俺は此処に来るのが遅かったのか――。
『私のことなら大丈夫だ。上手くやる』
   ルディ、君はそう言っていたじゃないか。
   それなのに何故、こんなところで、痩せこけた姿で、死人のように横たわっているのか――。

「長官。鍵を壊します。お下がり下さい」
   ハッダート大将に声をかけられ、傍と我に返った。あれこれと考えている時ではない。一刻も早くルディを病院に連れていかなければならない。
「あんた……、共和国の長官か?」
   ルディの牢のなかに居た男が問い掛けてくる。胸に囚人番号5150番とあった。アクィナス刑務所には民主化運動といった反政府運動に加担した者達だと聞いている。この男もそうなのだろう。
「そうだ。君はずっとルディと共に?」
「良かった……。ルディをすぐに病院に連れていってくれ。一昨日から意識を取り戻さないんだ。早く……」
「解った」

   銃で撃ち壊された鍵を、ハッダート大将が取り去る。牢の中に入り、毛布に包まったルディの身体をそっと抱き上げた。
   酷く軽かった。まるで細身の女性を抱いているみたいに。

「心臓と肺を痛めているようなんだ。一昨日は大量に血を吐いて……」
   ルディ――と呼びかけても、瞼は全く動かなかった。体温と微かな呼吸だけが、ルディが生きていることを報せてくれていた。
「イムラーン中将。此処に居る者達の罪状を調べ、国際法に違反していない者達は解放するよう準備を整えてくれ」
   この牢全体がわあっとざわめき立つ。後のことはイムラーン中将に任せて、ハッダート大将と共に階上へと上がっていく。ルディの身体は完全に脱力していた。階段を上がる弾みで、腕がぶらりと垂れ下がる。


「ソネル大佐。車を運転してくれ」
「はっ」
   アジーズ少将と共に刑吏官達を捕縛していたソネル大佐に、ハッダート大将が促す。ソネル大佐は裏手に置いておいた車をすぐに此方に動かしてきた。
「この辺りで一番近い病院を探してくれ」
   車のなかのナビゲーションを操作するよう求めると、ソネル大佐は指を動かして検索を始める。その合間に、座席のひとつを倒してルディを其処に寝かせた。ハッダート大将は、ルディの身体が動かないようにベルトをかける。
   胸元に囚人番号が書かれていた。5163番。何故ルディが囚人扱いされなければならないのか――、怒りがこみ上げてきて、それを手で引き千切った。
「レオン……」
「俺を逃がす手助けをしたばかりに……。せめて俺が……俺が連れていけば……」
「自分を責めるな。確りしろ。ソネル大佐、病院はまだ探せないのか?」
「この周辺には収容可能な病院がありません。帝都の……、帝都第七病院が一番近いのですが、車で30分以上かかって……」
「ならば帝都に行くしかあるまい。車を発進させろ!」
「はっ」
   車が揺れていても、ルディが眼を覚ますことは無かった。30分車を走らせて、病院へと到着する。すぐにルディを抱き上げて、急患用のゲートへと向かう。

   看護師達が悲鳴を上げた。連合国軍が病院に侵入したと勘違いをしたようだった。
「民間人には手出しはしない。重病者が居る。すぐに彼を診てほしい」
   ハッダート大将が脅える看護師達に向かって言い放つ。それでもまだ看護師達は躊躇していた。
「一刻を争うんだ。頼む、医師の手配を早く……!」
   俺が歩み出て言ったその時、一人の女性看護師が何かに気付いたように歩み寄って来て、俺の腕の中を覗いた。フェルディナント様――と、彼女は茫然と呟く。
「そうだ。この国の宰相だ。どうか早く処置を……」
「お待ち下さい。すぐトーレス医師を」
   そして別の看護師がストレッチャーを寄せて来る。ルディの身体をそっと其処に下ろした。そのストレッチャーがゆっくり動き出してルディの身体を運んでいく。
   その時、初老の医師が先程の看護師と共に早足に歩み寄って来た。彼はその場でルディの脈と瞳孔を診、看護師にいくつかの指示を出した。それから此方に近付いて来る。
「貴方がたは……」
「新トルコ共和国軍部長官、レオン・アンドリオティス大将です。私はこの病院を制圧しに来たのでは無い。その点は御理解頂きたい」
「共和国の軍部長官……。……そうでしたか、ロートリンゲン家から事情は聞いています」
「ロートリンゲン家から……?」
「私はティム・トーレスと申します。フェルディナント様の侍医を務めております」
   トーレス医師は一礼して、ルディの状況を聞き出す。先程、同じ牢に居た男から聞いた話をそのまま伝えると、彼の表情が険しくなっていく。
「すぐに処置を始めます」
「お願いします。それから……、ロートリンゲン家の方にも宰相が此方に居るということを伝えて頂けますか? 私は連絡先を知らないので……」
「解りました」
   トーレス医師の背を見送る。ルディの姿を見たときから、心臓が強く脈打っていた。不安でならなかった。
   だが、後のことはトーレス医師に任せるしかない。大丈夫だ。ルディの侍医だと言っていたではないか。ルディのことなら、俺以上に知っている筈だ。
   もう俺に出来ることは――無い。

「レオン……」
「マームーン大将と合流しましょう」

『平穏な日々が戻ったら、また会おう』

   必ずまた会える。大丈夫だ――。
   自分自身に言い聞かせて、ルディが行った方に背を向ける。病院を出て、宮殿へと向かった。



   熾烈な戦闘が続いていると思ったら、既に戦火は終息に向かいつつあった。まだ戦闘開始から二時間しか経っていないのに、予想していたより随分早い。 帝国軍の兵士達の大多数が、既に連合国軍に捕らわれているようだった。
「レオン。俺から離れるなよ。お前の命を狙う者は多い」
   ハッダート大将は周囲に注意しながら歩いていく。頷き応えると、マームーン大将の許の准将が此方に駆け寄ってきた。
「長官。宮殿は八割方、制圧しました。残る二割は現在、宮殿内にて戦闘中です」
「皇帝は?」
「それが……、行方が掴めません。我々が突入した時には既にその姿は無く……」
「秘密の通路がある筈だ。宮殿内を徹底的に調べろ。それから、フォン・シェリング軍務長官は?」
「実は……」
   彼は言った。フォン・シェリング大将も上層部の将官達の殆どがこの場に居ない――と。
「……一足早く逃げられたか」
   おそらく皇帝はフォン・シェリング大将と共に逃げている。ミサイル基地の件も気になるが――。
「海軍部ヘルダーリン長官は既に此方に捕らえています。今、マームーン大将閣下が彼と、そして副宰相から話を聞いています」
「副宰相?」
   副宰相ということは、ルディの部下ということか。宰相が不在の今、彼が実質的に権限を持っているということになる。
「マームーン大将は何処に?」
「あちらです。御案内します」

   准将の案内でマームーン大将の許に向かう。マームーン大将は俺達に気付くと、どうでした――と問いかけた。無事に救出して病院に連れて行った旨を告げると、マームーン大将は僅かに笑みを浮かべて、振り返って言う。
「……とのことです。ご安心なされ」
「ありがとうございます。アンドリオティス長官、マームーン大将殿。……アンドリオティス長官、私は副宰相を務めておりますオスヴァルト・ブラウナーと申します」
   彼は立ち上がると丁寧に一礼して、そう名乗った。


[2010.3.28]