「どう見積もったとしても、我が国の損害が大きすぎる。人的損害と経済的損害、この二つが帝国の地盤を揺らがせることとなる。たとえ勝利を得たとしても、戦後経営のことを考えれば、決して利益性が高いとは言えない」
「宰相は新トルコ共和国の資源を過小評価しているのではないか。新トルコ共和国には潤沢な地下資源がある。一説によれば、我が国の数十倍という。我が国で不足している資源を確保したうえ、地下資源と鉱物を輸出に回せば充分な利益を得られる」
「我が国が侵略し、その後征服した地を統括することの難しさはフォン・シェリング卿もよく御存知の筈。帝国は既に世界一の領土を有している。それがために、帝都から離れた地方では内紛も多い。それらに対処する費用が軍事費の3割に当たることも御存知だろう。それに支配地の多くは政府に対して否定的な考えを持っている。これ以上、侵略によって領土を拡げようものなら、帝国は内側から崩壊してしまう」
「慎重なのは結構だが、それは弱腰というものですぞ、宰相。時期には好機というものがあります。今はその好機。新トルコ共和国は体制移行して内部はまだ落ち着いていません。今、新トルコ共和国を手に入れれば、初めは痛みを伴ったとしても後に帝国の重要な利益となりましょう」
「卿の言う痛みが、今の帝国には耐えられない。我が国は資源が潤沢ではない。平常時の今でさえ、資源を輸入している状態だ。侵略したら、国際法に反したとして、輸入が途絶えてしまう。たとえ今備蓄している資源があっても、戦争が長期化すれば、我が国は圧倒的に不利となる。そしてもう一点、新トルコ共和国と戦っている間、支配地の民達が反乱を起こす可能性も充分に考えられる」
「勿論、戦争の長期化は私も避けたいところです。短期に全てを決してしまえば良い」
   その用意は極秘裏に進めている――と、フォン・シェリング卿は言った。彼が何を画策しているのか、ヴァロワ卿と共に話し合って来たことだった。やはり彼は最低最悪のことを考えているのだろう。
   大型ミサイルを使うつもりだ――。
   それも、新トルコ共和国の首都に狙いを定めるつもりだ。新トルコ共和国を敗戦に追い込むにはそれしかない。
「卿の策は国際法と条約に反する行為だ。それは断じて許されない」
「宰相。私は以前から考えていた。国際法に従っていては帝国の繁栄はありえない。今の国際体系を脱してこそ、帝国の繁栄があるのです」
「……卿は全世界を支配するつもりか」
「帝国の繁栄のために、今の国際体系を抜けるという選択があっても良いと私は考えている」
「各国と協調を取らなければ、現在の帝国も維持出来ないことを弁えてのことか」
「個別に条約を締結すれば良い」
「そのような世迷い言が通ると思っているのか。どの国も法を遵守しない国と国交を結ぼうとはしない。卿の言い分では世界中の国々を相手に戦争をして、勝利したうえ独裁を貫くということと同義だ。資源の少ない帝国にそのような力があると思うか」

   フォン・シェリング卿は何としても戦争を起こしたいという考えを持っている。帝国が勝利出来ると思っている。たとえミサイルを使って勝利したとしても、帝国は各国から非難を浴びる。そんな国と友好関係を持とうという国などあるものか。そして、帝国が一度でもミサイルを使えば、新トルコ共和国もその使用を躊躇わないだろう。
   そればかりか、新トルコ共和国と友好条約を結んでいるだろうアジア連邦や北アメリカ合衆国が黙っていない。アジア連邦の軍事力は強い。ミサイルを一発でも使えば、ミサイル戦争となるだろう。そうなった場合、帝国に勝利は無い。
   ヴァロワ卿がフォン・シェリング卿に向かって、それを説く。ヘルダーリン卿も戦争での勝利に確証が持てないことを力説した。しかしそれらの話にフォン・シェリング卿は耳を傾けることはなかった。

   将官達も三分の一はヴァロワ卿に味方して反戦の意を示しているが、残りの三分の二はフォン・シェリング卿を支持していた。言うなれば、フォン・シェリング卿が彼等を買収していた。会議で多数決となれば反戦派が圧倒的に不利となる。そのため、軍務省の会議には宰相である私が常に出席し、主戦派の意見を退けていた。宰相の権限で、主戦派の意見を遠ざけた。権力の濫用だとフォン・シェリング一派は抗議したが、そうすることでしか、フォン・シェリング卿を頂点とする主戦派を抑えることが出来なかった。

「入るぞ」
   突然、会議室の扉が開いた。その声に驚いて全員が立ち上がった。
   皇帝がこの会議室にやって来た。この会議に皇帝が参加することはない。いつも私が会議のことを報告していた。皇帝はそれを黙って聞いていただけだった。
「フェルディナントから報告は受けていたが、会議は随分紛糾しているようだな」
   皇帝が一歩また一歩此方に歩み寄る。座を勧めると、皇帝は其処に腰を下ろした。
「フリデリックからの報告も受けている。新トルコ共和国の地は帝国に利をもたらす、とな。フェルディナントは経済的・外向的な見地からそれを反対している」
「陛下。新トルコ共和国はおそらくアジア連邦や北アメリカ合衆国とも同盟を結んでおります。新トルコ共和国は外交の巧みな国です。政府要人達が北アメリカ合衆国とアジア連邦に頻繁に出向いている情報も得ています。そして何よりも新トルコ共和国には資源があります。軍事力の強いアジア連邦と北アメリカ合衆国と手を結び、潤沢な資源を背景とすれば、我が国の勝算は限りなく低く、たとえ勝利したとしても甚大な損害を被ってしまいます」
「お前の考えはよく解っている。フェルディナント」
   皇帝は此方を見てそう言った。戦争反対の立場をこの場で表明してくれれば、当分の間は主戦派の意見を遠ざけることが出来るだろう。今日此処に皇帝がやって来たのは悪いことでもないかもしれないと思った。この時までは。
「だが、フリデリックの話も納得のいく節があるのだ」
「陛下……?」
   何を――、言うのか。
   皇帝から眼が放せなかった。主戦派のフォン・シェリング卿の肩を持つのか。
「新トルコ共和国が体制以降を成し遂げた。東側の諸国はこれで民主制に移行したことになる。新トルコ共和国が君主制国家にとって最後の砦のような存在だったからな。我が帝国は、今後国際的に苦しい立場に立たされるだろう」
   皇帝は一旦其処で言葉を止めて、此方を見た。
「皆の知っている通り、私はフェルディナントを後継者と選んだ。そのことをよく思っていない者も多いだろう。まずはその話をしよう」
   この会議室に集った面々が顔を見合わせる。否、彼等以上に私が動揺していた。皇帝が何を考えているのか予想出来ない。私の意見に賛同しているようで、フォン・シェリング卿の肩を持っているような――。
「私と皇妃カトリーヌとの間には皇子は誕生しなかった。そのため、フォン・ルクセンブルク家から養子を取る話もたびたび提言されてきた。だが、私はフォン・ルクセンブルク家から養子を取る考えは今でも全く無い。私は私の選んだ人間を継承者としたい。第一皇位継承者であったフアナは生来病弱で、そのフアナ自身も継承権を第二皇女エリザベートに移譲することを考えていた。したがって、第二皇女エリザベートがこの私の後を継ぐ者で、だからこそエリザベートには幼少の頃より帝王学を学ばせてきた。それがまさか、エリザベートまでも原因不明の病で亡くなるとは思わなかったがな。しかし、たとえエリザベートが皇位を継承することになったとしても、私はフェルディナントをその夫とするつもりだった」
   初めて聞く話だった。私ははじめから皇位継承者の皇女の結婚相手と目されていた――など、皇帝はこれまで一度も口にしたことは無かった。
「フェルディナントを宰相に任命した時から決めていたことだ。旧領主層のロートリンゲン家となれば皇女の相手として身分に不足は無い。そのうえ、フェルディナントの才については当時からよく噂に上っていたからな」
   他からの求婚を断っていたのはそのためだ――と、皇帝はフォン・シェリング卿を見て言った。
   つまり、皇帝からすれば全て計算していた通りだったということだろう。計算から外れていたことは皇女が二人も相次いで亡くなり、最後に残った皇女も行方不明になったということで――。
   私はただ、皇帝の手中で踊っていたに過ぎないのか――。
「皇女マリは姿を眩ませる前、フェルディナントに継承権を移譲すると告げた。自分に政治的な才覚は無いから、全てをフェルディナントに委ねる、とな」
   会議室内が騒然とする。フォン・シェリング卿はじろりと此方を睨み付けた。
「よってマリが居なくなろうと、フェルディナントはこの帝国の継承者だ。それは私も認めたこと。いずれマリが戻り、フェルディナントとの間に子が出来れば、皇統は我の血を引く者に戻ることになる。しかし一時的にも皇統がロートリンゲン家に移る。そのことに不満を持つ者も多い。フリデリック、お前もそうだろう」
「……陛下、私は……。私はただ皇統を案じているだけです。フォン・ルクセンブルク家こそ陛下の皇統に近い一族ではありませんか。何故、フォン・ルクセンブルク家を……」
「ヨーゼフの許に皇統は移さない。これは私とヨーゼフとの約束だ」
   皇帝はきっぱりと言い放って、全員を見渡した。
「よってフェルディナントは今は宰相だが、次期皇帝――正式な式こそ済ませていないが皇太子も同然だ。その権限は私の次に強いと捉えよ。尤も、突然そのようなことを言われてもお前達も納得すまい。よって私は、此度の戦争を好機と考える」
「陛下……!?」
   皇帝は開戦を促すつもりだ。
   開戦を認めることだけは――、それだけは絶対に駄目だ――!
「陛下、どうかお考え直しを!開戦は我が帝国にとって不利です」
「初代皇帝も不利な戦争を勝ち抜き、皇帝の称号を得た。フェルディナント、これはお前にとっても好機だ。その才でもって新トルコ共和国を手に入れよ。さすれば、皆もお前を真の皇帝と認めるだろう」
「陛下……!僭越ながら、私は戦争には反対です。三ヶ国を相手にしては、多大な犠牲を生んでしまいます。それはこの帝国の利益を損ねることです。そればかりか、帝国を弱体化させかねません……!」
「フェルディナント。これは命令だ」
   皇帝は鋭い眼で此方を見た。咄嗟に言葉を失った。
   皇帝命令には逆らえない。逆らえないことは解っているが、皇帝に思いとどまってもらうにはどうしたら良いか――。
「陛下……!畏れながら、軍務長官として申し上げます。私も宰相同様、戦争に反対です。宰相の仰った通り、新トルコ共和国がアジア連邦、北アメリカ合衆国と同盟を結んでいるとしたら、軍事力のうえでも三ヶ国が帝国を勝ります。帝国の勝算は限りなく低いものと考えます」
「ジャン・ヴァロワ。いつでも数の上で勝つ訳ではあるまい。その策を考えるのはお前の役目だろう。良いか、私はこの場で宣言する。新トルコ共和国を獲得し、帝国の威信を示せ。開戦準備をせよ」
   皇帝はフォン・シェリング卿の提案した戦争を支持した。

   私は――、何も出来なかった。


[2010.1.3]