
「レオン、急ぐぞ」
   レオンを先に行かせて、後方を守る。憲兵達は銃を持ってはいたが、撃ってこなかった。生きたまま捕らえるよう命じられているのかもしれない。
   全力疾走で丘を駆け上がる。背後からは憲兵達が追ってきた。閣下、お止まり下さい、と私に呼び掛けてくる。構わず、国境に向けて走った。

   だが――。
   丘の上にあと少しで到着する――、そのところで前後左右を囲まれた。じりじりと憲兵達が銃口を向け、近寄って来る。佐官級の男が、私に向かって、武器を置いて下さい、と告げた。
   刹那――、レオンが私の身体を後方に追いやって、拳銃を6発撃ち放した。その6発が此方に向いていた銃口を撃ち落とす。射撃に優れていたロイに勝るとも劣らない、見事な腕前だった。
同時に憲兵達も一斉に攻撃を仕掛けてくる。私に掴みかかってくる憲兵を薙ぎ払い、レオンは数人を投げ飛ばした。そうしてもみ合いながら、何とか丘の上までやって来た。
   共和国領を示す看板が入る。其処には赤い杭と共和国の旗が掲げられてあった。レオンの足がそれを超える。そしてレオンは私に向かって、手を伸ばした。
「ルディ!」
   私はそのレオンに背を向け、憲兵達の行き手を阻んだ。憲兵達は私には銃口を向けようとしない。私を前にして、銃を下ろし、お戻り下さい、と言った。
「私は戻る。だが、彼の姿が此処から完全に見えなくなってからだ。彼に危害を加えることは許さない」
「捕虜は殺害するようにと命令を受けております。宰相閣下、其処をお退き下さい」
「退かぬ」
「閣下!」
「お前達に命じる!私が良いと告げるまで、此処に近付いてはならない」
「閣下……!」
「命令に背く者は私が斬る。全員、武器を下ろせ」
   大佐の男は口惜しげに此方を見ながら、全員に武器を下ろすよう告げた。レオンはまだ私の背後に居た。
「行ってくれ、レオン。……いつかまた会おう」
「ルディ……」
「……同じ過ちを犯すな。早く行け!」
   その言葉を受け、レオンは漸く私の側を離れた。
   ほっとした。これで良い。
   これで――。


   カチリと引き金に指をかける音が聞こえて、すぐに視線を前に戻した。私の斜め前に居た男が小銃を構えて今まさに引き金を引こうとした。
「撃つな!」
「閣下!」
   彼が引き金を引くのと、私が彼の前に躍り出るのと同時だった。
   ズドンと鈍い音と衝撃が、私の身体を通り抜けていく――。


[2010.2.7]