「まだ極秘事項なのだが、ロイには話しておいた方が良いと思っていたことがあるんだ」
「極秘事項を漏らして良いのか?」
「だから誰にも口外しないでくれ。尤ももう皆の間で噂として囁かれているだろうが……」
   フェイは宿舎に帰宅すると、酒と肴を手際良く用意した。向かい合って座り、酒を飲みながら小鉢に盛られた肴を摘む。フェイの用意した酒は日本酒と呼ばれる古来の製法で作られた酒で、この国に来てからその味を覚えた。口当たりが良くて飲みやすい。
「帝国は新トルコ共和国に侵略をしかけるつもりだ。今朝、新トルコ共和国から報せが来てな。万一の事態が生じた時には援護を頼む、と」
「しかしそれは今解ったことでもあるまい。少し前から上層部では囁かれていたことだろう」
「事態は俺達が考えている以上に早く動いている。帝国は完全に二分しているといっても過言ではないだろう。新トルコ共和国がもたらした情報のなかに、それを裏付けるものがあったんだ。守旧派が既に軍備を始めているらしい」
   進歩派の――、宰相であるルディの眼を盗んでだろうか。それともルディがそれと気付きながらも、有無を言わせないのだろうか。もし後者の状態で軍備を開始出来るとなったら、思い当たる人物は一人しかいない。フリデリック・フォン・シェリング大将――、彼が動き始めたということだろう。
「帝国が侵略するとしたら新トルコ共和国ということは前々から解っていたことだ。ロイ、これは俺の予想だが、おそらく年内に戦争が勃発する。帝国対連合軍のな」
「そのために今回、急に大演習を行ったのか?国際会議でミサイル使用許可が得られることを仮定して」
「そうだ。加えて、ロイの実力を他の大将達に知らしめる必要があったというのもある。まさか第2艦隊のクルギ大将をも打ち負かすと思わなかった」
   猪口に入った酒をくいと飲む。長官も驚いていたぞ――とフェイは言った。
「フェイ。俺に艦隊を与えたのは何故だ?敵将であり、此方に来てまだ日も浅い人間に一個艦隊を与えるのは、誰が見ても奇妙なことだと思うが」
「ロイの能力を存分に発揮できるのは海軍だと考えたからだ。帝国ではずっと海軍部に所属していたことを鑑み、また大将級であることも考慮して……」
   それは表向きの理由に他ならない。俺を起用した真意は絶対に別にある――。
「お前は俺がこの国に来た時から、帝国と三ヶ国連合軍の間で戦争が勃発した時のことを考えていたのだろう。違うか?」
   猪口を置いてフェイを見ると、フェイは虚を衝かれた様子で此方を見返した。
「帝国の狙いが新トルコ共和国である以上、戦争は陸戦となる。帝国は新トルコ共和国以外の国――アジア連邦と北アメリカ合衆国との戦争はなるべく回避したい筈だから、海戦は極力避けるだろう。加えて国際条約で陸上でのミサイル使用は一切禁止されているから、白兵戦となるのは必至。もし連合軍と戦争となった場合、帝国は陸戦に兵力を集中させることになる。海戦は防戦一方であまり重視されないだろう。そして、国際会議でミサイル使用が認められることを仮定しても、それは戦争末期のことだ。国際会議もそう容易くミサイル使用を認めまい。そうなると、俺を戦争の主軸から遠ざけるために艦隊を与えたのではないのか」

   フェイは凝と此方を見て、身じろぎもせず話を聞いていた。
   おそらく俺の推測は当たっている。この男にこれぐらいの先読みが出来なかったとは思わない。俺が今指摘した以上のことを考えているに決まっている。

   フェイ・ロンという人物は言うなれば食えない人間だった。ルディと同じようにいくつもの手段を頭のなかで考えている。俺がこれまで会ったなかで、ルディと対等にやり合える頭脳を持った男だった。
「有能な部下を持つと、此方の意図するところも全て読まれてしまうな。今、お前が話した通りだ」
「何故そのようなことを画策した?」
「今の帝国と戦争になるということは、お前は兄と敵対することになる。如何に今現在、宰相が戦争に反対しているといっても、皇帝が命じたらそれに逆らうことは出来まい。おまけに宰相は次期皇位継承者だ。そうなると、今回の侵略戦争は帝国にとってもうひとつ意味を持つことになる」
「……兄の力を見せしめるための侵略戦争か」
「ああ。新たな皇帝となる宰相が戦争で勝利すれば、対外的にも認められるということだ。だから実質的に今回の戦争は宰相が総大将となるだろう」
「俺は兄を敵に回しても構わん。むしろ覇者として皇帝の地位に就こうというのなら、俺がそれを食い止める」
「俺はお前の兄がそれほど権力を欲しているようには思えないが……」
「手の届くところにあるなら、兄は間違いなくそれを手に入れようとする。守旧派との対立が深まっているなら尚更のことだ」
「では其処まで宰相が権力に拘る理由は何だ?温厚そうなあの宰相が、単なる私利私欲のために皇帝の座を狙っているとは思えないが……」
「……さあな」
   そう応えると、フェイは此方を窺うような眼で見つめた。指先を顎に添え、視線を下ろす。フェイが考えごとをする時の格好だった。
「フェイ、俺は一個艦隊など要らない。陸軍に、それかワン大佐のように陸軍にも海軍にも縛られないお前の直属部隊の一員としてほしい」
   フェイは顎から指を放し、直属部隊に組み入れたとしても前線には出さんぞ――と言った。
「お前を前線から遠ざける理由はもう一点ある。これは長官とも話したことだが、ロイに頼みたいことがあるんだ。だから戦争となっても最前線には立たせたくない。お前の力量は良く解っているつもりだが、それでも前線では何が起こるか解らないからな」
「……俺に何を望むというんだ」
「戦後処理だ。帝国と連合軍が戦争となった果てには、70%の確率で此方が勝利するだろう。その後の処理は連合軍で行うにせよ、混乱を回避するためにロイの力を借りたい」
   成程、俺の影響力を使って、帝国の内乱を鎮めようということか。帝国の元長官であり、旧領主層でもあることを考えてのことだろう。

   おまけにアジア連邦にしてみれば、アジア連邦の息のかかった人間が帝国を取りまとめる――言うなれば占領することになるから、三ヶ国のうちアジア連邦が一歩リードする形となる。
「アジア連邦がそれを望むなら、尽力しよう。しかしフェイ、俺は兄が覇者となろうというなら、それを止めたい。だから俺を直属部隊の一員としてくれ。将官級でなくて構わない」
「ロイ……」
「マリが居なくなっても、皇帝に成り上がろうとする兄の愚かさにはほとほと愛想が尽きた。この俺の手で兄の野望を砕いてやりたい」
「……マリ皇女は依然、行方不明のままだそうだ。帝国も奔走して探していると聞いている。ビザンツ王国の方も探しているらしいという噂を聞いたから……」
   そこでフェイは言葉を止めた。だから大丈夫だ、とは言えないのだろう。
   俺とて解っていた。行方不明となってからの期間が長すぎる。何処かでひっそり身を潜めて暮らしているのなら良い。毎日毎日それを願った。
   無事に何処かで生きていてほしい。俺が見つけるまで――。
「兎も角も帝国の状況にはますます眼を放せなくなっている。それも今回の戦争は勝っても負けても被害が大きそうだ」
   フェイは銚子から酒を注ぎ、猪口を傾ける。


   戦争には反対だ――ルディは常々そう言っていた。それを自分で覆すつもりなのだろうか。皇帝の座を手に入れるために。
   お前は其処までして権力が欲しいのか。

   俺なりにずっと考えてきた。何故ルディが権力を欲しているのか。
   ルディは私財を増やそうとは決して考えていない。権力を欲しているのは、私利私欲のためではない。
   帝国の体制を変えることにこそ、ルディの目的がある。それがどれだけ難しいことか知りながら、成し遂げようとしている。
   どんな犠牲を払ってでも――。

   ルディが優秀だということは俺も認めている。だがそれにしても、帝国をその手で変えようとするのは無理なことだ。帝国を変えられると本気で思っているのか。300年続く、あの巨大な国を。皇帝になればそれが成し遂げられると思っているのか。
   あまりに大きな力を手に入れようとすれば、必ずその代償がある。失うものが大きいことを気付かないのか――。

   それとも――、皇帝に操られているのか。

   過ぎった考えを頭から追い払うように、酒を飲む。もし今戦争となれば、俺はルディと敵対することになる。戦争となれば――。

   ルディが戦争は起こさないという主義さえもねじ曲げて、権力を手に入れようとするならば、俺はルディと敵対しても構わない。帝国と戦争になるということは、そういうことだ――。
   細長い銚子を傾けると、既にそれは空になっていた。

[2009.12.19]