連合国軍は、私達の約50メートル手前で立ち止まった。最前列の銃口は一斉に此方に向いていたから、妙な真似をすればすぐに撃ち殺されてしまうだろう。
   一歩前に進み出る。照準を合わせるように銃が僅かに動いた。カサル大佐がそっと手を挙げて私を庇おうとする。彼に首を横に振り、その手を下ろさせて、連合国軍を見据える。

「私は帝国軍陸軍部所属ジャン・ヴァロワ大将だ。其方の指揮官と話がしたい」
   連合国軍を見渡して言い放つ。一見する限り、士官の階級章を付けた者が見当たらない。マームーン大将は此処ではない別の場所から指揮を執っているのだろうか。だが、この隊のなかには、士官が居る筈だ。
「武器を捨てろ」
   何処からともなく声が聞こえて来た。私自身は武器を所持していなかったが、カサル大佐が護身用の銃を保持している。カサル大佐にそれに従うよう告げる。彼は躊躇したが、腰に備えてあった拳銃をその場に置いた。
「武器はこれだけだ」
   銃を持った最前列の兵士達がじりじりと歩み寄る。彼等はあっという間に私とカサル大佐を包囲した。銃口が至近距離からずらりと並んでいる。何が目的だ――と大尉の階級章を身につけた男が問い掛ける。
   それに応えようとした時のことだった。

「銃を下ろせ」
   連合国軍のなかから、太い声が聞こえてくる。聞き覚えのある声で、マームーン大将だとすぐに解った。
   兵士達はその命令を受けて、一斉に銃を下ろす。彼等に下がるよう告げて、口髭を蓄えた中年の男――マームーン大将が近付いて来る。彼は眼の前で立ち止まると型通りの敬礼をした。此方も敬礼を返す。
「ヴァロワ大将。まさか貴方がこの支部の指揮を執っているとは思わなかった。兵を全員ザルツブルクに退かせてどのような策を講じるのかと考えていたが……」
「御無沙汰しております。マームーン大将。お話があって、本部から参りました」
「話……?降伏ということですかな」
「このザルツブルク支部は全面的に降伏し、支部ならびに兵員を一時、貴国にお預けします」
   マームーン大将は僅かに眉を動かした。側に居た中将の階級章を有した男に兵をもう少し下がらせるよう告げる。彼は敬礼して、すぐその指示に従った。兵が私達から少し遠退く。
「……軍人が戦わずして要塞を明け渡すということの意味を踏まえての御決断か」
「帝国への裏切り行為であることは重々承知しております。覚悟の上、此方に参りました」
   マームーン大将は私を見つめると、困ったような悲哀の混じったような表情で、ウールマン大将から話は伺っている――と言った。
「帝国の内部が分裂していると。ヴァロワ大将、貴方がそのような判断を下すということは、我々が予想していた以上に事態は深刻であるということだろう。……解った。支部降伏は受け入れよう」
「ありがとうございます。それからどうか、部下達の生命と身体の安全の保証を」
「無論、無抵抗な者には安全を保証する。ウールマン大将についても同じこと。現在、我が国の西方警備部で待機して頂いている」
「御寛大な処置に感謝の言いようもありません」
「その代わり、支部は完全に明け渡してもらうことになる。それから、ヴァロワ大将、貴方とはもう少し話がしたい」


   マームーン大将は兵士達にその場での待機を命じ、一部隊のみを率いて、ザルツブルク支部に足を踏み入れた。カサル大佐に命じて、戦々恐々とする兵士達に心配は無用であることを伝えさせる。司令室に招き入れると、マームーン大将は徐に此方を見て言った。
「このザルツブルク支部に兵士達を集結させたのは、降伏のためだったか……。貴方の決断によって命を救われた兵士達は数多いことだろう」
「勝敗の明かな戦闘です。開戦前から帝国の惨敗は予想出来たこと……、これ以上の犠牲は帝国を衰えさせる。そう考えて、降伏の道を選択しました」
「成程。ヴァロワ大将、此方としては貴方が指揮権を握っていたらと歯痒くてなりません。貴方が長であれば、戦争を回避していたでしょう」
   マームーン大将の言葉を、いいえと言って否定した。私は何も出来なかったのだから。
「たとえ長官の座に留まっていても、皇帝陛下の御意志の下では私の発言は握り潰されてしまいます。陛下の御意を制することが出来たのは宰相閣下であり、その宰相閣下が陛下によって裏切られた今、帝国の暴走は誰にも止められません」
   マームーン大将が何か言いかけた時、ピーピーと何かの着信を報せる音が鳴った。彼の側に居た少将が通信機を取り出す。マームーン大将から少し離れて、言葉を交わす。短い会話で、それが終了するとマームーン大将にそっと耳打ちした。マームーン大将はそれに頷いた後、私を見て言った。
「此処に来る前に、アンドリオティス長官に支部降伏の件について、連絡をいれておきました。長官は此方に向かっています。貴方と話をしたいとのこと、宜しいか?」
「ええ」
   三時間程で到着出来る筈だと、マームーン大将は言った。三時間ということは、もしかして帝国領内に居たのだろうか。あのアンドリオティス大将ならばそれも考えられるが――。
「それまでの間、この支部の構成員や兵員についてお尋ねしたい」
   このザルツブルク支部には現在、本来の支部員の他、周辺地域から撤退してきた戦闘員がいる。その人数を報せ、トニトゥルス隊の佐官級の隊員を紹介した。

   そして、私は此処に来る際、帝都までの主要支部にも降伏を促してきた。いずれの支部長も良く知った者達で、フォン・シェリング大将の強硬路線に反対していた。そうした理由もあって、連合国軍が到来した折には支部を明け渡すことを承知してくれた。
   したがって、ザルツブルク支部での交渉が終了すれば、連合国軍はすんなりと帝都に侵攻出来ることになる。おそらくは数日中に、宮殿を包囲出来るだろう。尤も危機感を覚えたフォン・シェリング大将がミサイルを使用する可能性も高い。そのために、ヘルダーリン卿にそうした動きがあったらすぐに連絡を呉れるよう頼んでおいた。

   それらをマームーン大将に伝え、連合国軍に投降する意志のある将官と佐官の名前を列挙する。そうした事務的な連絡事項を行っている間に、時間は過ぎていった。



   アンドリオティス大将がこのザルツブルク支部にやって来たのは、三時間半が過ぎてからのことだった。その間、マームーン大将は此処から少し離れた場所で待つ戦闘員達に休息を取らせるよう指示していた。
   心配していた支部内の混乱は生じなかった。皆、命令に従い、連合国軍に武器を提出し、支部内で休息を得ていた。
   アンドリオティス大将の乗った専用機が、支部内の敷地に降り立つ。マームーン大将は私に此処で待つよう告げ、彼と彼の部下の少将は部屋を後にする。
「本部から何か連絡は入っているか?」
   通信機の側に居たシュトライト少佐に尋ねると、彼はいいえと首を振った。フォン・シェリング大将はまだ何も気付いていないのだろう。好都合だ。

   程なくして、アンドリオティス大将がマームーン大将と共にこの部屋にやって来た。
   アンドリオティス大将は、三ヶ月前に会った時とまったく変わっていなかった。彼の側にはハッダート大将が控えている他、中将の階級章を身につけた男も居た。この二人が護衛役ということだろう。
「ヴァロワ大将。御英断に感謝します」
   アンドリオティス大将は眼の前まで歩み寄ると、そう言った。
「此方こそ、ウールマン大将はじめ、捕虜への御配慮に感謝します。アンドリオティス大将」
「このザルツブルク支部の兵士達の身の安全は保障します。暫く窮屈な思いをさせてしまいますが、どうか御容赦頂けますよう」
「長官、そのことなのですが、ヴァロワ大将はザルツブルク支部のみならず周辺支部……いえ、帝都までの主要支部の兵士達も各支部への待機を指示してらっしゃいます」
「帝都までの主要支部を……?」
   マームーン大将の口添えに、アンドリオティス大将は少し驚いた表情をする。すぐにその表情を収め、ハッダート大将に向けてムラト次官に連絡をいれるよう告げた。
「マームーン大将、申し訳無いのですが、ヴァロワ大将と二人きりで話がしたいので少しの間、席を外して頂けますか?」
「解りました」
   マームーン大将は敬礼し、部下の少将を促してこの司令室を去っていく。此方も側に居たカサル大佐とその部下達を退室させる。二人きりになると、アンドリオティス大将は私に向き直り、先日はありがとうございました、と一礼した。

   脱走の際のことだとは解ったが、こんな風に丁寧に感謝を告げられるとは予想しておらず、返す言葉を失った。
   宰相がこの男に全てを賭けた気持が――、そして共和国の軍部で高い支持を得ている理由が解った気がする。
「あの時、私を捕らえることも出来たでしょう。それを見逃して下さった。その責任をお取りになったとウールマン大将から聞いています」
「……私の選択は間違っていなかったのだと今、確信しました。宰相のことを考えれば、あの時、無理矢理にでも宰相を押し止めるべきであったのではないか――と、迷っていた時もありました。……だが、貴方は宰相が認めた通りの方だ。全てを貴方に託したのでしょう」
「別れる間際、宰相から戦争を終わらせて、帝国の暴走を止めてほしいと告げられました。……宰相はこうなることを全て読んでいたのだと思います」
「そうでしたか……。宰相らしい」
   帝国内部で抑えることは不可能だと判断していたのだろう。宰相のことだ。早い段階で、帝国の終焉に気付いていたのかもしれない。
「ヴァロワ大将、私はハッダート大将と共に、これから宰相の捕らわれているアクィナス刑務所に向かいます。マームーン大将にはこのまま進軍を続けてもらい、宮殿を包囲します」
   アンドリオティス大将の言葉にすっと肩の荷が下りた気がした。宰相が捕らわれて三ヶ月――、漸く宰相をあの刑務所から救出することが出来る。宮殿が包囲されるという深刻な事態のことよりも、宰相の件の方が、私にとっては重要なことだった。
「ありがとうございます。……国際会議で認められた軍隊であり、またアンドリオティス大将の配慮も解っています。ですから、重ねて申し上げるのは失礼かもしれないが、帝都侵攻に際しても住民への被害は最小限に留めていただきたい」
「無論、そのつもりです。非戦闘員に手出しをしてはならないと厳しく通達してあります。尤も抵抗されたら応戦せざるを得ませんが……」
「帝都の住民には私の方から外出を控えるよう勧告します」
   この支部に来る前に、周辺地域の住民には外出を控えるよう伝えてきた。住民に被害が出たという話は聞かないから、その辺りのことは連合国軍も配慮してくれているのだろう。

「ヴァロワ大将、私からひとつお願いがあります」
   アンドリオティス大将は胸元から拳銃を取り出した。帝国のものであることは一目で解った。宰相が彼に渡したのだろう。
   待て。宰相が渡した拳銃ということはもしかして――。
「国境を越える折、宰相からこの拳銃を借りました。この拳銃の本当の持ち主――宰相の弟、ロートリンゲン大将に貴方から返して頂けないでしょうか」
「……ロートリンゲン大将の拳銃でしたか」
   やはりそうだったのか。拳銃を受け取ってから、銃把部分の下側にハインリヒのイニシャルが刻印されている。私が宰相に護身用にと手渡したものに違いなかった。
「ですが、アンドリオティス大将。ロートリンゲン大将は帝国を追放され、今は何処にいるのか解りません。これは貴方から宰相に、護身用としてお渡し願えませんか?」
「ロートリンゲン大将の居所は知っています」

   アンドリオティス大将はそう言った。
   ハインリヒの居所を知っていると、今、確かにそう言った。


[2010.3.20]