「彼は帝国を追放された後、ビザンツ王国に渡り、その折にアジア連邦のフェイ軍務次官と出会い、連邦に渡ったのです。私自身、それを知った時には驚きましたが……。今は客将としてフェイ次官直属の戦略室に所属しています。彼のことは連邦内部でも上層部しか知りません」
   ハインリヒがアジア連邦に渡った――?
   アジア連邦のフェイ次官といえば、宰相と同じく切れ者と名高い人物ではないか。そんな男の許にハインリヒが居るだと?
「今、彼はフェイ次官と共に帝国領内に居ます」
   アジア連邦の軍隊のなかに居るということは……。
「ロートリンゲン大将が……、この地で戦っているということですね……?」
「いいえ。直接の戦闘には加わっていないと聞いています」
   アンドリオティス大将は連邦の作戦本部の場所を教えてくれた。エディルネに居るのだという。彼は私に其処に行くよう告げた。
「しかし、現時点において私は貴国の捕虜である身。自由に動き回っては……」
「私が許可を出します。フェイ次官にはこの旨を伝えておきますので、ご心配には及びません」
   その代わり、陣営まで共和国軍の士官を二人伴わせてほしいと彼は告げた。了承すると、その場ですぐにフェイ次官に連絡を取ってくれる。
   共和国と連邦はおそらく随分前から、協力関係にあったのだろう。宰相は常々言っていたことだ。共和国の外交力を侮ってはならない――と。

   アンドリオティス大将はその後、部下を二人呼び寄せて、事情を説明した。準備が整い次第出立してほしい――二人にそう告げると、准将級の男が準備に三十分かかると告げた。出来るだけ早急に――と、アンドリオティス大将が告げる。准将は敬礼をして司令室を去っていった。それからアンドリオティス長官は再び此方に向き直った。
「ヴァロワ大将。宰相が私を庇い負傷したと聞いています。その後、アクィナス刑務所に連行された、と。宰相の動向を何か御存知ですか?」
「いいえ。私をはじめ宰相と親しかった者はアクィナス刑務所に近付いてはならないと命じられています。出来うる限りのことは調べましたが、アクィナス刑務所は社会運動家達を取り締まるために設立されたもので、囚人の扱いは極めて酷いようです。ロートリンゲン家が何度も宰相との接見を求めましたが全て却下され……、私達には為す術もありません」
「……ではルディは……」
   アンドリオティス大将はさっと顔色を変えた。四日間、行動を共にしていたことも合わせ考えれば、彼は宰相の体質のことも知っているのだろう。
「宰相の身体のことを考えると、一刻の猶予もありません。せめて刑務所の劣悪な環境を改善させようと、周囲に気付かれない形で、ロートリンゲン家が影ながら出資を行っていますが……」

   宰相とハインリヒの従兄、ゲオルグ・コルネリウスの知人がアクィナス刑務所に支援をするという形を取り、食糧を提供しているらしい。金銭では刑吏官達が不正流用する可能性があるということで、現物支給を行っていると聞いている。
先月のことだった。それに加えて、刑務所に専属の医師をつけようとしたら断られたという話を、フリッツから聞いた。囚人に医療は必要無い――と返されたらしい。
   そして宰相のことは依然として、何一つ情報を得られない。

「そうですか……。宰相は必ず助け出します」
   アンドリオティス大将の言葉は力強かった。彼ならば成し遂げてくれるだろう。遅くとも今週中には宰相を救出することが出来る筈だ。
「お願いします。……それから、私の独断でトニトゥルス隊の一小隊にミサイル基地を見張らせています。もう二度とミサイルが発射されることがあってはならない。……トーニ中将に詳細を伝えてありますので、彼から話をお聞き下さい」
   ミサイル基地はまだ把握出来ていなかったようで、アンドリオティス大将は貴重な情報をありがとうございます――と告げた。
   それから三十分後、私はカサル大佐の他、アンドリオティス大将が案内役とした共和国軍のヤームル・イェテル准将、トゥハン・フサイン大佐と共に、支部を出立した。



   車での移動では、此処からエディルネまで二日かかる。
   車中でずっと考えていた。ハインリヒには皇女マリのことを伝えた方が良い。
   だが、それを伝えることで、ハインリヒの気力を奪ってしまわないだろうか。追放前に、牢に捕らわれていた時のハインリヒの絶望は、私が予想していた以上だった。本当に皇女を愛していたのだと、初めて知った。
   そのハインリヒがアジア連邦で客将となっているのなら、少しは立ち直ったということだろう。
「閣下。少しお休み下さい」
   休息を取ることになり、木陰に車を停めた時、カサル大佐が促した。ここ数日、あまり眠っていなかったが、眠気は今も無かった。
「ありがとう。カサル大佐、君こそ休んでくれ」
「いいえ、小官は……」
「上官が休まないと、部下も休めないですよ。ヴァロワ大将閣下」
   助手席に座っていたイェテル准将が此方を見遣り、微笑んで言う。
「アンドリオティス長官のような方が帝国にもいらっしゃるとは。あの方も御自分は休まずに部下には休めと言う。有能な上官を持つと、部下は少々困ることもあります」
   彼はそう言うと、前方のボックスから何か取り出して、此方に手渡した。アイマスクのようだった。
「それに眠れずとも眼を休めておいた方が良いですよ」
「……ありがとう」
   その言葉に従い、アイマスクをかけて少し眼を閉じた。これまでのことが思い返された。これで良かったのだと何度も確認した。
   帝国への裏切り行為に他ならないが、その咎めは戦後に受けよう――。
   全ては、終わった後でのことだ。



   エディルネの臨時作戦部というのは、エディルネ支部から一キロ程の近い場所にあった。其処で簡易的なテントがいくつか張られており、車も列を為して駐車されていた。おそらくはレーダー等を搭載しているのだろう大型の車も、目視の限り、5台ある。
「ヴァロワ大将閣下。申し訳無いのですが、少々車内でお待ち下さい。此処では帝国軍の軍服を着た貴方やカサル大佐は目立ってしまいますので」
「解った」
   イェテル准将が先に下りて、一台の大型車のなかに入っていった。あのなかにハインリヒが居るのだろうか。
   十分も待たされなかった。車から出て来たのは、イェテル大佐ともう一人、連邦軍の軍服を身につけた若い男だった。

   フェイ・ロン軍務次官だった。国際会議で顔を合わせたことがある。彼は此方を一瞥し、軽く目礼した。イェテル准将が車に戻ってくる。彼は車から降りるよう促した。
   フェイ次官が此方に歩み寄って来る。
「ヴァロワ大将。アジア連邦軍務次官フェイ・ロンと申します。アンドリオティス長官から話は伺っております」
   フェイ次官は型通りの挨拶をした。此方も似たような挨拶を返す。彼は車のすぐ近くにある大きなテントを差してロートリンゲン大将はあちらに居ます、と言った。
「ですが、彼には貴卿が来ることも伝えていません。……拒むかもしれないと思い、敢えて伝えませんでした」
「拒む?ロートリンゲン大将が私を?」
「帝国に戻るつもりは無いと、この戦争の前にも断言していまして……。彼は今、私と共に生活しています。私はビザンツ王国で偶然にも彼を見つけまして、アジア連邦への亡命を促しました。……事情は全て彼自身から聞いています」
「そうでしたか……。行方が知れず案じていましたが、まさかアジア連邦に居るとは思わず……」
「せめて家には連絡をいれるよう促したこともあります。しかし彼はもう戻るつもりはないとの一点張りで……。このたびの戦列には加わりたいと言うから、同行してもらいましたが、彼にとっては元同胞と戦うことになる。それはあまりに道義に反していると思い、戦闘には直接参加させていません」
   フェイ次官とこんな風に話すのは初めてだったが、そう悪い人間でも無いのかもしれないと思った。尤も胸の内に何を秘めているかはまだ解らないが――。
「ご配慮に感謝します」
「貴卿とは親しかったと聞いています。もしかしたら貴卿の話なら耳を傾けるかも……」

   その時、ハインリヒが居ると言っていたテントの幕が開いた。
   書類を手に持ち其処から現れたのは、ハインリヒだった。強い風が吹いた。それにより乱れた髪をすっとかき上げる。その仕草は、確かにハインリヒだった。

   最後に顔を合わせてから、半年――否、それ以上の月日が流れていた。
   ハインリヒ、と声を掛けるより先に、眼が合った。
   ハインリヒは立ち止まり、眼を見開いて、此方を見つめていた。


[2010.3.21]